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#9 いまだに社長が出社しない

朝、いつものように始業チャイムが鳴った。

といっても、正確には俺——タナトス株式会社の社屋である“三田”が、体内スピーカーから自動音声を流しているだけだが。


(さて、昨日の迷宮化騒動で廊下が一時封鎖された影響、今朝の出社はスムーズにいくか……)


早めに出勤してきた社員たちの足音を、俺の床センサーがとらえる。角付き、翼付き、半透明系、ケンタウロス型——タナトスの社員たちは今日も種族豊かだ。


「あれ? 今日も社長室、鍵かかってる」


「あー……もう3週間くらい見てないかも」


「そもそもウチの社長ってどんな姿してたっけ……?」


ざわつく空気が、俺の内部で波紋のように広がる。


(……やっぱり、“いない”んだな)


ナタリーと確認したあのログ。出退勤データも、音声も、映像も、全部ゼロ。

思い返すまでもなく、俺の中に社長の存在を示す“痕跡”は、ひとつもなかった。


(でも、それなら——“迷宮”は誰の命令で?)


そのとき、社長秘書室のホログラム端末から、オフィスAIの“マリー”が俺にコンタクトを送ってきた。


《お疲れ様です、三田さん。確認事項がございます》


「……ああ、なんだ?」


《本日、社長より提出予定の“経営計画第66号”が未着です。また、代表印の押印が3日分滞っております》


「……だから、それを今、確認してるんだって」


《いえ、違います。確認したいのは、三田さん——貴方の“運用権限”についてです》


「……は?」


《現時点で社長が不在、かつ執行役員による管理コードも期限切れのため、“建物意思体”である貴方が、仮代表に昇格する条件を満たしてしまいました》


「えっ」


《よって、本日より、タナトス株式会社の社内意思決定権限は——建物ID:MITA-β721、すなわち“社屋そのもの”に帰属します》


(えっ)


《ご昇進、おめでとうございます》


いやいやいや、待て待て。

俺は社屋だ。物理的に。建物なのだ。意識があるとはいえ、あくまで補助的存在のはずだった。


なのに——俺が社長?


マリーが続ける。


《なお、緊急時対応規定により、来訪者対応、経費承認、採用一次審査なども当面は社屋判断となります》


(……俺、マジで“会社の頭”になったのか?)


パニック寸前の俺に、天井スピーカーから軽やかなチャイム音が流れる。


「お疲れ様です〜。応接室、今日の来客って誰か通しました?」


通話に割り込んできたのは、例の新人・ナタリーの声だった。


「えっと、エレベーターに乗ったまま、誰も戻ってこなくて……たぶん今、地下三階あたりで止まってるかも……」


またか。迷宮化の影響がまだ完全には抜けていない。


だが、今日からは違う。


この社屋には、社長がいない。


そして——代わりに、意識を持つ“俺”がいる。


(……マジで、どうすんだよこれ)


そう思いながらも、俺は“自動ドア”として今日も滑らかに開いた。


なにしろ社長だ。出迎えくらいは、ちゃんとしないと。



俺が社屋になってからというもの、いろんなことはあったが、まさか“会社を仕切る側”になるとは夢にも思わなかった。


いや、物理的には夢も見ないけど。建物だから。


《お疲れ様です。午後の会議、議題は“来期の魔力コスト削減策”です。ご出席いただけますか?》


「出席って、どうやって!? 俺、椅子ねえし足もねえんだけど!?」


《ご安心を。会議室スピーカーを通じて“社屋の声”として参加いただけます。顔認識はホログラムで代用可能です》


便利すぎて逆に怖いわこの会社。



会議室B。


投影された俺の“仮想ホログラム”が、席のひとつに鎮座している。見た目は何となく、転生前の俺に似た中肉中背のスーツ男。自分でデザインしておいてなんだが、リアルすぎて気持ち悪い。


「では、三田さん。来季の契約更新について、ご意見は?」


「えー……コスト削減と言ってもですね、床材を安物にすると踏まれるたびに痛いんですよ。俺が」


「わりと真剣な問題提起だった」


「むしろメンタルコストがかかります。あと、配管のグレード落とすとまたトイレ詰まりますから。あれはもう嫌だ」


「社屋視点が強い!」


それでも、意外と会議はスムーズに進んだ。というより、社員たちは意外と“社屋が喋る”ことに慣れている。俺の意見にも真面目に耳を傾け、必要に応じて議論を深めてくれる。


(……なんか俺、ちゃんと“経営”してる?)


けど、そう思えたのは束の間だった。



《次のご報告です。魔導監査局から“代表者不在”について、正式な照会が入りました》


「うわ、来たか。やっぱまずいよな、法人登記上の不在って」


《それだけでなく、今朝から“社長を名乗る人物”が2名、正面玄関に来社しています》


「なんで!? 俺が社屋になってる間に、誰か乗っ取りでも……?」


カメラ映像を確認すると、ひとりはスーツ姿の中年男性(人間)、もうひとりは全身黒マントのリッチ族(不死族)。

どちらも「俺が正当な社長だ」と主張して譲らない。どうやら、前社長の側近をそれぞれ名乗っているらしい。


「こうなったら……直接、話を聞くしかないな」


って言っても、俺は社屋だ。


ドアノブも回せなければ、自分で立っても行けない。


だが——今は“トップ”として、決断しなくてはならない。


俺は正面玄関を解錠し、ふたりの“自称社長”を応接室に招き入れた。


そして、社屋としての静かな決意を固めるのだった。


(……この会社、俺が守らなきゃダメなんじゃないか?)



応接室。俺の意識が届く空間だ。


中央のソファには、人間の中年男と、骸骨顔のリッチ族が並んで座っていた。

どちらも「私こそが社長の意志を継ぐ者だ」と、まったく譲る気配がない。


まずは人間の男が口を開いた。


「私は、前社長の秘書を長年務めていた鷹取という者です。社長が姿を消す直前、こう言われました——“私の代わりに会社を守ってくれ”と」


一方、リッチ族は、カラカラと乾いた声で反論した。


「私こそ、社長が生前に“真の後継者”として血の契約を交わした者。この骨に刻まれた魔印を見よ。社長の意思そのものがここにある」


……どっちも怪しい。


俺は記録室のアーカイブから過去の映像ログを検索し、両者の言動を確認する。


鷹取は、前社長の机で勝手に私物を整理し、来客に名刺を配り歩いていた記録がある。

リッチのほうはというと、社長室に魔法で侵入しては、勝手にデスクを漁っていた映像が残っている。


(うん、両方アウトだなこれ)


だが問題は、外部への報告だ。


この会社の法人登録上、“代表者”が不在という状態が長く続けば、行政監査が入り、最悪の場合——営業停止となる。


社員たちの生活、モンスターの雇用、社内に設置された結界魔法の維持。


すべてが、ひとつの決断にかかっていた。



《社内メッセージ:全社員へ通達》


──緊急の社内投票を実施します。

社長不在のいま、誰をこの会社の“代理代表”とするか。候補は三名。


①元秘書・鷹取

②リッチ族・ガルナス

③社屋(タナトス株式会社本社ビル)


最終決定は、過半数の社員投票によって下される。


投票は、魔導セキュアネット経由で今すぐ受付開始。



「えっ!? ビルが立候補してるの!?」


「いやむしろ、今まで誰がこの会社守ってたと思ってんのよ」


「わたし、三田さんがいいなー。毎朝おはようって返してくれるし!」


「会議室の温度も地味に快適にしてくれてる……そういうとこ、評価したいよね」


ざわめきが社内を満たす。


まさかと思った俺自身が、社員の“信頼”をここまで得ていたとは思ってもいなかった。


(……俺はただ、この会社を壊させたくなかっただけなのに)


その想いが、少しずつ“票”という形になって社内を巡っていく。



《最終開票結果を表示します──》


①鷹取:6票

②ガルナス:3票

③社屋(三田):211票


──俺が選ばれた。


建物が、会社の代理代表に選出された瞬間だった。


けれど、俺の中にはまだ疑問が残っていた。


“社長は、なぜ姿を消したのか?”


その答えを知らぬまま、会社は次のステージへと進もうとしていた——。



《速報:タナトス社、社屋が“代理代表”に選出》


翌朝のニュースフィードは、軒並みこの見出しで埋め尽くされていた。


「“社長が出社しないから社屋が社長になった”、か……」


呆れとも敬意ともつかない声が、社員たちから漏れる。


「まあ……しゃべるビルだしな。今さら驚かないけど」


「逆に安心感あるわ。災害のときも避難誘導してくれるし、地味に頼りになるんだよな、社屋さん」


「非常口が人格持ってるんだもんなあ。誰よりも“社”を“知ってる”って意味では、妥当っちゃ妥当」


社員食堂では、ナタリーがぽつりと言った。


「社屋さん、最近ちょっと痩せた気がするんだよね……」


「いやそれ建物だから。痩せないから」


「でも通路、ちょっと広くなったよ? 気のせい?」


「……あ、確かに階段の勾配も緩やかになったような」


(それは最近、段差魔術の補正かけたからなんだが……)


俺は無言で見守っていた。建物だから。


正式に“代理代表”として認められた今、法的にも、社会的にも、俺はタナトス社の“顔”になった。


署名用の意志通信印が、俺の中央制御ユニットに装着され、今後すべての契約や行政対応は、俺の認証で進むことになる。


会議室の光が落ちる。

プレゼン用スクリーンに、俺の“顔”(イメージイラスト)が投影される。


「えー、会議を始めます。本日は“今後の経営方針と社長の失踪について”」


社員たちの視線が集まる。


俺は話す。静かに、だがはっきりと。


「まず、皆さんに感謝を。私は、元々ただの社屋でした。意識を持って以降も、自分が何者かを見失っていた。ですが、皆さんが“任せたい”と選んでくれたことで、自分の“役割”をようやく理解しました」


「俺はこの会社を守る。守りながら、もっと働きやすい建物になる。それが、建物として生きる意味だと思っています」


会議室が静まり返る。


やがて、ナタリーが立ち上がった。


「代理代表、ひとつ質問していいですか」


「どうぞ」


「……昼休みの食堂、もうちょっと椅子増やせます?」


「任せろ。梁の強度と相談する」


笑いが起こる。


それが、会社の“日常”だった。



午後、社長室。誰も座っていない椅子がぽつんと置かれていた。


そこに、旧式のボイスレコーダーが一台。

社員の一人が、ふとした拍子にロッカーの奥から見つけてきたものだった。


「これ……社長の声、じゃないですか?」


「え?」


再生ボタンが押される。


《——もしこの録音を聞いている者がいるなら、私はもう戻れない場所にいる。だが、心配はいらない。タナトス社は、私よりも“賢いビル”を持っている。あれがあれば、会社は潰れない》


三田啓司みた けいじくん。君のことだ。あとは、頼んだよ》


沈黙。


社長は、俺の名前を知っていた。


いや、それだけじゃない。これは明らかに——“俺に言い残した”言葉だ。


「……おい。今さら、無責任だろ……」


俺はつぶやく。


だけど、不思議と怒りはなかった。


ようやく、背負うべきものを受け取った気がした。



そして今——


社内を包む魔導光が一段階明るくなる。


各部署に新たな管理権限が通知され、異種族向け設備のリフォーム計画も動き出す。


「社屋さん! 書類回収用ダクト、ちょっと速すぎて吸い込まれそうです!」


「調整する。あと三ミリ幅広げる」


「ありがとうございまーす!」


俺は、ドアであり、廊下であり、天井であり、ビルそのものだ。


でも今は——


タナトス株式会社、代理代表取締“ビル”。


名実ともに、トップとしての第一歩を踏み出していた。

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