【小さなモミジ・4】
息を潜めていた。
夜が時を経るに連れて静寂を取り戻して行く中で、部屋の住人と管理人達はいつしか無音を求めていた。
洋室に鎮座するダブルベッドに、今夜の管理対象である人間、漆原めぐみとその夫が眠りには就いてまだ間も無い。
寝室のドアは開け放たれたまま、部屋の電気は消され、廊下のオレンジ色の照明だけが、唯一の灯りとして寝室と子供部屋に柔らかな光を届けていた。子供が夜中に起きてしまった時の為に、残された優しさの灯りであり、ドアである。
だが、夢防人たちにとって、ドアを開け放した状態は、管理において好ましいものではない。
戦闘中に邪夢に逃げられたり、別の部屋から現れたり、一般家庭に巣食う害虫の類が紛れ込んだりもするからだ。
だが、夢防人たちはドアを閉める事が出来ない。人間が意図的に動かした物、触れた物を夢防人たちは個人の都合で動かしてはならない掟がある。
だが、長期間人間が触れていない物、自然における風や揺れによって動く可能性がある物はその掟に外する。
人間に見つからない事、人間を恐がらせない事が優先されるべき掟だからだ。
もしも人間の目の前で勝手に物が動いたなら、それは怪奇現象にしか見えない。そして精神的にも深い恐怖を与えられた人間は良い夢を見なくなる。
モーリスは本棚の中、傾いた本の陰から出て、眠る人間を眺める。
その眼差しは遠く、少し唇を噛んで、まるで片想いをする薄幸の少女だ。
ジンが危ないよと声をかけた。身の危険ではなく、見つかる危険を考えての声だ。
モーリスは静かな声で応えた。
「もう寝たわ。寝つきは良い方なのよ」
視線は逸らさない。
レンが足を投げ出して大剣にもたれ掛かり、怠惰な姿勢でモーリスの横顔を見ている。それはレンにとって見覚えのある横顔だった。
ジンがモーリスに近寄るために一歩距離を縮める。その瞬間を悟っていたのか、止めるようにレンが服の袖を掴んだ。ぐいっと引っ張る。
ジンが引き寄せられて驚くようにレンを見る。
レンが言った。
「お前も昔あんな表情してたよ」
一瞬考え、モーリスを振り返る。ジンの脳裏に憂いた横顔が張り付く。
ジンの背中に向かって、レンはさらに言葉を続ける。
「似てるよな。ああやって遠くから見つめたり、同じニンゲンの家に通いまくるトコとか」
そのヒントにジンが呟きを返す。
「まさか彼女も……」
「たぶんな。行く前から変な事言うから気になってたんだ。気をつけろよ」
「……何を?」
「お前は大丈夫だと思ってるだろうが、お前が特別なんだ。普通ならお前だってここに居ないんだ。もっと自覚しろ」
レンに怒られて苦笑するジン。
怠惰に見えながらもジンやモーリスの事を気にかけてくれている赤い小人は、立ち上がりながら微かな笛の音を聞いた。
甲高い、鷹が天空で鳴く声に似た笛の音。
一度目は長く、次に短く二回。
ジン、レン、モーリスが本棚の上に横並ぶ。そこから見えるのはベッドの下で同じく立ち上がり、警戒の眼差しを放つ護衛組の二人。
今の笛は、呼子笛と言う。小人達がよく使う連絡手段だ。
鳴らし方で事態を知らせ、時には応援を呼ぶ。
「何だ?」
レンが呟き、ジンは声を投げた。
「どーしたんですかー?」
二人の護衛戦士は本棚を振り向く。
「チョウサクからの合図です!向こうの部屋で何か起きたようです!」
ジュンが応えた。
護衛戦士は何やら話した後、お互いに頷くと、ハルオが寝室のドア、入口に向かって走り出した。
「邪夢ですかー?」
ジンの声だ。
「邪夢の事なら合図が違います!何か予定外の事態だと思われます!」
ジュンの回答にモーリスが言う。
「ジュンさんも行って下さい!ここは私たちに任せて!」
「申し訳ない!お任せします!」
ジュンはすぐに駆け出す。
今回の責任者としても、護衛組のリーダーとしても、全力で駆け出さずにはいられなかった。




