#14 社内カーストと俺の階層
異世界企業・タナトス社の一日は、今日も騒がしい。
朝の出社ラッシュがひと段落すると、社屋──つまり俺・三田の感覚センサーには、微かな震動が走っていた。
(……また誰か、勝手に地下へ行こうとしてるな)
直後、地下階層へ続く“重量制扉”のセキュリティが作動した。
「ルーヴァくん、待ちなさい!」
受付のトットちゃんが、キラキラと音を立てて走り出す。
「ちょっとだけ……ほんとにちょっとだけ見ようと思ったんです!」
その背中には、まだ新人研修中の若き火竜族・ルーヴァ・ブランク。相変わらず熱意が空回りしている。
「勝手に地下に行っちゃだめだって、言ったでしょ!?あそこは“新人研修中”の社員には制限があるの!」
「でも……総務の副主任さんが言ってたんです。“魔獣も地下なら飼える”って……」
「だからって、付き添いもなしに突っ込むのはダメ!」
彼の言うことにも一理ある。実際、モカちゃんやフリードルは地下の設備を活用して飼育・運用されている。
だが、彼らは“認可済み”の社内魔獣であり、行動もある程度制御されている。
研修中のルーヴァに、同じ権限があるわけじゃない。
案の定、地下のセキュリティが彼の侵入をブロックした。
──バンッ!!
「うわっ!」
「ほらああああああああ!!!」
トットちゃんの声が天井に響き渡る。
そのやりとりを、社屋の俺はただ見ているだけだった。けれど──その直後、違和感に気づく。
(……“地下”のアクセスログ、最近、妙に偏りがあるな)
セキュリティ端末から流れ込むログを覗くと、アクセス回数には不思議なパターンがあった。
──階層により、アクセス権限が微妙に違う。
(上層部はフルアクセス。営業部は半分。総務は“主に1階”。……あれ、技術部だけ“全フロア許可”?)
嫌な予感がした。
「おはようございます、三田さん」
そこへやって来たのは、新人総務部員のフェリア・リィ。耳が透けていて、どこか儚げな雰囲気を持つ彼女は、今日も静かに勤めを果たそうとしていた。
「地下、今日も行けないんですか?」
「うん……私たち、“行けない階層”って、意外と多いの。総務は“地上のサポート部門”って扱いだから」
ぽつりと呟いたその言葉は、どこか寂しげだった。だが──その言葉で、俺は確信する。
(やっぱり、“部門ごとに格差がある”。それも、制度として)
タナトス社は多様性を謳う企業だが、それは“種族”だけの話ではなかった。
“職種”や“部門”によって、見えない格差が敷かれている。
──これは、危険な兆候だ。
そして、その“格差”は、階層構造そのものに刻み込まれている。
俺の体、つまりこの社屋そのものが、差別の“舞台装置”になっているなんて──
(……気づかなければよかった)
けれどもう、気づいてしまった。
俺がこの会社で“生きる”なら──この問題と、いつか向き合わなければならない。
──階層の壁は、意外と分厚い。けれど、目に見えない分、もっと厄介だ。
*
昼休み。食堂では各部署ごとに固まったテーブル配置が、無意識の“壁”を作っていた。
「えっ、地下フロアって、行けるとこ限られてんの?」
カルロスが疑問を投げると、ナタリーがスープを啜りながら淡々と答える。
「ええ。営業部は“許可申請すれば通行可”という扱いですが、技術開発部や研究部は常時フルアクセス。総務や庶務、受付は……ほとんど制限されたままです」
「そりゃ、部署ごとの役割ってもんが──」
「階層構造そのものが、“職種差別”に結びついてる可能性があるわね」
割って入ったのは、リリス族の総務副主任。ヒールを鳴らしながらやってきたその口調は、いつも以上に鋭かった。
「私たちが自由に歩けるのは、地上1~2階のみ。会議室ひとつ取るにも、技術部の承認が必要だったりする」
「え、俺たち営業は3階から上も行けるけど……?」
「それが“違い”よ」
食堂が静まり返る。
「別に、上に行けたからって偉いわけじゃない。でも、行けないと“見えない情報”がある。“関わりにくい人間”が増える。……それが、格差」
その場にいた誰もが、うっすらと感じていた現実だった。
そして、その視線はひとりの人物に集まる。──社屋、つまり、俺・三田に。
(まるで、俺が“差別の舞台”だと言わんばかりだ)
……いや、実際そうなんだろう。
この建物、つまり俺の体は、階層によってアクセス制限が設けられている。
情報端末や扉は、個人IDに応じて“開くか否か”を選ぶ。
その設計を、俺自身が制御しているわけじゃない──だが、俺の“意思”と無関係とも言えない。
「三田さん、聞こえてるよね?」
ふと、耳に届く声。ナタリーだった。
視線は前を向いたまま、パンをちぎりながら、静かに語りかけてくる。
「あなたが悪いわけじゃない。でも、あなたの“体”が、現実として“格差”を作っているのも、事実なの」
(…………)
「少しずつでもいい。直せるなら、直してほしい。そうじゃないと──この会社、いつか歪むわ」
彼女の言葉は、強く、冷静で、真っ直ぐだった。
まるで“責めて”いるわけじゃなく、ただ、諦めずに伝えてくれている。
その声が、なぜか胸に響く。
その瞬間、俺の内部回路に、小さな“提案通知”が浮かんだ。
──《社屋管理システム・権限設定 一部手動変更可》
(……できるのか? 本当に?)
“自分の体”の構造に手を入れるのは、言うなれば“自分自身の価値観”を問い直す作業でもある。
けれど、このまま放置すれば、会社全体が“分断された組織”になってしまう。
……俺は、自分のことを“社屋”だと諦めるつもりはない。
けれど、“社員たちの居場所”でいたいとも、思ってる。
そのためには──きっと、やらなきゃいけない。
「フェリアさん」
呼ばれて、食堂の隅でひとりサラダをつついていた彼女が顔を上げた。
「地下に行ってみませんか?」
ナタリーが声をかけた。
「階層の“壁”は、社屋が作ったもの。でも、それを越えられるのは……社員である、私たちの意志かもしれない」
フェリアは一瞬戸惑ったが、そっと頷いた。
(よし、俺も応えよう)
社屋の基盤に、少しずつ変更指示を送っていく。
──目に見えない“差別”を、少しずつ崩していく作業が、いま始まろうとしていた。
*
午後の社内は、静かに熱を帯びていた。
──いつもの風景。なのに、少しだけ、違う。
「……開いた?」
地下への通用口──“第3設備搬入口”と呼ばれる重厚な扉が、フェリアの手で静かに開いた。
「うん、いつもはアクセス制限に弾かれてたけど、今日は……」
背後にいたナタリーが、わずかに目を見開いた。
「三田さん、これって……」
(ああ、設定変えた。今だけ、君たちのIDで通れるようにしてある)
三田──つまり社屋の“意志”が、静かに社員たちの行動を見守っていた。
ナタリー、フェリア、そして受付のトットちゃんまでもが、連れ立って階段を降りていく。
「わ、地下ってこんなふうになってたんだ……!」
コンクリート打ちっぱなしの通路に、パイプと魔力伝導管が無造作に走っている。
ところどころに設けられた観察窓の奥では、研究員らが白衣姿で何やら作業中だ。
「初めて見る設備ばっかり……!」
「こっち、倉庫? あっちは魔獣飼育区画って書いてる!」
「ってことは、モカくんの元の部屋もあるってこと?」
──社員たちの好奇心が、階層の壁を越えた。
一方、研究部のドクトは、突如モニターに映った“見慣れぬ顔ぶれ”に目を細める。
「……ああ、“地上の連中”か」
その声には、明らかに棘があった。
カミラも同様だった。機器の調整をしていた手を止め、淡々と言い放つ。
「無許可でこの階に入ったなら、手続き違反よ。仮に社屋が許可したとしても、それは“制度”の否定になる」
「でも、見た目で判断していたら、何も変わらないわ」
フェリアの声がか細く、しかししっかりと響く。
「見下ろされていた場所から、私たちが何を感じたか、知ってほしかったんです」
「……それが、“見学”の目的?」
カミラがじっと彼女を見つめる。
「階層を超えるってのは、“見る側”じゃなく、“見られる側”にもなるってことよ?」
「ええ、それでも──」
フェリアは言葉を選びながら続けた。
「もし、私たちが『何も知らない』まま業務を進めていたとしたら、それはただの“見えない分断”です」
カミラはため息をつき、魔力コンバータの計測装置を指さした。
「なら、そこのケーブル巻いといて」
「えっ?」
「“総務の新人”がどこまでやれるか、こっちも見せてもらうわ。ここは戦場よ。あなたの観察眼、本物か試させてもらう」
フェリアが小さく頷き、すぐに指示を確認して動き出す。
(……この光景を、俺はどこかで見たことがある)
三田の意識は、かつて“人間”だったころの営業研修を思い出していた。
──勝手がわからない場所に飛び込み、空気の違いに戸惑い、居場所を探す新人。
でも、誰かがそれを“見る”ことが、理解の第一歩になる。
「ところで、あの変なピンクの子は?」
トットちゃんがしゃがみ込んで、ガラス越しに中を覗き込む。
「モカちゃん、やっぱりこっちの区画に来てたんだ~!」
巨大なイケボ魔獣モカが、ノソリと尾を振ってトットの姿に反応する。
ひさしぶりの“再会”に、魔獣が低く鳴いた。
「久しぶり、元気だった? またおやつ持ってくるね!」
その声に、研究部のスタッフも思わず笑みを漏らす。
(これが、“扉”を開くってことなんだな)
通路の天井に埋め込まれた照明が、ゆっくりとフェリアたちの頭上を照らしていた。
(もう、階層はただの“構造”であって、“隔たり”じゃない──そう言える日が、来るかもしれない)
三田はそう思いながら、そっと地下へのアクセスログを保存した。
“誰が、どこに行ったか”。
“誰が、どこに入れなかったか”。
その履歴は、“差別の痕跡”を洗い出す、大切な第一歩となるのだった。
*
その夜。社屋の最下層、旧サーバールームにて──
三田は、かつて社長室だった空間に己の意識を沈めていた。
(……階層は、物理的な区分だけじゃなかった)
地下の出入口、アクセス権限、通路の自動ロック、ラウンジの使用条件。
それらの大半が「職能評価」と「勤務年数」によって制限され、無意識に“上下”が作られていた。
(人間だった頃の俺だって、無自覚にやってた。部長は上、経理は裏方、技術は陰キャ……そういう偏見。今、それが構造として残ってる)
自分が、会社そのものになって初めて、はっきりと理解した。
“差別は、悪意じゃなくても起こる”。
──たとえ、誰も悪気がなかったとしても。
そのとき、通気ダクトから、ひょっこり顔を出したのは“セラピーモンスター”のフリードルだった。
黒い毛並みに青白い模様が浮かび、彼は音もなく傍らに寄り添う。
「……お前には、見えてたのか?」
フリードルは答えない。ただ、黙って三田の中枢配線を鼻で突いた。
その先に浮かぶのは、フェリアが地下で巻いたケーブル。ナタリーが手伝った配線図修正。
そして──カミラが残した一言。
《“見る側”じゃなく、“見られる側”にもなるってことよ?》
(……ああ。俺が“見られて”たんだな。ずっと)
それは、社屋としての“責任”であり、“力”の使い道でもある。
*
翌朝。三田は、全フロアに同時通達を発信した。
【社内規定改定案:階層アクセスのフラット化試験運用について】
・一部階層制限を解除し、申請不要での業務横断を可能とする
・役職や所属にかかわらず、共用区画への立ち入り権限を見直す
・地下施設については週1回、見学時間を設ける
「……え、これって“全部門アクセス可”ってことですか!?」
ナイアが目を丸くし、マーナが腕を組んで唸る。
「まさか、社屋がここまで踏み込んでくるとはね……」
「でも、必要ですよ。今の時代、“所属だけで仕事を語る”のは古いです」
カミラが呟くと、受付のトットちゃんがにっこり笑った。
「じゃああたし、今度モカちゃんと一緒に“お昼の地下探索ツアー”ってやつ、企画しようかな♪」
その発言に、フェリアがそっと手を挙げた。
「総務として、企画書の草案、私がまとめます」
一方、営業部では──
「やべっ、地下アクセス許可出たってことは、またあの魔獣がうちの冷蔵庫まで来るんじゃ……」
カルロスが青ざめ、ナタリーがため息をつく。
「ちゃんとルール決めておかないと。あの子、“氷菓”しか狙ってないから」
社内に少しずつ、“風通し”が生まれていく。
差別の壁は、すぐには崩れない。
でも、それが“構造”であるなら、変えるのは、まずこの“社屋”から。
──そして、社員たちが自分の意思で“階層を超える”ようになったとき、きっと本当の変化が訪れる。
「……今日の空調、少し優しいですね」
フェリアがそう呟いたとき、三田はそっと室温を0.2度下げた。
(階層なんて、ただの階数だ)
誰かの意志で、どこまでも昇れるものだ──そう、信じて。




