第10話:『封じられた言葉』
「汝、最後の聖歌を歌え。終焉の先に、真実の福音がある」
ディスプレイに表示されたその「文」は、マリアの心に深く刻まれた。それは、未来の自分からの、あるいは失われた人類からの、切なる願い。そして、彼女の旅の真の目的を明確にする、揺るぎない道標だった。
マリアは、ゆっくりと「記憶の図書館」の装置から離れた。装置は、役目を終えたかのように、再び静かな光を放ちながら、その場に佇んでいる。図書館の埃っぽい空気の中に、今も微かに、失われた「言葉」の響きが漂っているように感じられた。
図書館を後にしたマリアは、夜の都市へと再び足を踏み出した。先ほどまでの沈黙は、もはや彼女にとって、単なる音のない世界ではなかった。それは、無数の「言葉」が封じられ、抑圧された、重い沈黙。
《声棺》が、再び脈動を始めた。今度は、これまでよりも強く、そして明確な方向を示している。それは、都市の中心部からさらに奥、かつて政府機関や研究施設が集中していたであろう、厳重な区画へとマリアを導いていた。
朽ちた高層ビル群の間を縫うように進むと、やがて、巨大な壁に囲まれた一帯が現れた。壁は分厚い金属製で、ところどころに監視カメラの残骸がぶら下がっている。この場所だけが、まるで時間が止まったかのように、異様なほどに整然としていた。
マリアは、壁に開いた辛うじて人が通れるほどの隙間から、内部へと侵入した。
そこは、広大な敷地を持つ、かつての研究施設の跡地だった。複数の建物が立ち並び、その全てが、音を遮断するための分厚い壁で覆われている。空気はひどく重く、音の粒子が澱んでいるような錯覚に陥った。
《声棺》の振動が、最高潮に達した。同時に、マリアの喉の奥に、強い疼きが走る。
この場所には、膨大な「言葉」の記憶が封印されている。しかし、それは「記憶の図書館」のように自然に保存されたものではない。何者かによって、意図的に「封じられた言葉」の記憶だ。
マリアの聴覚中枢に、微かな「声」が届いた。それは、これまで感じた「音の毒」とも、「記憶の図書館」の旋律とも違う、冷たく、機械的な「声」。
「侵入者を確認。排除プロトコル起動」
その声と共に、施設の奥から、複数の「異形」が現れた。
それらは、先日の路地裏で遭遇した《神託の声》の残滓とは異なっていた。全身を光沢のある金属質の膜に覆われ、その動きは滑らかで、まるでプログラムされたかのように無駄がない。彼らの口からは、絶えず冷たい「声」が漏れ出している。それは、命令系統の羅列であり、感情の欠片もない。
「《神託の声》の……防衛システムか」
マリアは、直感的に理解した。
この施設は、かつて「言葉」を制御し、あるいは「神託の声」を研究していた場所。そして、その研究の過程で生み出された、あるいは変異した「防衛システム」が、今もなお、この場所を守っているのだ。
金属質の異形たちが、一斉にマリアへと襲いかかってきた。彼らの放つ「声」は、直接マリアの精神を攻撃する。それは、無数の命令が脳髄に叩きつけられるような、耐え難い苦痛だった。
マリアは、一歩も引かない。
彼女は、自らの《声棺》を強く握りしめた。
喉の奥の疼きが、激しい熱へと変わる。
「裁きの歌」――それは、真実を顕現させる歌。
そして、この「封じられた言葉」の奥に隠された真実を暴くために、今、マリアの「月蝕の歌声」が、静かに覚醒しようとしていた。
《封じられた言葉 響くは命令 裁きの歌声 真実の扉》
お試し版なので、ここで完結済みにしておきます。