天国と地獄-1
●幸運児
「ジャンヌを、でございますか?」
孤児院長は驚いた。
随分前にここから脱走した孤児ジャンヌ。幼い彼女が生きていただけでも稀な事なのに。
「主よ。感謝します」
ジャンヌの掴んだ幸運に、院長は思わず感謝の祈りを口にした。
ジャンヌは自由を求めて孤児院を脱走した。しかし、そのような子供の末路は悲惨だ。餓えて野たれ死ぬか、盗みでも働いて叩き殺されるか。さもなくば悪人どもの手下になるか、たちの悪い奴隷商人に売られるか。
確かにここに居ても早晩奴隷となる運命は決まっていたが、それでも人攫いに捕まって奴隷に売り飛ばされるよりは、遥かにマシな主人の下で生きて行ける。概して家内奴隷の扱いは、比較的家族的なものであるし、物の役に立つように、読み書きなどの教育を施されるのが通例である。
そして、読み書きのできる奴隷は解放奴隷への切符を手に入れたも同然。間違いなく僅かなりと雖も、給金が貰える仕事に就ける。自らを買い戻す事が出来るのだ。長じてさらに商業取引を任される立場ともなれば、利益の歩合が貰えるようになる。ここまで行けば、仮令奴隷のままだったとしても下手な貴族より贅沢が出来る身の上だ。
ところが、ジャンヌの幸運はそんなものではない。筋を通すためと訪れた男爵様が仰るには、ジャンヌを主君の家の養女にしたい。ついては代価を支払うと。
院長が驚いたのも無理は無かろう。なんと、ジャンヌは堂々の貴族様だ。しかも男爵様を家臣に持つ御大身。紛う事無く、末は貴族の奥方様だ。
「これが、陛下の御免状だ。養子の件差し許すと書かれている。宰相閣下の連署もここにあるぞ」
院長は目を真ん丸くして眺めていた。
●シェイプアップ・オア・シェイクアップ
ジャンヌがギルドに遣ってきて3日目の朝。迎えの馬車がやって来た。
「スレナスさん。それで首尾は?」
降りて来たスレナスにガレット・ヴィルルノワは聞いた。
「親父の許可は降りたよ。でも、全てはジャンヌ次第だね」
そう言ってスレナスはジャンヌの方を見る。そして、
「引き返すなら今のうちだよ。馬車に乗ったら、君の運命は二つに一つ。読み書き礼儀作法をマスターして、貴族としてアベルみたいな貴族の御曹司のお嫁さんに為るか、奴隷として鉱山送りになるか」
と脅かした。
「鉱山!? スレナスさん。それちょっと洒落になんないよ」
反応したのはガレットである。鉱山の労働環境は最悪で、暗く蒸し暑く、埃だらけの濁った空気。落盤生き埋めの危険と常に隣りあわせだ。
「ガレットさん。僕の親父は、覚悟の無い子を猶子にはしてくれないよ」
「そりゃそうだけどさ」
ガレットは頭では納得する。しかし、いくらルーケイ辺境伯バルディエ家の主義がシェイプアップ・オア・シェイクアップと言っても、鉱山送りと言うのは極端だ。
「鉱山…」
スレナスの今の一言で固まるジャンヌ。無理も無い。彼女にとって凡そ考え得る最悪の運命。孤児院で散々脅かされた言葉だ。
大人の様に力も技術も無い子供の奴隷の使い道は、体の小ささを利用して鉱石や土砂を運ばせる事。犬の様に這い蹲って木製の箱車を牽くのだ。蒸し暑い坑内での重労働だ、普通に服を着ていては直ぐに暑さに参ってしまう。だから必然的に裸同然の格好で。物心ついた頃から、叱られるたびに何度も何度も言われて来たお話だ。
「君は自分の手で勝ち取る事が出来るんだよ」
スレナスは選択を迫る。考えられる最悪の運命を天秤の片方に載せたスレナスは、同時に考えだにしなかった最上の運命を、もう片方に載せていた。即ち貴族の身分である。
ジャンヌは固まりつつも考える。差し伸べられた手を拒んで孤児院に戻されたら、何れ奴隷となる運命だが絶対に鉱山や娼舘行きと言うことは無い。だが、物心着く前の赤ちゃんならばいざ知らず、7歳にもなった自分に養子の可能性は低かった。まして貴族の娘に為れるなど絶対にありえない。天国と地獄。それほど開きのある運命が馬車の扉の向こうに拓けていた。
「解った。オイラ行くよ」
一歩を踏み出すジャンヌ。その手を取りスレナスは言った。
「これから大変ですよ。ジャンヌお姉さま」




