#6 決算書が燃えた日
朝から、社屋の空気が妙だった。
別に気温が変わったわけじゃない。湿度も、電源系統も正常。だが、どこか、空気の“密度”が違う。
それは、俺の内壁を走るマナ配管に、見慣れない干渉が入り込んだことから始まっていた。定期点検ログにも引っかからない、微細な震え。だが、異物だとすぐにわかる。
“あの省庁”の気配だ。
(……魔導財務省が来るぞ)
社屋に転生して以来、俺はなんとなく魔法的な感知能力まで獲得してしまっている。というか、建物なのに“痛覚”がある時点でおかしいが、いちいち突っ込んでいたら魔法国家ではやっていけない。順応がすべてだ。
始業チャイムの鳴る5分前、社内全フロアに、俺は最大警戒モードの暗号信号を送った。
直後、受付から絶叫。
「魔導財務省の査察官がいらしてますー!!」
瞬間、全フロアに緊張が走った。
廊下を走る社員、書類を魔法で一斉に浄化する係、帳簿に魔封印をかける経理。
部長室ではすでに、全自動で紅茶が二杯分入れられ始めている。
俺の内部の“奥”、第7魔素区画にひっそり保管されていた古文書データが、ブルブルと震えた。
(こいつら、見せられない帳簿、ありすぎだろ……)
査察官は、静かに入ってきた。黒いローブに金の縁取り。胸元の紋章は“断罪の秤”。
「タナトス株式会社。貴社、今年度の魔力支出が“逆算不能”と判定されましたので、本日付けで臨時監査を執行いたします」
“逆算不能”とはつまり、“なにをどうしたらこうなったのか説明がつかない”レベルで数字がおかしい、ということだ。
いわゆる“魔力による経費誤差”が限界を超えると、こうなる。
「……っ、やばい。去年、あの“異空間倉庫”の魔力維持費、確か副社長が懐に入れてたんじゃ……」
「しかも、今年は“次元間出張”を娯楽費で申請してましたよね……」
ささやき声が俺の構造体内を駆け抜ける。
(……詰んだな)
俺は内壁の一部を密かに震わせ、旧社員食堂の裏倉庫の“火災対策用自動スプリンクラー”に警戒モードをセットした。魔導財務省が関わると、何かしら燃えるのはもはや“恒例行事”だ。
そのとき。
経理部のナタリーが、顔面蒼白で駆け込んでくる。
「社屋さん! 決算書、……決算書が、急に燃えました!」
(……おい、フラグ早すぎるぞ)
俺は本気で、天井パネルを外して逃げ出したくなった。
だが、社屋である以上、それは不可能なのだった──。
*
燃えた、というよりは“発火した”という方が正確だった。
経理室の金庫型魔導帳簿──通称「魔帳」が、突如として紫煙を上げ、天井まで火柱を立てたのだ。
そしてすぐに、それを察知した俺の内部構造が作動。スプリンクラーから精霊水が噴出し、書類とデスクと2人分の昼食を一瞬で水没させた。
「おい、まって、弁当……! うわあああっ!」
悲鳴。パニック。そして焦げた帳簿の残骸。
「な、なにこれ、呪文式が暴走してる……!? 帳簿に仕掛けてた防火結界が、逆に起爆呪式になってる!?」
(なぜ帳簿に爆発系呪式を重ねるんだ、お前らは……)
俺は思わず、会議室の壁紙を「落ち着け」の文字に変えた。
それを察知した魔導財務省の査察官が、無言で魔力計測装置を経理室に向けた。
ピピピッ──という甲高い警告音が響く。
「やはり……禁制式。しかも複数。“財務反転の符号魔式”に加えて、“幻影会計領域”の痕跡も……」
(それ、魔導国家でやっちゃいけない帳簿魔法トップ3に入るやつだろ!?)
しかも、問題はそれだけでは終わらなかった。
経理部のナタリーが震える指で差し出したUSB型魔力石から、次々と表示される数字の数々──
「えっ、なにこの出費……“ネクロノミコン複製費”? “時空会議出席料”? “ドラゴン接待費”って……え?」
「“冥界経由の魔力送金”?」
「ちょっと、部長これ本気ですか? “来世の自己投資”って何に使ったんですか!?」
社内は騒然となった。
「このままでは、会社そのものが“魔導財政破綻”扱いになります!」
営業部のケルベロス族社員が、しっぽ3本をわたわたさせながら走ってくる。
「やばいっす、査察官、次は“会議室C-0”を調べるって言ってます! あそこ、実質“社屋さんの腹の中”じゃ……!」
俺はもう限界だった。
内臓(会議室)の床が勝手に歪むのを堪えながら、どうにか震えるサーバールームを落ち着かせ、思考した。
(このままじゃ、俺の内部構造まで査察されて、最悪“施設としての人格剥奪”──つまり、“ただの建物”に戻される可能性がある)
俺の存在が、認められなくなる。
これは──ピンチだった。
*
「……だから言ったでしょ。経理の帳簿に、“自動記録魔術”を使うときは、ちゃんと承認印つけておけって」
ナタリーの言葉が響くなか、俺の“胃”のあたり——つまり経理室にあたる部屋が、ほんのりと焦げ臭くなっていた。
問題の帳簿は、三冊目の決算報告書。財務担当のスライム種・ジュレッタが保管していたその帳簿には、古代文字でびっしりと魔力インクが記されていた。ところが、査察官の「魔力検証印」が押された瞬間、ページがめくれ、魔法陣が発動——。
ドンッ!
爆発というより、むしろ「魔力が熱く噴き出した」という方が近い。幸いにも怪我人はゼロだったが、経理室の天井が一部黒焦げになり、俺の内部にダメージが及んだ。
(あああああああ胃が痛い胃が痛い胃が痛い!)
「火消しだ! 火消しゴーレムを呼べ!」
「いや待て、ここでゴーレムを使うと床ごと抜ける!」
「消火魔法で行こう、ただし“風属性込み”で!」
「風はダメだって、紙が飛ぶから!」
パニックに陥る社員たちを見て、査察官の目がますます厳しくなる。
「……まさか、これは“意図的な隠蔽工作”ではあるまいな?」
(ち、違う! ただのミスです! 帳簿に自動防衛魔術を仕込んだ経理が悪いだけです!)
しかし声は届かない。そりゃそうだ。俺は社屋。しゃべる社屋。
査察官は魔導財務省の制服を正し、重々しく宣言した。
「この場において、調査対象を“高リスク企業”に一時指定する。異議申し立ては後日、中央決裁部を通じて行うこと」
(“高リスク企業”!? うちの営業、いまでも黒字ギリギリなんだぞ!?)
決算書の一部は燃え、再提出は必須。魔力検査は強化され、ナタリーは「次から燃える帳簿はファンタジーギャグとして処理します」と妙に悟った顔をしていた。
こうして、タナトス株式会社の“第七の危機”が始まったのだった。
*
決算書が半分焦げ、社内に緊張が走った翌日。タナトス株式会社の“胃袋”――つまり俺の経理室は、例の爆発の名残を残しながらも、なんとか再稼働していた。
「再印刷……っと。あ、部長印忘れてる」
ジュレッタがとろんとしたスライムの身体を揺らし、爆発で吹き飛んだ天井の破片を尻尾でかき分けながら、焼け残った帳簿を再構築している。
「ジュレッタ、書類の再提出期限は明日だ。午後二時厳守な」
「ふにゅ、頑張るぅ……。でも、こんなときこそ“経理は裏方の英雄”なんだよね、わたし」
(どの口が言うんだ。いや口はないか、ある意味ぜんぶ口か……)
俺はというと、昨日の炎上――いや、物理的な“燃焼”のせいで、未だに胃壁がヒリヒリしている。外装は平気だが、内部の再構成にエネルギーを使いすぎた。つまり、今の俺は「寝不足で消化不良を起こした社屋」だ。
そんななか、件の査察官が再訪した。
「ふむ……昨日の件については、中央での報告義務にとどめる。だが、同様の事故が続けば“魔導行政監視庁”への連絡も検討せねばならん」
(うち、そんな大事になる会社じゃないんですけど!?)
「一応、これが新しい決算書です!」
ナタリーが自信満々に提出したのは、ジュレッタと協力して再作成した“燃えない魔術処理済み”の決算書だった。魔力インクは使わず、紙自体も耐熱加工済み。見た目は普通なのに、実はかなりのテクノロジーと魔術を融合した最新帳票だ。
査察官はしばしそれを手に取り、静かに目を閉じる。
「……よろしい」
短く、重く、それでいてどこかホッとする一言が落ちる。
(助かった……!)
だがその刹那。
「ちょ、ちょっと待ってくださーい!」
廊下の奥から血相を変えて飛び込んできたのは、購買部のオーガ係長だった。
「うちの伝票がっ! 前月分まるっと“違う会社”に納品されてましたぁぁぁ!!」
俺の“腸”あたりがキュッと締まる。
(……まだ、終わっちゃいねぇ)
こうして、タナトス株式会社の混乱は、今日もまだ続くのであった。




