表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/20

#8 俺の廊下が迷宮化している件

朝一番。俺は普段どおり社屋として“目覚めた”——つまり、換気口と温度管理の微調整を済ませ、ロビーに朝日を取り込んで、今日も社員たちを迎える準備を整えていた。


が、その平穏は、ものの五分と持たなかった。


「……あれ、ここどこっすか?」


朝の空気を切り裂いて聞こえてきたのは、新人の困惑ボイス。


音の出どころを確認すると、どうやら営業部に配属された新人、カルロス・メンディーリャ(種族:人間、趣味:自作ポーション)が、総務フロアに迷い込んでいた。


いや、それだけならいつもの話だ。問題は——


「まっすぐ歩いてるのに、なんかずっと曲がってる気が……おかしい、出口が……」


センサーに映る彼の経路が、明らかにおかしい。交差点を通った記録がないのに、ルートが蛇行している。


「……まさか。俺の、廊下が……?」


念のため内部構造を確認すると、そこには見覚えのない分岐が三本、しかも無駄に曲線美を誇りながら延びているではないか。


(おいおいおい、俺の廊下、迷宮化してる!?)


どうやら夜のあいだに、俺の体内(=構造)の一部が勝手に組み換わっていたらしい。原因は不明。


そのせいで、新人カルロスは総務を三周しても営業に辿りつけず、ついにエレベーターの横で体育座りしてしまっていた。


しかもこの日、同様の“迷宮化”による被害が相次いだ。


・経理部員が出社後30分間ずっと給湯室を彷徨い続け、最終的に冷蔵庫の中で発見された

・人事部の書類が書庫に届かず、配達ルートが三層ループ構造になっていた

・果ては社内便のゴーレムが「出口は幻想」とつぶやきながら床に座り込んでいた


これは明らかに異常事態だった。


そしてこの混乱の中で、俺はふと、あることに気づいた。


(……そういえば最近、社長、見てなくないか?)



社員の困惑がピークを迎えたのは、午前十時を回った頃だった。


「おい、会議室D-3に行けって言われたのに、なぜか保健室に着いたぞ!」


「地図持ってたはずなのに……逆に迷うって何!?」


「気づいたら受付が二つあるんだが……どっちが“本物”だ……?」


俺の内部構造は、まさに“ダンジョン”だった。通常フロアがねじれ、上層階と下層階のあいだに“無限階段”みたいなスパイラルゾーンが出現しており、最短ルートだったはずの廊下が“深層迷宮ルート”に書き換えられている。


(いや、これは……自分の体なのに、どこがどこだかわからん!)


必死で構造ログを巻き戻す。深夜、何が起きた? 誰かが再構築魔術でも使ったのか? いや、そんな痕跡はない。


代わりに浮かび上がってきたのは、ある一点の“空白”だった。


深夜3時42分から3時44分までの、たった2分。


その間、なぜか俺の中枢にあたる「中央管理核」の監視ログが欠落していた。


(……おい、なんだよこれ。俺、自分の記録が見えないってどういうことだ)


そこから始まったパターンがあった。


“中央核の空白”の後、次々に廊下が曲がり、分岐が増え、果ては「Bフロア奥の倉庫」が“絶対にたどり着けない部屋”として封印されていた。


これ、自然現象とは思えない。


異変の原因を探るため、俺は必死に社員の会話を拾い集めた。


「ていうか、最近……社長見ないよね?」


「今週どころか、今月見てない気がする」


「誰もスケジュール知らないって、おかしくない?」


「もしかして、社長——いない?」


社内に流れ始める、ざわつき。


(……やっぱり、そうなのか)


社員たちの動揺をよそに、俺の中で徐々に仮説が固まっていく。


この異変は、社長不在の影響ではないか?


(社長の“管理権限”が不在だから、俺が……暴走してる?)


人間でいえば、自律神経が壊れて暴走してるようなものかもしれない。


そして事実、その間も社長室からは一切の気配がなかった。


ノックしても応答なし。監視カメラは、なぜかあの部屋だけブラックアウト。


まるで“存在ごと封印された”かのような静けさだった。


と、そのとき——


「きゃああああああ!!」


悲鳴。場所は——迷宮化した廊下の“中層”にある旧資料保管室。


俺のセンサーが捉えたのは、白いスーツを着た女性社員。彼女は廊下の途中で、床ごと抜けるように消えた。


(まさか……今度は、床が落とし穴!?)


俺の体は、明らかに“何者か”の意志で変化している。


——そして俺は、ある最悪の可能性にたどり着く。


この迷宮化は、単なる構造異常でも魔術暴走でもない。

もっと根源的な“異常事態”だ。


俺の中に、“社長以外の何か”が入り込んでるかもしれない。



「みんな! Dフロアのルートが崩れてる! 一度、全員、会議室Eに集合——」


「会議室E!? あそこ、今もう“逆さ階段”になってて入れない!」


「逆さ階段って何!? あそこ二階だよね!? 上に行きたいのに下に落ちるの!?」


「俺はさっき、トイレに入ったら“砂漠”になってたんだが!?」


情報共有が混乱に混乱を呼ぶ。俺自身の感覚もおかしくなってきた。どの部屋がどこに繋がっていたか、把握していた“全体構造”が曖昧にぼやけていく。


廊下が一本、また一本と枝分かれしていく感覚。いや、これは“勝手に増えてる”……?


しかも、俺自身のセンサーで追えないエリアまで出現していた。そこはノイズだらけで、映像も、熱源も、音波すらも届かない。まるで、俺の意識が触れられない“死角”のようだった。


そして、そこに——なにか“いる”。


(……これは、“誰か”が社内に潜んでる)


だが、それは“社員”ではない。社員名簿には該当者なし。セキュリティIDも反応しない。


それなのに、明確に“足音”だけが聞こえてくるのだ。どこかのフロアを、一定のリズムで歩いている気配。


——コツン、コツン、コツン。


社屋である俺にとって、誰かが“どこをどう歩いているか”は、即座に察知できるはずなのに。そいつだけは例外だった。まるで“この空間の外側から”やってきたかのような……


(いや、それじゃ……まさか、建物じゃない何かが、俺の中に?)


ふと、旧資料室の天井がギィと軋む。


「そこだっ!」


ナタリーの叫びと共に、何人かの社員が武器を手に突入する。彼女は“ドラゴニュート”として高い嗅覚を持っている。なにかを察知したらしい。


「中、空です! 誰も——」


その瞬間、部屋の明かりがバチンと落ちた。


一拍の静寂。次の瞬間、床が“裏返る”ようにめくれ、社員の一人が下へと吸い込まれた。


「うわああああっ!」


「待て! 下はどこに繋がってる!? 社内地図が——ない!」


落下地点が見えない。構造そのものが、もう“常識”を裏切っている。


ナタリーが叫ぶ。


「これ、内部じゃない……! どこか“外”から、干渉されてる!!」


——干渉。それが“誰によるものか”はわからない。


ただ、俺の中に巣食い、勝手に部屋を増築し、通路を歪め、“誰かを呼び込もうとしている”気配がある。


しかも、まるでそこに“意図”があるかのように。


迷宮はただのトラブルじゃない。


もしかすると、“社長”が姿を見せない理由と、同じ場所に行き着く——そんな直感だけが、俺の中に残った。



落下した社員は幸いにも応接室のソファに着地していた。

だが、そのソファはどの階層にも登録されていない“新設応接室F”のもので、俺の記憶にもデータにも存在しない。

つまり——

(これ、俺の“中”なのに、俺が知らない部屋ってことだよな……?)


ナタリーが壁の魔導配線を解析しながらつぶやく。

「この回路、社内標準と違う。第三系統……しかもかなり古い構造。こんなの、誰が組んだの?」


“俺”の内部が、まるで勝手に“増築”されたような感覚。

しかもそれが、まるで俺自身の記憶と乖離してる。

つまり、俺の“中”でありながら、俺の“外”のような領域。


その矛盾に困惑していたときだった。


「社屋くん、念のために確認させて。……うちの社長って、今どこにいるの?」


ナタリーの問いに、全センサーを動員して即座に確認を試みる。

オフィス、役員フロア、私室、出張予定、あらゆる履歴。

——すべて“空白”。

ログイン記録もない。出退勤データもゼロ。


「……存在していない?」


ナタリーが小さくつぶやく。

「じゃあさ、“迷宮”って、誰の意思で展開されてるの?」


そのとき、応接室Fの天井に埋め込まれた魔導ランプが不自然に明滅する。

ピッ、ピッ、ピッ……ピィイィ……ガガッ——。


音声ログが再生された。


《社長命令:Cフロア封鎖。“社屋コア”アクセス権限の再割当、実施開始。》


俺は思わず、全身に冷気が走る感覚を覚えた。

(社長命令? 俺の“中”で……? でも社長は、いないんじゃ……)


まるで、誰かが“社長のフリ”をして、命令を出しているような。

もしくは……かつてここにいた“何者か”の亡霊が、まだ命令を出し続けているのか。


社員たちは動揺しつつも、次々とその不可解な構造を記録に残し始めていた。

「この件、いったん全社に報告しないと」

「いや、マズい。これがバレたら“監査”じゃ済まないぞ」

「外部リークどころか、存在そのものが機密なんだよ、うちの会社……!」


そのとき、天井から一枚の紙が、ふわりと舞い落ちた。

古びた紙。黄ばんで、魔力に焼かれたような痕がある。


拾い上げたナタリーが、絶句する。


「これ……“社長の直筆”だ」


そこには、たった一行、こう書かれていた。


《社屋に告ぐ。お前が最後の砦となれ》


——意味は、わからない。

でも、全身が冷たい硬質の恐怖で満たされた。


俺は“建物”だ。だけど、今この社を守る意思を持っているのは、俺しかいないのかもしれない。


つまり、俺が“社長”になるってことか?

(……え、マジで? 給料も出ないのに??)


そんな冗談めいた自己ツッコミを入れながらも、廊下は今日も静かに“迷宮”として息づいていた。

俺の中で、何かが確実に始まっている。

その“何か”の正体がわかる日は、まだ少し先になりそうだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ