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食い逃げ
ランチを済ませて会社に戻っていると、向こうの小さな靴屋から男が飛び出し、こちらに走って来る。
靴ベラを振り上げた店主も飛び出して、男を追い掛けながら叫んだ。
「食い逃げだ!捕まえてくれ!」
店主は明らかに私に向かってそう言った。
男がだんだんと近づいて来る。
そいつは小柄で、私よりも少し年を食っている様に見えた。その気になれば捕まえられると確信した時には、男は私の目の前まで来ていた。
私は男に向けた両手を咄嗟に引っ込めた。
そして、男の真横を並走しながら、男に何度も聞いた。
「靴?靴墨?中敷き?もしかして防水スプレー?」
男が答えないので、私は並走を続けた。
途中で暑くなり、スーツのジャケットを脱いで小脇に抱えて走った。
「靴?靴墨?中敷き?もしかして防水スプレー?」
急な上り坂に差し掛かり、学生が自転車を立ち漕ぎしているのが見えた。
「靴?靴墨?中敷き?もしかして防水スプレー?」
私の方が先に息が上がってきた。
食い逃げに飛び掛かる余力は、まだあるだろうか。




