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#7 休憩室にいる魔獣について

タナトス株式会社、昼下がり。正面玄関――つまり俺――から続く廊下の、その先。社員たちの憩いの場である「休憩室」から、奇妙な咀嚼音と唸り声が聞こえてきた。


(……なんだ、今の音)


ガリガリ、むしゃむしゃ、ゴフゴフ。明らかにお菓子じゃない、もっと硬質な何かをかじる音。しかも、低く唸るような吐息と、時折「グォッ」とか「ヴォルァ」みたいな声まで混じっている。


俺は社屋としての“神経”を集中させ、休憩室の様子を内部センサーで探る。


──いた。


ソファの隅に、毛並みがバサバサと逆立った四足歩行の“何か”が、でっぷりと座っていた。背丈は椅子より少し低いが、幅は二倍。全身は漆黒で、ところどころに青白い模様が浮かんでいる。目はまん丸、なのにどこか邪悪で、瞳孔がギザギザだ。


(……あれ、魔獣だよな?)


社員証もネームプレートもない。というか、服を着てない。そもそも喋れない。噛んでるのは、どう見ても建材の一部だ。たぶん、俺の“背骨”の古い予備だ。


そこへ、ナタリーがひょっこり顔を出す。


「あ、フリードルちゃん起きてる! おはよ〜!」


(誰!?)


彼女は何の躊躇いもなく魔獣の頭をなでくりまわし、その隣に当然のように座った。周囲の社員たちも、ごく自然にフリードルの横でジュースを飲み、お菓子を分け与え、雑談している。


(え、えっ……? 今、すごく異常なことが、すごく日常的に起きてないか?)


俺は急いで社内の入退室記録を照合するが、“フリードル”なる名前の社員データはない。当然だ。魔獣なんだから。


それでも、周囲は平然としている。どうやら半年以上前から、総務がこっそり飼っているらしい。誰かが「ストレス軽減のためのセラピーモンスター」などと勝手に分類して申請を通したとか。


(いや、いやいや。魔獣って、飼えるものだっけ?)


さらに異常なことに、地下へのアクセスログがここ数日、完全に“ロック状態”となっていた。誰も入れない。誰も出てこない。


その出入口の封鎖ポイントも、俺の“神経”に属していた。


つまり──何かが、内部から鍵をかけている。


休憩室の魔獣。開かない地下室。妙に平然としている社員たち。


(何が起きてる……? そして俺は、何に巻き込まれようとしてる……?)


俺は知らなかった。このあと起きる、“地下三層目”での異常事態を——。



休憩室のドアが、まるで「開けるな」と言わんばかりに軋むたびに、俺の脊髄(物理的な意味で)がビクつく。


「……なあ、ほんとに開けるのか?」


俺の問いに、ナタリー・ヴァルクはきっぱりと頷いた。背中のドラゴンウィングをたたんだその姿は、いつにも増して戦闘モードだ。


「ええ。もう“あれ”を見過ごすわけにはいきません」


「あれ」——昨日、休憩室でお菓子を食べていた若手社員(種族:スライム族)が、ぽろりとこぼした言葉がきっかけだった。


「うちの“モカちゃん”さあ、最近ちょっと太ってきちゃって……休憩室にいる時間が長いせいかな?」


聞き返すと、当然のようにこう返された。


「モカちゃんって?」「あ、うちの魔獣です。今はうちの部署のマスコットっていうか、癒し系的な。え、知らないんですか? こないだ課長が“ケモ耳万歳”って言いながら飼育許可出してましたよ?」


……課長、どこに許可出してんだ。


話はそこから一気に拡大し、「社内ペット問題」が浮上した。


「でかくなりすぎて、地下の一部に入れなくなったらしい」とか、「最近は冷蔵庫の上で寝てる」とか、「鳴き声が“イケボ”で逆に怖い」とか——どれも事実とは思えない情報ばかりが流れてくる。


そんな中、地下室の通路の一部が“物理的に開かない”という異常事態が発覚した。俺の構造内でもセンサーが弾かれ、アクセスできない区画がひとつだけ生まれていた。記憶をたどっても、そんな構造は存在しないはずだった。


つまり——。


(誰か、俺の身体の中に“勝手に部屋を増設”してる?)


これは緊急案件だ。俺の意思とは無関係に、内部構造が改造されている可能性がある。しかもその中心にいるのが、“モカちゃん”という魔獣。


ナタリーは魔導系の資格を持つ社員として、事態の調査を任された。俺は社屋として、そして意識あるドアとして、その手助けをするしかない。


ふたりは夜明け前、無人のオフィスビルの内部を進む。


休憩室に近づくにつれて、空気が異様に湿ってきた。温度、湿度、魔力反応、すべてが常識を逸脱している。ナタリーが呟いた。


「……この感じ、間違いない。“空間ねじれ型魔獣”です。放っておいたら、建物ごと異次元に引っ張られますよ」


マジか。


「じゃあ、今の俺、ほぼ“異次元との境界面”みたいな存在ってこと?」


「まあ、言うならそうですね。だからこそ、いま止めないと」


俺たちは休憩室のドア(つまり俺の胸部の一部)を、そっと押し開けた。


——そこにいたのは、巨大化したケモノ耳の魔獣が、コタツに入ってスヤァと寝息を立てている光景だった。


(……この異世界企業、いろいろ限界が近い)



「……これは、手に負えませんね」


ナタリーが、腕を組んで魔獣を見下ろした。


毛並みはふわふわ、耳はぴこぴこ。巨大な胴体はこたつを半壊させながら、堂々と休憩室の中心に鎮座していた。どう見ても、“モカちゃん”は社員たちに構われて肥えに肥えた結果、今や「ペット」ではなく、ほぼ「社内上層部」並の存在感を誇っている。


(いや待て。なんで俺の内部にこんな異空間生まれてんだ……?)


床材は木目調からいつのまにか畳に、天井はカフェのような間接照明付き。壁には謎のカレンダー《魔獣飼育日誌》と書かれた紙が貼ってあり、魔法文字で「今日のごはん:サバカレー」と記されていた。


ナタリーが、ポケットから取り出した魔力測定器を構える。ピーッという電子音とともに、赤い光が跳ね上がった。


「想定超えてます。魔力反応レベル:災害指定“中等”。しかも、安定してません」


「いやちょっと待って、俺の中だぞここ!? 内臓に中等災害抱えてるの俺!?」


「動くと危ないので、お静かに」


そう言って彼女は、そっと“モカちゃん”に近づいた。が、次の瞬間——


「モキャアアアア!!」


凶暴な咆哮が炸裂した。


空間が歪む。ドア(=俺)の蝶番がきしみ、壁がブレる。体感でいえば、胃痙攣どころじゃない。十二指腸あたりに核が落ちた感じ。


「なに!? 威嚇か!? 嫌がってるのか!?」


「いいえ……これはたぶん、寂しさですね」


「え?」


ナタリーが静かに言った。


「おそらく、ここ最近構ってもらえなかったんです。社員たちはかわいがっていたつもりでも、忙しくなると餌や掃除も疎かになる。魔獣は、そういう“繋がり”に敏感なんです」


俺は思い出す。社員たちの声。


「最近、休憩室の空気、ちょっと怖くない?」


「近づくと、胸がざわざわするっていうか……」


あれは恐怖じゃなく、共鳴だったのかもしれない。


——“モカちゃん”の孤独に対する、ささやかな共鳴。


「で、どうすんのこれ……?」


「いったん、鎮静魔法で眠らせて、地下の飼育室に移送します。正式に管理下に置く必要がありますね」


「でもその飼育室、今閉じてるよな? 俺の中なのに、俺自身がアクセスできない」


「……じゃあ、物理で行きます」


「は?」


ナタリーは巨大な槍(物理)を構えた。いや、ちょっと待て、魔法でどうにかなるんじゃなかったのか? なにその角度から入ってくる解決策。


「“モカちゃん”、お願い、少しだけ我慢してて」


彼女の声に、魔獣の目が細められる。静かな理解がそこにあった。


次の瞬間、槍が振るわれた。空間が割れる。俺の内部構造の封鎖されていた通路が、強引に再接続されていく。


「う、うぐああああ……! そこ、俺の直腸的ポジションだからああああ!!」


悲鳴を上げつつも、空間は繋がった。俺の中に、新たな“正規飼育区画”が開通した瞬間だった。



「……搬送、完了です」


ナタリーが最後の魔力封印札を貼ると、“モカちゃん”は完全におとなしくなり、丸まった毛玉のような姿で地下飼育区画の中央に鎮座した。規格外に広いその空間は、さながら“魔獣リゾート”。適切な湿度、温度、遮音結界まで整った、“俺の内臓”の一部である。


(……俺、なんでこんな高性能にされてんだろ)


自問はいつも通り返答がないまま、床下の一部がじんわり温かくなる。どうやら“モカちゃん”は、満足して眠ったらしい。


「今後は、総務部・生物管理課が責任を持って管理します」と、羽の生えた総務のミリーが告げた。


ミリーは妖精族の末裔で、過去には“百種の聖獣を調教した女”として名高い存在だ。だが今は、その名声よりも「書類提出が早すぎて逆に迷惑」と言われる几帳面さが社内で際立っている。


「ところで三田さん」


(なに?)


「飼育区画の隅に、“自家発電式あったか床”を勝手に増設しておいたら、社内予算から引かれます?」


(待って待って、俺が決裁権もってることになってんの!?)


「だって、私たち、あなたの中に住んでるみたいなものですし」


うまく返せなかった。


……そう、もう誰も、俺をただの“元・人間”とは見ていない。


今の俺は、タナトス株式会社そのもの。


朝礼が開かれ、資料が印刷され、社員が談笑し、時には魔獣が寝そべる、“社屋”という名の人格。


「じゃ、引き続きよろしくお願いします、“三田さん”」


そう言って微笑むナタリーとミリーに、俺は言葉を返せなかった。ただ、換気扇の回転速度を少しだけ上げて、照明をやや明るくした。それが、俺なりの返事だった。


(……まあ、悪くないかもな)


魔獣に腹を貸し、書類に体重をかけられ、扉を開く日々——


それでも、こんな風に誰かの居場所になれるのなら。


俺の人生——いや、社屋生にも、多少の意味はあるのかもしれない。


こうして今日も、タナトス株式会社は“生きたビル”として、静かに、賑やかに稼働を続けていた。

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