#4 ゼステア・後編
「リル、昨日の続きをしよう。店はそんなに忙しくないし。」
翌朝、目を腫らした瑠璃にはお構いなしに、ツバキが提案した。それとも、わざと見て見ぬふりをしてくれてるのかもしれないけど。
瑠璃には、後者に見えた。そして、それがとても申し訳なく感じられた。
「昨日のこと、ごめんなさい。」と、頭を下げて、瑠璃はあやまった。
ツバキは、「もう気にしなくていい。」と、瑠璃の肩に優しく手を置いた。
せっかく気を使って昨日の失敗に触れないでくれているのに、わざわざ謝るのはツバキの心遣いに失礼な気もする。でも、謝らなければ瑠璃の気が済まなかった。
どうしたらいいのか、朝になっても答えは出なかった。
頭の中で、色んな選択肢がぐるぐる回ってる。
机には昨日のパイやスープが置かれていたが、瑠璃は食べる気になれず、一度手に取ったスプーンを戻した。
「私……怖いよ。また火事みたいになったらって」
「何を言ってる。」
ツバキは、昨日の残りのミートパイを一口かじると、反対の手で杖を取り出す。
杖の先できれいな弧を描くと、ツバキはにっこりとほほえんだ。
「私は泣く子も黙る大魔法使いだぞ?もしまた火が出ても、なんとかしてやるさ。」
「……うん。」
渋々うなずくしかない瑠璃。
「リルは、帰りたいのか?」
見かねたツバキが食べる手を止め、瑠璃を真正面から見つめた。
「……それは───」瑠璃は言葉に詰まってしまった。もっと危険な失敗をする前に帰るべきなのか、まだ帰りたくない気持ちを優先していいのか、わからない。
「たった一回、失敗しただけじゃないか。リルは、それだけで諦めるような魔法使いなのか?少なくとも私は、そんなへなちょこ魔法使いを弟子に選んだつもりはないぞ。」
ツバキの鋭い視線が刺さる。瑠璃は、思わずどきりとした。
「ここは人間界じゃないんだ。自分の気持ちに、もっと正直になっていい。」
瑠璃は、自分の心の中を、じっと見つめてみる。「才能なんてない。」「また、ツバキを危ない目にあわせるかも。」「帰った方がいい。」なんて言葉は、抜きにして。
───こわい。
───でも、あきらめたくない。
───まだ、帰りたくない。
───そうだ。私は、へなちょこなんかじゃない!
「……わかった。」
瑠璃はこくりとうなずいた。
「私は、魔法が好き。魔法の世界が好き。たとえ失敗しても、怖くても。
怖いよ。こわいけど───もう少し、ここにいる。」
瑠璃は、顔を上げた。瑠璃の顔は少しだけ、血色を取り戻している。
───ツバキがいいと言ってくれるなら、自分の気持ちに嘘をつくのは、やめる。
「よし!」ツバキは満足したように顔の力を抜いた。「今は、朝ごはんを食べれるだけ食べるんだ。ほら。」
ツバキが、ミートパイを一切れ、瑠璃の皿に取り分け、ぐいっと差し出す。
「たくさん食べて力をつけないと、良い魔法はつくれない。」
突然テスト前の両親みたいなことを言うツバキ。
瑠璃は一口、パイをかじった。昨日作ったもののはずだが、オーブンから出したばかりのような熱さで、噛んでみるとザクッと音が鳴る。
「あつっ───これも、昨日の魔法?」
瑠璃は顔を上げて、尋ねる。舌がちょっとヒリヒリしていた。
「料理は人間界式に作る主義なんだ。」
スープの残りをかきこんだツバキが、あっさりと答えた。指さす方向に、大きなオーブンが見える。
○
朝食を終えて皿を片付ける───もちろん魔法を使って汚れた皿をひとつ隣の部屋のキッチンに向かって放り込む───と、ツバキはたったひとりの弟子のために授業を始める。
「昨日は魔法がなぜ使えるかを教えてなかったから、その説明からだ。
人間界で四大元素と呼ばれている、火・水・土・風があるのは分かる?」
「うーん……なんとなく。」
正直なところよく分からなくて、瑠璃は曖昧にうなずく。
「この世界を作るのに必要な四つの要素さ。人間界では錬金術に応用されているな。───つまり、無…何もないところからなにかを生み出すのに必要なんだ。」
「へえ……。」
───錬金術……無から何かを生み出す……。
───分かったような、分からないような……。
瑠璃は首をかしげた。
「この四つに対応した妖精が、魔法界には存在している。四種類の妖精がいるかどうかが魔法界と人間界の違いと言ってもいい。」
「妖精?」
「そう。彼らは目には見えないが、常にそのへんの空気の中を飛んでいて───魔法を使うときにそのサポートをしてくれる。」
瑠璃は、部屋を見回してみた。目を凝らしても何も見えないが、妖精はこの部屋の中にもいるということなのだろう。
「例えば、昨日使った“ゼステア”は物を暖める魔法だけど、どの妖精が助けているか分かるかな?」
「暖めるなら、火の妖精?」
「当たり。」
ツバキは杖で空中に丸を書いた。
「ほかにも水の魔法が“ヒーノ”、土の魔法が“ホーマー”、それから風が、“アネッモ”。弱い力では、水ならものを冷たくすることができ、力を強めると水そのものを出すことができる。昨日のようにね───あ、これは、皮肉じゃない。」
「う、うん。」
ツバキが皮肉を言うような人じゃないってことは、瑠璃にもわかってる。瑠璃は急いでうなずいた。
「組み合わせでできる魔法もたくさんあるけど、まずは基本の四つを覚えることから始めようか。」
水がヒーノ、土がホーマー?覚えることが多すぎて、瑠璃はメモを取りながら聞いたが、「手を動かしていれば自然に覚えるよ。」とのこと。
「そして一番大事なのは妖精に手伝ってもらって初めて魔法が完成するのを忘れないこと。
少し魔法が使えるようになると、自分ひとりの力でなんでもできると錯覚する。自分自身の魔力と妖精の力、このふたつが上手く組み合わさって初めて魔法が使えるのに。」
そう言うと、一旦ツバキは話すのをやめる。ツバキの目は、なんだか遠くを見てるみたいだった。まるで、何かを思い出すかのように。
「───たとえ見えなくても、妖精の力を感じ、感謝しなくては、上手く魔法は使えない。魔法といっても、半分は借り物、いいね。」
「は、はい。」
ツバキがいつになく真剣に話すので、瑠璃もつられて真面目に返事をした。
「それじゃ、昨日と同じく“ゼステア”をやってみようか。」
○
「───“ゼステア”、暖めて!」
握ったカップからじわじわと熱が伝わってきて、瑠璃は顔をほころばせた。
「やった!」
「よかったな、リル。大成功だ!」
ツバキも、瑠璃の顔を見て笑顔をこぼす。
挑戦すること十数回、ついに瑠璃はものを暖める火の基本魔法“ゼステア”を成功させた。
「人間界からきて、これだけ早く成功する人はなかなかいない。リルにはやはり素質があるな。」
ツバキは満足げにほほえむ。
まずは、事故なく成功させられたのがうれしい。瑠璃は、全身の力が抜けていくのを感じた。
───それから、ツバキがほめてくれたのも。
手の中のカップをぎゅっと包み込む。ぬくもりがじんわりと、手のひらに伝わってきた。
そのとき、チリンチリン、と、店の入口のドアベルが鳴った。ふと見ると、サッカルが入口の近くに立っている。
「サッカル。」瑠璃はカップを机に置き、駆け寄った。
「あの───昨日はほんとに、ごめんなさい。私、八つ当たりみたいな言い方してた。……本当は今朝のうちに謝りたかったんだけど、見当たらなかったから……。」
サッカルは、彼にしてはめずらしく黙って瑠璃の言葉に耳を傾けていた。
「で、うまくいったのか?」
「え?」
「うまくいったのか?“ゼステア”は。」
「───うん。」
瑠璃は、拍子抜けしてうなずいた。サッカルのことだから、嫌味のひとつでも言うんじゃないかと思ってたのに、そんなことなかったからだ。
「それは、よかったな。」
サッカルは瑠璃から目を逸らそうとした。が、瑠璃の後ろに仁王立ちしてるツバキの迫力に負けて、ついに口を開いた。
「───その、俺も……昨日は言いすぎた。なんせ、百歳も下の人間の小娘に言うにしちゃ強すぎ───おい、ツバキ!俺はちゃんと謝ったからな!」
「え、百歳って……え!?」
瑠璃はサッカルの年齢のことを聞こうとした。だけど、一足先に駆け出したサッカルに、ツバキが「これだからおまえは!」と叫んで、追いかけるのが先だった。
「……サッカルって、何者……?」
ひとり取り残された瑠璃は、混乱する頭を抱えて温まったココアをすすった。母のいれてくれるココアとは、ちょっと違った味がした。
○
「やはり魔法の理論を知らない状態では、魔力は暴走してしまうというわけか……。」
ツバキはひとり、部屋で書き物をしていた。使い込まれて分厚くなったノートに羽ペンで文字を書きこんでいく。
「妖精には、我々の心が読み取れるというのか?敬意のない魔法使いのところには事故が付きまとうというが……」
ボソボソと独り言を呟きながら、ツバキは手を動かす。ノートに、難しい数式が次々に書き込まれていく。
「昨日のリルは妖精の存在を知らなかった───人間が魔法に干渉することに妖精が怒ったとしたら?……しかし妖精に感情が宿っているとする研究はないし……」
うーんと唸り、ツバキは手を止めた。
「おまえはどう思う?」
薄暗い部屋の戸口に誰かの気配を感じ、ツバキは振り返らずにそう言った。
「優等生様の研究には興味ないね。───それより、あの人間を早く帰したらどうだ?俺から見たってあいつ、素質ないぞ。」
戸口に立っている男が、肩まで伸ばした銀髪をいじりながらぼやいた。
「それは、わかってる。でも……。」
ツバキは腕組みをすると、
「今までとは別のアプローチがしたくてね。それに、本人もこの世界を楽しんでる。」
と、返した。
「今回はいつまでもつか、見ものだな。」
男はそう言うと、ジャケットを翻して夜の闇に消えていった。髪が月光を受けてきらきら輝いていた。
「……今回は失敗しない。リルは、帰さない。絶対に。」
ツバキは低く呟くとペンを置いた。月明かりを受けて、その鋭い目が暗く輝いていた。




