転生-4
●ルリのお仕事
大人しく手の掛からない赤ちゃん。それが私のスレナス。
必要な時以外泣いたりもしない。レオニールのおばかさんが耳を引っ張っても、
大抵はニコニコと笑っている。
最近は這い這いや掴まり立ちを始めたけれども、見てて安心していられる。
神託の子だって聞いたけれど、ほんと不思議な子よ。
「ルリや。後はお前の返事だけだ」
「は、はい。お殿様」
いっけない。つい考え事を。私はスレナスのパパに呼び出されていたんだっけ。
「人は自分の物語の中でしか、世界を理解できないと言う。確かに奴隷のお前にはありえない話だったな。聞いているのに聞こえないのも無理なかろう。もう一度聞こう」
スレナスのパパは今の話をやり直した。
「今日からスレナスの学問の師匠が来る。ルリ、お前をスレナスと一緒に勉強させようと思う」
「はい」
頷くと、合わせて今後おっぱい以外全て、スレナスと同じ料理を食べるよう言い渡された。
「本来、ルリのような小さな子に遣らせる事ではない。その点済まぬと思っている」
その言葉に、さっと血の気が引いた。つまりそれって、
「小鳥を鉱山に連れて行くのと同じだね」
赤ちゃんやちっちゃい子の身体は弱い。大人の毒見役では全然平気な毒でも命取りになる。
言いつつ、改めて自分が奴隷になっている事を思い出した。
「その代わり、料理は常に二人分用意しよう。食い物は贅沢をさせてやる。
命懸けの務めだ。先ずは妥当な役得となろう」
そう言って、私の前に一皿の菓子。
「わー、タルトだぁ」
卵と牛乳と砂糖をふんだんに使ったふわふわのパン。
それに濃いジャムを塗って巻物の様に巻いたお菓子。私の大好物だ。
「知って居るのか。初日の耳年増と言い高級菓子の事と言い。元は相当なお嬢様のようだな」
「むーっ。ルリわかんない」
ここに来てもう半年になる。お家の事は思い出せない。
スレナスのパパの手が伸びて、私を抱き上げ、
「わからんでは家に帰してやる事も出来んな」
優しい目でそう言った。
●師匠
「バルディエ閣下。これが私の弟子なのですか?」
一番上が5歳くらいの女の子。次は3歳くらいの男の子。ここまでは良いとしてもう1人。
やっと掴まり立ちが出来るようになった赤ん坊が座っていた。
「その赤ん坊がスレナスだ。
判らずとも良い。朝に夕に先生の講義を聞かせてやって欲しい」
本気らしい。
「お歳ゆえ、お休みになるのでしたら構いませぬが、むずかるようでしたら遠慮なく、
若様と言えども席を外して頂きますぞ」
「当然だ。だが、それは無いだろう」
なんたる親バカ。戦場では瞬時に打つ手を繰り出す俊英も、
我が子となるとここまで愚かになれるものか。
「そう思っていた時期が私にもありました」
「だから言ったであろう」
相変わらず親バカなバルディエ閣下。
赤子に理解できるわけも無いが、歴史を語り古典詩を聞かせる。
確かに私の危惧どおり、中の男の子は何度も退場させ、遂にはまだ早いと参加を断った。
しかし、一番小さな若様は、むずかるどころか嬉々として私の講義を聴いている。
撒いた種が全て実りをもたらす筈など無いことは、私だって知っている。
それでも私は高揚する。この若様、少なくとも学問好きにお育ちになられると。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
主を畏れる事が知恵の始まりであり、老人の話を聞くことが学問の始めである。
賢者に千に一失あらば愚者にも千に一得あり。耳有る者に人は語り、耳無き者に口を噤む。
善人に隠れし咎ありて、悪人に気高き大義あり。言うを成すを義人と呼ぶ。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
私はいつも『箴言の書』の一節を講義の前に読み上げる。
それだけで若様はこちらに這ってこられ。間近にお座りに為られるようになった。