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#15 やめた社員が呪詛を撒いている件

午前八時。出社直後のナタリーは、眉間に皺を寄せて社内端末を見つめていた。


「……このメール、昨日のうちに既読つけたはずなんだけど」


念のためにもう一度開くと、本文が変わっていた。


 『見てないくせに、“見た”って言うなよ』


一瞬、背中が冷たくなる。冗談か、それともウイルスか。


「……マリー?」


呼びかけても、社内AIのマリーは沈黙を守ったまま。代わりに、端末の画面が明滅し、不穏な黒いもやのようなエフェクトがにじみ出る。


ナタリーは端末を閉じ、フロアを見渡した。

がらんと静まり返る執務室。朝のざわめきが、どこか歪んで聞こえる。


──やめたのに。

──なのに、忘れられた。

──わたしは、ここにいたのに。


誰かの“声”が、ノイズのように響いていた。


その瞬間、社屋(=三田)は激しい“耳鳴り”にも似た揺らぎを感じた。

建物全体に染み込むような、重たい未練の波動。これは……“霊的干渉”だ。


「……やめた社員か。いや、ただの幽霊じゃない。これは、記録に残らなかった“想念”そのものだ」


フェリアがそっと天井を見上げた。透き通った耳が、空間の圧を敏感に察知していた。


「誰かが、ここに“戻ってきてる”……でも、自分じゃ気づいてないのかもしれません」


社内AIのマリーが、ようやく音声で応答を返した。しかしその声は、まるで誰かと混線しているように、途切れがちだった。


「わたしは──いま──誰のデータを──読み込んで──る──?」


「マリー、アクセスログの確認を。最後に削除されたアカウントは?」


〈……ユウマ・タチバナ。所属、旧・開発支援部。昨年退職〉


「聞いたこと、ない名前」


「記録にも、ほとんど痕跡がない……」


ナタリーがつぶやく。

忘れられた社員。消された存在。

その想念が、いまWi-Fiに“乗って”戻ってきた。


フェリアがぽつりと言った。


「“忘れてほしくなかった”──そんな気持ちが、残ってしまったんですね」


三田は、社屋の心臓部からすべてのログを走査しながら、深く息を吐くように語った。


「……除霊、だな」


その一言で、社内に再び火が灯る。


次の瞬間、ナタリーのスカートの裾がふわりと揺れた。

まるで、誰かがすぐ背後で息を吐いたような感触とともに──


第16話、幕が上がる。今度の敵は、“忘れられた記憶”そのものだった。



社内ネットワークの奥底──通常社員のアクセス権限では触れられない記録層に、ひとつだけ“消されたはずの履歴”が残っていた。


三田は、建物意識の中枢を通してそのログを掘り起こす。古いメンテナンスフロアの機器に埋もれるようにして、ユウマ・タチバナのアカウントが微かに揺れていた。


《ログイン状態:不定/接続形式:無線(社内Wi-Fi)》


「完全に、社内のどこかに“居る”……なりすましじゃない。これは、アクセス元そのものが霊的に存在してる」


社内AIマリーの処理能力をフルに使っても、アクセス元の“場所”は特定できなかった。ログは不規則に社内を移動し、フロアをまたぎ、階層を飛び越える。


「電波じゃない。あれは、念だ」


フェリアが、集中しながら言った。

透明な耳がかすかに震えている。


「気配が、……あちこちでぶつ切りになってます。未練が“分散”してる。多分、在職中にいた場所全部に、残ってるんです」


ナタリーは腕を組み、社内地図に視線を落とす。


「タチバナって人、どんな部署にいたんだろ。開発支援部って、もう解体されたセクションだよね?」


「3年前まで。開発系プロジェクトの裏方、雑用とサポート中心。誰の目にも止まらず、記録にもあまり残ってない……。でも、残業記録だけは異常に多い」


マリーが淡々と語る。

──記録のない会議出席

──不明瞭な指示系統

──誰にも評価されなかった勤怠記録


「これ、いわゆる“社内ゴースト”だった可能性が高いね」


ナタリーの表情に、いつになく沈痛な色が混じった。


「いたのに、いなかった人間……?」


「ううん、“いたことにされなかった人”。これは……重いよ」


フェリアがふと、社屋の奥──地下階のとあるデッドスペースに視線を向けた。


「あそこ。昔、旧開発支援部の資料庫だった区画。もう使われてないはずなのに……空気、動いてます」


「セキュリティが反応してない。誰かがそこにいるなら、記録されるはずだが……」


三田は、内部構造を走査した。──が、確かにその区画だけ、妙な“影”が揺れている。


しかも、Wi-Fi信号もそこを経由して断続的に跳ね返っていた。


「……ここが本拠か。あるいは、“いちばん居たかった場所”だったかもしれないな」


社内の空気がじりじりと重くなる。室温は一定のはずなのに、データログ上は“冷気”のような急激な温度低下が記録されていた。


「これは……警告?」


ナタリーがつぶやいた瞬間、画面が唐突に暗転。

社内すべての端末が、同時に“画面消失”する。


次に現れたのは、ただ一言。


 『私は、ここにいた』


その言葉とともに──室内の電灯がバチン、と音を立てて一斉に落ちた。


非常灯の赤い光に照らされるフロアで、ナタリーが低く声を落とす。


「……やるしかないね。除霊っていうか、これはもう、社内環境の再構築だよ」


「誰にも知られなかった人間の存在。それを、会社という“建物”が記憶していた……。なら、俺がちゃんと、受け取るしかないか」


静かに、三田は地下資料庫へのアクセスゲートを解錠した。


社員たちは、怨霊の想念が眠る場所へと向かう──

まるで、“存在証明”を取り戻すかのように。



地下資料庫区画。

使用されなくなって久しいそのフロアは、まるで時間が止まったかのような静寂に満ちていた。壁はところどころ剥がれ、棚の一部は傾き、書類が崩れかけたまま──誰の手も入らない空間。


しかしその静寂の中に、確かな“視線”があった。


フェリアが小さく息を呑む。

「……視られてる。じっと、ずっと前から……」


ナタリーが懐から取り出したのは、彼女が趣味で調合していた簡易式の霊感煙素(ポーション型お清めミスト)。

散布と同時に、棚の隙間に残っていた紙束が風もないのにばさばさと震えた。


「来るよ。多分、“記録”が向こうから応答してくる」


赤く揺れる非常灯の下、旧式のターミナルが突如起動。画面には、壊れたフォントで文字が流れ始める。


 『タチバナ・ユウマ』

 『認識拒否:存在記録エラー』

 『認識拒否:存在記録エラー』

 『存在を返せ』


直後、棚がひとつ、轟音を立てて崩れ落ちた。

──誰かがそこに“立っていた”かのように。


フェリアの耳が震え、背後の書類ラックが勝手に開閉を繰り返す。


「自分を思い出してほしい、って……でも、方法が分からないまま、暴れてる」


ナタリーが肩を張り、声を張る。


「こっちは忘れてない。開発支援部のユウマ・タチバナ。記録は薄くても、ここにいた証拠は残ってる。私たちが、それをちゃんと見てる!」


風もないのに、ナタリーの言葉とともに、辺りの空気がぐるりと回転したように感じられた。目に見えない“何か”が、警戒を解いた……ように、思えた──その瞬間。


ず、と。

ただ一つの影が、赤い非常灯の下に浮かび上がった。


──顔のない人影。


黒いスーツ、落ちかけた名札、でも文字が擦れて見えない。

その影はただ、床にぽとぽとと黒い液体のようなものを滴らせながら、ナタリーに向かって歩いてくる。


「……タチバナさん、ですよね?」


ナタリーの声が震える。


「名前、ここに書きます。残します。わたしたちの“記録”に」


彼女は手に持っていたスケッチブックを取り出し、表紙にこう記した。


《ユウマ・タチバナ ──開発支援部 在籍3年 勤続記録確認》


そしてページを開いて、一行。


《いたよ》


影が、止まった。


次の瞬間、赤い非常灯のすべてが一斉に点滅し、部屋中に“破裂音”のような振動が広がった。Wi-Fi接続が一瞬だけ完全に遮断され、同時にターミナルの画面に変化が訪れる。


 『存在認証……完了』

 『ログアウトしました』

 『ありがとう』


静かだった。


ぽたり、と液体の音が止まる。

その“影”も、次第に淡くなり、ただの埃に紛れて消えていった。


三田は、静かに呼吸を整えるように建物全体の温度調整を再起動する。フェリアが、言った。


「……今の、“成仏”ってことですか?」


「正確には、社内ログからの削除完了、だろうな。でも、それは“救い”でもあるはずだ」


ナタリーがスケッチブックを抱え、ポツリとつぶやいた。


「名前が残るって、誰かの世界に“いた”ってことなんだよ」


“いなかったことにされた人間”の名が、ようやくどこかに刻まれた。


あとは、もう──静かな日常が戻るだけ。



怨霊騒動から一夜。地下資料庫の異常ログはすべて無害化され、社内Wi-Fiの“変調”も無事解消された。

翌朝、総務部は一部フロアを封鎖しつつ、内部報告書を回覧。表向きは「旧端末におけるサイバー干渉の疑いあり。対応済み」とだけ記されていた。


だが、関係した者たちは知っている。

──それが、消されかけた“誰かの記録”だったことを。


社屋である三田は、静かな午前の空気の中、総務の作業を眺めながら思っていた。

「存在が消されるって、どういう感覚なんだろうな」


廊下を通りかかったナタリーが、立ち止まる。


「……たぶん、“誰の人生にも残ってない”って、気づいた瞬間が怖いんだと思います」


彼女の腕には、昨日書き記したスケッチブックが抱えられていた。

その表紙には、まだ“ユウマ・タチバナ”の名がはっきりと残っていた。


ナタリーは、スケッチブックをそっとファイルボックスに納める。

「このページ、社内資料には載せません。代わりに、ここにだけ残します。“誰か”のためじゃなく、自分が忘れないように」


「……ありがとう。きっと、それで充分なんだと思う」


三田がそう思ったのは、たった今、資料庫のログファイルに奇妙な記録が一行だけ残っていたからだった。


 《旧開発支援部ログ:整理完了。タチバナ・ユウマ “ログとして残存”》

 《保存者:不明》

 《備考:整理済》


保存者──誰でもない。

けれど、それは確かに「いた」という事実を、建物そのものが覚えている、ということだった。


その日の午後。フェリアが、ナタリーの机にそっと何かを置いていった。

手のひらサイズの名札。表面は新しく磨かれ、「ユウマ・タチバナ」という名前と共に、こう記されていた。


《在籍記録:開発支援部/期間:3年/退職日:不明》


「勝手に作ったんです。だから、誰にも見せません。ただ──机の隅に置いておくだけで、充分かと」


「ありがとう」


ナタリーはその名札を、そっとスケッチブックの上に並べた。


──この会社では、“いたこと”が残される。

たとえ、もう本人がいなくても。


三田の視点がふわりと上へ向く。

天井、壁、床、柱、光。

すべてが今日も、社員たちの“在る”を支えていた。


「よし、次のトラブルが来る前に、ひと息入れて──」


その瞬間、どこからか、ふにゅん……という不吉なような可愛らしいような声が響いた。


「……また、何か起きるのか?」


そう思うのはまだ早い。

ここは異世界企業、しかも俺は建物で──。

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