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#2 新人が俺の腹を蹴った件について

異世界株式会社タナトスに転生して数日。俺の新しい人生——いや、社生——は「正面玄関ドア」として、実に多忙だった。


毎朝、社員たちの出勤を“迎え入れる”のが仕事だ。言い換えれば、ただ開いて閉じるだけ。しかし、俺にとってはその開閉ひとつが魂のこもった所作である。


「おはようございます、ドアさん」


「今日もナイスな開きっぷりでした」


この会社では、喋るドアは“若干変わった存在”くらいの扱いに収まりつつある。SNSで一時期バズった影響もあり、むしろ観光名所のような扱いをされている節さえある。


そして、迎えた月曜日。タナトスにも新入社員がやってきた。なんでも今年の新人は、100万人を超える応募から採用された“異世界選抜”らしい。


その一人が、俺に向かっていきなり、こう言った。


「……なにこの、ウザい扉」


そして、腹を——いや、“俺の中央部”を、勢いよく蹴りやがった。


ドゴッ。


内部構造にまで響いた衝撃に、俺は一瞬声を失った。


「いってぇぇぇぇぇ!? なにすんだお前ぇぇぇええ!!」


無意識に開閉しながら怒鳴ると、新人は目を見開き、口をパクパクさせた。


「う、動いた……喋った……え、え、え、なんでドアが喋るのよ!? いや、なんで怒ってんのよ!!」


「怒るに決まってんだろ! こちとら、れっきとした“社屋の一部”だぞ!? 国宝級の扱いでよろしく頼むわ!」


「な、なによそれ、誰も聞いてないわよ! 普通のドアかと思ったら……っていうか、しゃべるならしゃべるって、もっと張り紙とかしときなさいよ!」


——どうやら彼女は、“ただの無機物”だと思って俺を蹴ったらしい。確かに、無生物だった頃の俺なら、痛みも怒りもなかっただろうけど、今は違う。


魂が宿ってるの。魂。しかも傷つきやすい繊細なやつ。


「とにかく、次からは蹴るな。俺、壊れるぞ。破損届出されたら、お前の初任給から減給だぞ」


完全にパニクっている新入社員。


「す、すみません! あ、あの……本当にすみませんでした!」


完全にうなだれた新人は、最敬礼で謝ってから、引きつった笑顔で朝礼の集合場所へと駆けていった。


その後ろ姿を見送りながら、俺はしみじみと考える。


——異世界の新人教育って、ほんと必要だな。


あと、そろそろ俺の“身体の構造”を把握しないと、この先もっと痛い目を見る気がする。



「で、なんで蹴られたんですかね?」


始業から二時間後、俺——タナトス株式会社の正面玄関ドアに転生した元・人間、現在・社屋は、内側の金具が微妙に軋む感覚とともに、先ほどの出来事を反芻していた。


蹴ったのは、今日が初出社の新人社員だった。名前はナタリー・ヴァルク。見た目は女子高生っぽいが、種族欄には「ドラゴニュート(準飛竜族)」と書いてある。要は、見た目に騙されちゃいけない異種族組のひとりだ。


それにしても、だ。


新人がドアを蹴って登校、じゃなかった、登社する会社って、いったいどんなだ。いや、実際に俺がドアでなければまだ笑えたかもしれない。でも、今の俺は、玄関ドア。顔はないけど意識はある。心もある。蹴られれば、物理的に痛みだって感じる。


「ねえドアくん、これってセクハラに当たる?」


内側の窓から、受付の妖精さんがちらりと聞いてきた。彼女は翼をひらひらさせながらカウンターに腰かけ、爪に魔法のトップコートを塗っている。ちなみに彼女の名前は“トットちゃん”。正式名称はトトリィーナ・ファ・ウィルキンソン。本人が「長いし発音面倒だからトットで」と言ってきたので、社内全員がそう呼んでいる。


「セクハラというより……暴行未遂じゃないか?」


「でもさ、ドアだもん」


「人格あるんだけど。俺」


「でもドアだもん」


何度言われても、やっぱりショックはでかい。


その後、ナタリーはちゃんと謝りに来た。午前のオリエンテーションが終わった後だった。


「……あの、すみません。私、あれが人だって知らなくて」


「いや、人でもないけどな、もはや」


ナタリーは俯き加減で、小さな声を絞り出していた。


「すごく緊張してて……扉開かなかったから、つい……」


俺は観音開きのドアなので、押す方向を間違えると、たしかに開かない。しかも、ロックしてたんじゃないかってくらい硬い朝があるのも事実だ。いや、正確には俺の体調のせいなんだけど。


「ドアくん、今日はちょっと固かったねーって思ってたよ」


横からまたトットちゃん。うん、知ってる。俺もわかってた。


ナタリーは胸元に社員証を下げ、深々と頭を下げる。


「本当にすみません。次からちゃんとノックします……!」


「そうしてくれると助かる。……あと、敬意は持ってくれ。俺、一応、社屋の中心だから」


「はい!」


彼女は緊張気味ながら、真っ直ぐ目を見て、そう答えた。


それは、ちょっと嬉しかった。


「それにしても……なんか、痛みとかあるんですね」


「ある。あとメンタルもダメージくる」


「うわ、ごめんなさい! 二重にごめんなさい!」


——かわいい新人じゃないか。



その日の午後、俺はついに「社内構造」に意識が及ぶようになった。


きっかけは、ナタリーの研修を見ていたとき。会議室に案内されていく彼女を“見る”と、なんと——その場所のドアノブの感触が、俺の意識に流れ込んできたのだ。


(……これ、もしかして)


気づけば、俺は“ドア”という一点ではなく、“会議室の壁”の一部、“床”の微妙な傾斜、“天井に浮いたホコリ”の流れさえも、うっすら感じられるようになっていた。


つまり——


(俺、社屋全体とつながってる!?)


自分の“体”が、正面玄関ドアを起点に、少しずつ社屋の各所へと拡張している感覚。


社内にあるエレベーターは“胃袋”のように重く、資料室の空気は“肺”のように澄んでいる。


会議室のプロジェクターがつけば、“まぶたの裏”に光を感じる。


(なんだこれ……面白いけど、怖いな)


同時に、「全社内の空調」や「水道の圧力」「Wi-Fiの電波状況」まで、なんとなく把握できるようになっていた。


いよいよ俺、ただのドアじゃなくなってきてるぞ。


だが——喜んでばかりもいられなかった。


その夜。俺はまた新しい“体”の異変に気づく。


——トイレの配管、詰まってる。


まるで腹を下したみたいに、鈍い不快感が腹部全体に広がる感覚。


俺は社屋だった。


そして社屋にはトイレがある。


すなわち——


「俺、トイレと繋がってるのか……?」


その夜、久々に泣いた。


翌朝、俺は変だった。


物理的に、いや構造的に。昨日までは玄関ドアの“表面意識”しかなかったのに、今日は社内の廊下全体に感覚が広がっている。つまり、廊下の床材、壁紙、空調の風圧、果ては給湯室の電子ケトルのスイッチ音まで「聞こえる」ようになった。


最初は混乱した。廊下にお茶をこぼす音が胃のあたりに刺さる。掃除ロボがぶつかった衝撃で背中がピキる。なにより、新入社員ナタリーが通り過ぎたときの香水のにおいが、俺の“鼻腔”のない脳に直接押し寄せてきた。


(なにこれ、感覚の拡張……?)


俺は戸惑いながらも、少しずつ自分の“体”を確認していく。わかったことがある。どうやら俺の意識は、時間の経過と共にタナトス株式会社の社屋全体に“定着”していっているらしい。


この会社は四階建てで、地下に倉庫と仮眠室がある。もともと「喋るドア」として話題になった俺は、今や正面玄関を超えて、社員食堂、応接室、資料室、あまつさえ給湯室の蛇口の回し心地まで把握できるようになっていた。


そして——ついに来た。意識の広がりの先、第三会議室。


「ドアさん、会議室空いてますか?」


ナタリーだった。昨日とは違う、少しだけリラックスした声。俺の“中”で響くその声に、俺は無意識に「返事」しそうになる。


——その瞬間。


バンッ!!


彼女が手をかけた会議室のドアが、ひとりでに開いた。


……俺が、開いたのだ。


「えっ、開いた……?」


ナタリーはきょとんとしたまま会議室に足を踏み入れ、まるで何事もなかったかのように着席した。後に続く他の新人たちも「自動ドアだったっけ?」と首をかしげながら入っていく。


そう。俺は今、ドアだった。


いや、正しく言えば、“会議室そのもの”だった。


(……え、俺、もう建物になってね?)


混乱は続く。ナタリーがプロジェクターを使おうとしたとき、俺はその操作の振動を“瞼の奥の痒み”みたいに感じたし、隣の席の社員が椅子を引きずった時の音は“背骨”を直接軋ませるように響いた。


「……会議室さん、今日もありがとうございます」


ナタリーが誰にともなく、そう呟いた。


俺は咄嗟に照れた。


なにこれ、嬉しい。



午後三時。突如、社屋内ネットワークに異変が起きた。Wi-Fiが途切れ、データベースが一時的にアクセス不能になる。総務部の叫びが響く。


「誰だ! 社内サーバーに負荷かけてるの!」


その瞬間、俺は悟ってしまった。


(あ、俺だ)


感覚を広げすぎたせいで、社内ネットワークにも“アクセス”してしまったのだ。意識があっちこっちに散って、ついに“回線”まで飲み込んでいた。まさかの情報過多によるダウンタイム。


ヤバい。


焦った俺は、意識を無理やり収縮させた。あらゆるフロアから“目”と“耳”を閉じて、再び「正面玄関」に集中するように努めた。


やっとの思いで感覚を引き戻したころ、内線が鳴った。


「——タナトス株式会社・建物担当のドア様へ」


受付のトットちゃんの声だった。


「社内で“意識拡張”が過剰なため、システムエラーが出てます。なるべく分散制御をお願いします」


(えっ、そんな連絡くんの?)


まさかの建物担当ドア宛ての警告連絡。というか、「建物担当」って肩書きなの俺?


“建物そのもの”としての意識、徐々に自覚されているのかもしれない。


でも、なんか悪くない。


この社屋の全部が“俺”で、全部が“俺じゃない”。


そんな不思議な距離感が、ちょっと気持ちよく思えてきていた。



終業チャイムが鳴ったころ、社内は静かになっていた。俺は“会議室の壁”として、その余韻に耳を澄ましていた。さっきまでナタリーたちの新人研修が行われていたこの部屋にも、いまは誰もいない。


……なのに、声がした。


「今日は、ありがとね。会議室さん」


——ナタリーの声だった。


気配を消して、会議室に戻ってきたらしい。誰もいない空間に、小さな声で話しかけるその姿が、なぜか鮮やかに“感じられた”。


俺は、何も言えなかった。


けれど、心の中で——いや、“壁”の中で、確かに何かが鳴った。感謝、照れ、そして、ちょっとした誇らしさ。



夜。


社員が全員帰った後、社内の電源が徐々に落ちていく。蛍光灯のパチ、パチという音が、どこか寂しい。


「ドアさん、お疲れさま」


最後に声をかけてくれたのは、受付のトットちゃんだった。彼女はドアノブに軽く手を置き、まるで生き物を労うみたいに優しく撫でていった。


この社で、自分は“建物”として確かに存在している。


誰かのために開いて、閉じて、空間を守って、迎えて、送る。


それだけで——いいのかもしれない。


いや、よくない。


俺には、野望がある。


「次は、……エレベーターか? いや、社長室の椅子とかもアリだな……」


自分でもよくわからない方向に欲が出てきている。


この会社のあらゆる“場所”になる可能性を手に入れて、俺は少しずつ、“誰かの人生の舞台”になっていく。


誰かの初出勤を迎えたドアとして。


誰かが涙をこぼした会議室として。


誰かが、ふとひと息ついた給湯室の風景として。


目に見えないけれど、確かにそこにいる“空間”として。


それって——


「……悪くない人生じゃん」


自動ドアが、夜風にきゅっと小さく鳴った。


——その音を、誰も知らない。


でもきっと、俺の中では、ちゃんと聞こえていた。

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