【長い夜・6】
押し入れの内側から扉の隙間を経て部屋の中を伺う瞳が二つ。
赤い衣装からそれは間違いなくレンであったが、トレードマークの赤い帽子が無くなっていた。
黒くて太く固い髪質の、ややツンツンした頭が扉の隙間から突っ込まれ、次に右手に持った大剣が姿を現す。
ラジオの音の無い部屋は、住人の寝息と外を行く車やバイクの排気音を際立たせ、ノイズのようなヤツらの声に、恐怖を感じて息を潜めているかのようだった。
部屋に一歩、侵入して間も無く、レンの大剣が響き始める。
キィィン……
夢珠との共鳴だ。
見上げるとベッドの上で儚げな光の収束が見られた。それは白く、消して悪夢の類ではなさそうだ。
だが、その光の中心に向かって、丸い影がにじり寄るのも見える。それは大きく、艶やかでありながら悲しげにも映る背中だった。
黒く、月明かりと部屋の豆照明を反射させながら、ゆっくりと触手を伸ばしていく。光の中心に向かって。
それは神に救いを求める亡者の腕のように、一心に光を求めていた。
レンは足音を消して駆けた。
床に転がる誰かの剣を拾い上げながら部屋の真ん中まで走る。床に鎮座したティッシュの箱に身を隠し、部屋の内部に視線を捲く。
人影がない。いや、小人影か。
「ドードードー、ホッホー」
山鳩の鳴き声を真似る。
朝方にこだまする奇妙な鳴き声は、深夜の部屋には似つかわしくはない。だがレンは三度、鳴き声を繰り返した。
夢珠による応急治療を終えたジンが立ち上がり、天井を見上げる。
眠るオードリーの横で座り込むマサルが、ジンを不思議そうに見つめ、その視線を追う。が、細く狭まる隙間から眺められる天井には何も発見出来ない。
「レンが来た」
不意に言う。
それは確信を込めた一言だ。
驚きを表現する間も無く、マサルの目の前でジンは大弓を構える。
それは遥かに高い天井に向かって。
真っ直ぐに直立した、ジンの青白い光の矢が、弦の弾かれる音と共に光線となって放たれた。
それは10センチの狭い空間を意図もたやすく突き抜け、天井に突き刺さる。
青白い光が点となって見えるその真下、ジンはマサルに言った。
「レンの夢珠も貰おう。そしたら取り敢えず傷口は塞がるかもしれない」
マサルが呆気にとられていると、隠れていた隙間の入口から、声が投げかけられた。
「こんなとこに居たのかっ、ジン、マサル、無事か!?」
暗い隙間を駆けて来たのはレンだ。
マサルはその姿に驚き、同時に天井を見上げて納得した。
ジンとレン、この二人は離れた時、お互いの位置を知る為にあらかじめ合図を決めていたのだ、と。
部屋の天井に突き刺さる弓矢はしばらくすると消えてしまう。たがその真下に居ると分かれば充分に役目を果たしていた。
ジンがレンの顔を見て、眉根を寄せて言った。
「僕たちは平気だ、けどオードリーが腹に重症を受けた」
「……そうか、コレ使えよ」
レンはすぐに腰に手を回し、自分の夢珠を差し出した。
マサルがそれを見て驚きの声を上げる。
「うわっ、中玉だ」
正確には小と中が各一つだったのだが、携帯する夢珠としては小玉が一般的で、中玉は殆んど見る事はない。基本的に中玉以上は回収されて管理されるので、特別な理由や流通経路を持たない限り、狩りの時に入手する以外は触る機会さえない。
「うん、ありがとう」
ジンが受け取りながら小さく眼で笑う。小玉を20個積まれても等価ではない貴重な夢珠を一瞬の迷いも無く差し出すこの優しい相棒を、ジンは誰よりも信じている。
どうやって手に入れたかなど、愚問でしかない。だから聞かない。もし誰かが聞いたとしても、あっけらかんとして答える姿が目に見えるのだ。
「どしたの!?それ!!」
「もらった」
マサルの声に即答するレン。
微笑を浮かべるジンはオードリーにその夢珠を注ぎ込んだ。
オードリーの腹部からオレンジ色の光が溢れる。それは太陽の沈む夕陽にも似た、柔らかく優しい光だ。
その光は緩やかに波を描き、体内を揺れながら滞留する。
ジンが傷口を眺めながら言う。
「これでひとまずは安心出来るかな。体力が戻るまではいかないけど、動かしたり運んだりは出来るだろう」
「すげ~、こんなの初めて見た」
マサルが興奮して言った。仲間が目の前で重症になる事など、そう有るわけがない。いや、有ってはならない。
そんなマサルに、ジンが言う。
気を引き締め直して、強い口調に込める。
「マサル、今日はもう撤退だ。他の部屋の二人も集めて、早くここを出よう」
マサルが頷き、
「あの邪夢はどうするの?」
尋ねる。
「どうする事も出来ないよ。今は幸いにもあのヒトから夢珠が発生しているから邪夢の意識があっちに行ってるだけだ。元々からあのヒトは余り夢を見る事が少ないんだろ?」
「そう……だね。体質かもしれないけど、ラジオで夜更かし多いし一晩に二つか、良くても三つだ。しかも小玉ばっかり」
「中島家からヤツが来たとして、エサを求めて潜んでたんだろう。ところがなかなか夢を見ない。しびれを切らしてオードリーやマサルを襲って来たのかも。いずれにせよ、他の部屋にも移動する可能性がある」
冷静な口調でジンが言った。
次にレンがさっき拾い上げた剣をマサルに渡しながら言う。
「コレ、拾っといた。マサルのだろ。オレ、正直なとこ、あんなヤツぶった斬ってやりてーんだけどなぁ」
レンの苦笑をジンが嗜める。
「危険過ぎる。第一、決定的な攻撃手段が無い。シュワルツが見学だけを許可したのはきっとそれが分かっていたんだ。僕たちの力じゃ、今はアレに対抗出来ない」
その言葉に賛同するのは女性の声だった。
「賢明な判断ね。今すぐにココから全員避難する事が最善策よ」
それは遠方から来た女の弓戦士アルテアだった。
いつの間に現れたのか、こちらに向かって歩を進める。
「あ、さっきの……」
「私はアルテア。私もコレ返しとくわ。レン君」
レンが口を開きかけたが、アルテアは自己紹介と、片手に持った赤い帽子で言葉を遮る。
隠れた入口が解るように、レンが自分の帽子を目印に置いておいたのだ。
アルテアが言葉を続ける。
「この家に何人いるのか知らないけど、全員退避よ。バカな事考えないで素直に従って頂戴」
レンが赤い帽子を被りながら言う。
「さっきの技どうやるのか教えてくれよ。そしたら俺たちだって戦える。空中に文字書いてバーン!ってヤツさ」
「ムダよ、今のアンタには。尻尾巻いて逃げるしかないの。大人しくお帰り」
見下されてレンが飛びかかりそうなのを押さえるジン。
「レン、アルテアさんの言う通りだ。第ニに防御力が違い過ぎる。僕たちの服とアルテアさん達の装備を見て解らないのか?あの邪夢に対しての備えってヤツがハナから違うんだ。触手がオードリーの身体を貫いた。最低でもそれを防げるだけの防御能力が要る。今の僕たちは紙切れだ」
ジンの言葉にレンは返す言葉もない。確かに、身に付けている装備ですら追いつけてもいなかった。
ジンは再び告げた。
「全員撤退だ。忘れるな、オードリーの治療だってあるんだ。一秒でも早い方がいい」
ジンがオードリーを背負い、マサルが他の部屋の仲間を呼びに行って、全員撤退は始まった。それが何を意味するのか、レンとジンは他の仲間達の誰よりも感じていた。
敗北という苦汁と屈辱を。
次期エースと持てはやされた日々は、自分達の無知と無力を追い打ちのように繰り返し殴りつける。
救えなかった仲間、戦う事も出来ない自分。
本部に帰り、治療を受けたオードリーが目覚めるまでの蒼い月夜は、いつもより長く、長く感じられた。
Special thanks / 緋川和臣 / ジン