天国と地獄-2
●戸惑い
ぐったり。体中の節々が悲鳴をあげ、目と頭がズキズキ痛む。手の甲とお尻は腫れ上がって熱を持ち、腰には確りコルセットの跡。
「ちゅくしょう! なんだってこんな事に」
夜着に着替えさせられたジャンヌは呟く。
礼儀作法ではミルテと言うババァにしごかれた。頭に水瓶を載せて真っ直ぐ歩く。怒鳴られ尻を打たれ、それでも全然終わらない。甘いお菓子の出る休憩時間も、やれカップの持ち方がどうの飲み方がどうのと、何度鞭を当てられたか。
やっとババァから解放されたと思ったら、今度はスレナスが本の読み聞かせ。それが終わったらルリって奴からダンスとハープを習う。
晩飯は白いパンに肉が出る。砂糖と塩とスパイスをふんだんに使った手の込んだ贅沢料理。
ご馳走の山は良いけれど、ここでも作法が喧しく、とちる度に手の甲に鞭が飛んで来る。しかもコルセットが締め付けて、空腹にも拘らず全然腹に入らなかった。
そして漸く就寝時間。オイラはやっと1人になれた。
きゅるるる~。腹の虫が鳴きやがる。そりゃ今まで、何日もメシ抜きがあったさ。でも、あれだけのご馳走を出されているのに、全然食えなかったことは初めてだ。無けりゃ我慢できるが捨てるほど有るのに食えないのは辛い。
「痛ぇ~」
うつ伏せに寝転んだオイラの尻に鈍痛が走る。滅茶苦茶柔らかいベッドなのにそれでも痛む。あのババァ。孤児院でもこれだけ打たれたのはイタズラが過ぎた時だけだぞ。
「よっ」
いつの間に現れたんだろう。オイラの服を剥ぎ取ろうとしたスケベな兄ちゃんが、ベッドの傍に立っていた。
「どうだい。お貴族様の生活は…」
にゃっと笑う兄ちゃん。
「痛いし窮屈だしも惨々だよ。ご馳走の山なのに食べれやしない。腹減ったぁ~」
「ははは。そんなこったろうと思って、持って来たぜ」
兄ちゃんは包みを解いて食い物を横に置いた。
おかずを挟んだパンだ。水筒から注がれるのはミルク。オイラ、反射的にむしゃぶりついていた。
「ごほんごほん」
「お前なぁ~」
咽るオイラの背中を、兄ちゃんが擦る。
「貴族の姫になりたきゃ、先ずそいつを直したほうがいいじゃん」
言われて途端に怖くなった。ちゃんとレディーに成れれば良し。さもなくば鉱山送り。
鉱山で働く男の奴隷は女に餓えていて、3つのガキから棺桶に片足突っ込んだババァまで見境無い。
いや、野郎でも13歳以下は危ないとも聞かされている。
「……」
急に震えがやって来た。
「兄ちゃん…」
気が着くとしがみ付いていた。
●バルディエの依頼
「お、い。どどど、どうしちゃったんだ。いや、美人にしがみ付かれて嬉しいじゃんか」
ロート・ブリレは狼狽した。
夜着の薄衣。ジャンヌの身体の温もりを直に感じる。未だ幼児の体型を残す彼女の体躯はスレナスの物と大差無い。しかし、女の子特有の柔らかさを肌に受け、ロートの理性は決壊寸前にまで追い込まれた。
「はろー」
だがその直前、首筋に冷たい鉄の感触。
「わっ。ガレットかよ。まだなんにもしてねーよ」
「ふーん。まだってことはする積りだったんだよね」
背後にへばりついたガレット・ヴィルルノワの指先がちょっとだけ動く。
「はははは。それは言葉の綾だぜ」
頚動脈の上の薄皮一枚を正確に斬るガレットの腕。
「でも、周りの警戒が疎かになるくらい、その子に心を奪われていたのは確かだよね。それとも、あたしの腕が飛躍的に進歩しちゃったのかな?」
(やべっ)
ロートは凍った。このままじゃ、ちはやふる後朝の別れ所か、血早降る別れになっちまいそうだ。女の子から抱きつかれて、未練は残るがここが潮か。
「な、なんのことじゃん。オレは抱きつかれただけじゃんか」
「ふーん。ならいいけど」
やっとガレットはナイフを引っ込めて、ロートに告げた。
「スレナスの親父さんからギルドに依頼。ジャンヌの教育よ。読み書き・計算・音楽・詩歌・礼儀作法。魔法や応対辞令、顔色の読み方。とにかくジャンヌの役に立ちそうな事なら何でもいいって話よ。あんたも一枚噛んで見る?」




