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#4 トイレが詰まると俺が痛い

朝、俺は違和感で目覚めた。


“目覚めた”といっても、眠っていたわけじゃない。建物である俺に、厳密な意味での睡眠は存在しない。あるのは、“低電力状態”みたいな、ぼんやりとした意識の海。


そこから浮上させたのは、明らかに異常な“感覚”だった。


──どこかが、膨れている。


しかもそれが、妙に重たくて、しかもぬるい。


(……は? え、まさか、これって……)


俺はそっと、内部センサをチェックする。


案の定だった。


【排水ルートA-3(西側女子トイレ・1F)に異常を検出】

【詰まり率87%|危険レベル:黄(中)】

【ガス圧逆流警告|消臭装置過負荷】


(……やめろ、現実から逃げるな。これは……詰まってる! 完全に!!)


俺はタナトス株式会社の“社屋”であり、“ドア”であり、そして“会議室”でもある。


が、それだけじゃない。


どうやら、俺の“体”には“水回り”も含まれていたらしい。


(いやいや、そんな話聞いてないぞ!?)


思い返してみれば、昨日、社内の清掃スタッフらしきスライム種が、


「明日は定期清掃だから、配管まわり気をつけてね〜」とノリで言っていたような気もする。


(まさか、“俺に”言ってたのか?)


だとしたら、もっと丁寧に言ってほしかった。いや、清掃計画書とか貼っておいてくれよ!


俺の“下腹部”あたり——構造的には1階奥の女子トイレだが、いま、そこが猛烈に膨れていて、内側から何かが主張している。


(やめろ、出るな。今はダメだ! 人もいるし!)


“排水”とは、つまり“流す”ことだ。


だが、“詰まり”とは、“流れない”ことだ。


そして今、流れないそれらが、俺の“腸”ならぬ配管を……内圧を……圧倒的な質量で……


──ゴボン。


(うわあああああ!?)


震えた。俺のフローリングが、1mmだけ震えた。


そして次の瞬間、俺の意識が一気に下がる。


耐えられない。


(ちょ、誰か、誰か来てくれぇええ!! なんでもするから! 配管工! 妖精でもドワーフでもいい! お願いだあああああ!!)


そこに現れたのは、ナタリーだった。


「……あれ? なんか、この辺、匂わない?」


(言うな、それを言うなあああああ!!!)


ナタリーは眉をしかめ、スマホでどこかに電話をかけ始めた。


「すみません、清掃部? 排水、詰まってません?」


希望の光が差し込んだ。


(ありがとう、ナタリー……やっぱお前、天使かも……ドラゴンだけど)


だがそのとき、彼女の背後から現れたのは、なぜか小さなトロール族の新入社員で──


「だいじょぶッスよ、俺、実家が配管業なんで!」


(フラグだ。これはもう、絶対に嫌な予感しかしない)


俺の“排水地獄”の幕は、いま開いた。


「どいてください先輩、これは俺の出番っス!」


元気よく工具バッグを構える小柄なトロール系新人、名前はコボルト・ミツル。身長はナタリーの腰ほどしかないが、手際は異様にいい。そしてなぜか、超笑顔だ。


「配管ってのはね、まず音と振動で状態を“読む”のが基本なんスよ!」


そう言って、俺の内部……というか、1階女子トイレの個室にずかずかと入っていく。ナタリーが眉をひそめるのも当然だ。


(おい、ちょっと待て、読まないで俺の腸を!)


「ふむ……この音、この感じ……詰まりの先に空気溜まりがあるっスね……」


なんか分析されてる! 俺の中身をそんなノリで理解されるの、正直すごく恥ずかしい!


「よし、ここで“逆圧リバース”っス!」


「は? ちょっと、逆圧って……ミツルくん、それ爆発するやつじゃ……」


ゴボッ!


(あっ)


ドゴォォォォォン!!!


内部から炸裂音がした。


俺の内壁がミシッと軋み、床材が一瞬浮いた。リアルに、痛みが走る。


(いったああああああああああいっっっっっ!!)


「うわっ!? な、なんか出てきた!!」


「……それ、配管じゃなくて……社長のサボテンじゃん……」


「うおおお!? ご、ごめんなさいっす!」


(社長室の観葉植物ォォ!? なんでそんなもんが排水に詰まってんだよ!!)


ミツルは顔を真っ青にして後ずさる。俺も軽く失神しかけていた。


そこに、救世主が現れた。


「まったく……見てられないわね」


冷たい声とともに現れたのは、総務部の副主任、種族はリリス。つねにクールな女性悪魔。赤いツノに高いヒール、そして無駄に決められたスーツ姿。


「排水のつまりには、これよ」


そう言って、手にしたのは——


「魔法洗浄液・業務用……だと!?」


「あら、知ってるの?」


「ネットで見た! 高位スライムの粘膜とエレメント精製水の混合液……“何でも溶かす”って噂の……!」


彼女は俺の中に魔法式を構築すると、その中心に洗浄液を注ぎ入れた。


ぶくぶくぶくぶく……


(おお……ちょっと……温かい……)


内部がゆるやかに解けていくような、不思議な快感が走る。


(うっ……すごい……これが、総務の力……!)


──数分後、詰まりは完全に解消された。


「終わったわ。あとは排水フィルターを付け替えるだけ」


「さ、さすが副主任……!」


「さて。あなた、“社屋くん”。次からは、ちゃんと排水感知したら報告しなさい。これは業務命令よ」


(……はい)


俺は、社内インフラと“しての責任”を、身をもって思い知った。


胃が痛い。いや、配管が痛い。


詰まりが解消されたと思ったのも束の間だった。


「社屋くん、大変です!」


清掃員のベテラン、スライム種族の“トメさん”が慌てて飛び込んできた。いや、正確には流動的に床を這いながら滑り込んできた。


「今度は男子トイレが逆流してます!」


(……マジかよ!!)


すでに全身——じゃなかった、全建築的に疲弊していた俺に追い打ちをかけるように、右側の配管系統が一斉にうなりを上げ始めた。これはもう完全な警告だ。悲鳴に近い振動が俺の“腰”を通じて伝わってくる。


(なんだこの圧力! 逆流どころか……噴火するぞ!?)


「ミツルくん、今すぐ逆圧弁を封じて! これ以上は無理!」


「先輩、それがですね……逆圧弁、トイレの奥の“保管室”とつながってたっス……」


「なんで!?」


「ていうか、なんで便器の奥が倉庫と直通なんだよ!!」


(ちょっと待て、それ俺の腸に相当するんじゃ!?)


そう、事態は単なる“トイレ詰まり”ではなかった。配管経路が異常に入り組んでいたのだ。それはつまり、俺の体内構造が“最初からバグっていた”ことを意味する。


(誰だ、設計したやつ! 今すぐ出てこい!!)


「これは……社屋くん、完全に“多次元構造型建築体”じゃない」


ナタリーがホログラム図面を眺めながら呟く。


「ってことは……このトイレ配管、異空間経由で倉庫や給湯室ともつながってるかもしれないってこと?」


「詰まるたびに、違う部署がダメージを受ける……」


「……最悪じゃん」


(うおおおお、こっちが言いたいわ!!)


──そのとき、異常な揺れが走った。


「男子トイレの第二便器、噴いたァァァァァ!!」


「配管がっ、応接室まで貫通したわ!」


「ぎゃあああ! コーヒーの中に何か混ざってる!!」


社内が、いや、俺が混乱の極みにあった。


胃痛。腸痛。建材の軋み。精神的苦痛。


すべてが限界に達したとき、ふと、俺の中で“あるスイッチ”が入った。


(もう、ダメだ……こうなったら、非常用防衛モード、起動!!)


俺の奥底にあった“何か”が動いた。


ガコン。ガコン。ズズズズ……


会議室の壁がせり上がり、天井から防災装置らしきアームが飛び出す。消火器、排水タンク、高圧スチームノズル。そして、中央に鎮座するのは、見慣れぬパイプの束と謎の制御核。


「ま、まさか……!」


ナタリーが目を見開く。


「社屋くん、自己修復モードに入った……!」


だが、それは“暴走”と紙一重だった。


(あ、あれ……ちょ、止まんない、止まんないぞ!?)


──暴走状態のまま、俺は全フロアの下水処理系統を強制再起動していた。


「排圧逆流、止まりません!」


「清掃班、全員配置につけ! 避難経路を確保しろ!」


「廊下が……廊下がヌメってるぅぅぅ!!」


廊下、会議室、応接室、果ては屋上庭園にまで異変が拡がっていく。俺の“腸”にあたる管が誤作動を起こして、まさに社内全体に“逆流する怒り”が押し寄せていた。


(うぅ……なんだよこれ、俺、ただの社屋なのに……)


でも、違った。もう「ただの社屋」じゃない。俺は、ここで働く社員たちの怒号も、哀鳴も、苦笑いも、全部“体感”してきた。


「社屋くん、お願い! このままだと、休憩室のプリンまで……!」


ナタリーの悲痛な声に、俺はようやく“正気”を取り戻す。


(……プリンは、守らねば……)


ギュイイイイン――!


内部にある謎の“制御核”が閃光を放ち、俺の全機能がリセットされた。緊急排水ルートが開かれ、圧縮された“汚水圧”が裏配管を通じて地中へと一気に流されていく。


ズドォォォォンッ!!


地面が揺れた。その衝撃で自販機が一台倒れたが、構わず水流は止まった。……ようやく、俺の“腹痛”も鎮まった。


「収束……した?」


「トイレ、生きてる?」


「プリン、無事……!」


社員たちがぽつぽつと動き始める。ナタリーがそっと俺の壁に手を当てた。


「……ありがとう、社屋くん。あなた、やっぱり“うちの仲間”だね」


俺は応えたかった。けれど、声には出せない。だからこそ、会議室の照明をほんのり優しいオレンジ色に変えた。それが俺なりの、感謝の“色”だ。


「じゃあ、次の問題は……」


「給湯室の蛇口が全部逆方向に回ってる件だね」


「あと、応接室のソファが“沈みすぎて出られない”って苦情も来てる……」


(……俺、もしかして、どんどん“不具合のあるスマートホーム”になってきてないか?)


──こうして、社屋=俺の“痛み”を通じて、会社という共同体の在り方を少しずつ理解し始めた一日が終わる。

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