#13 人事がドラゴンを採用した
──それは、朝礼前の静かなひとときだった。
社員たちが始業準備を進める中、社屋・三田の天井パネルの一枚が、突如として爆音を立てて吹き飛んだ。
「上!? え、上!?」
バリバリバリバリッ!
全フロアの通信回線に同時多発的なノイズが走り、次の瞬間──頭上から“何か”が墜落する。
床に叩きつけられたのは、紅色の鱗を纏った、まだ若い個体のドラゴンだった。
「……ルーヴァ・ブランク、ただいま到着しましたっ!」
自らの名を名乗ったその“新人”は、炎の尾を引くような視線で周囲を見回しながら、礼儀正しく頭を下げた。
が、床には直径3メートルのクレーターが生じ、破壊された天井パネルは中央制御区画の隅に突き刺さっていた。
──そこへ駆け込んできたのは、受付のトットちゃん。
「ちょ、ちょっと!? 社長、今度は何の冗談ですかああああ!」
「私じゃない。たぶん……新人?」
「新人が、空から……?」
その後ろから現れたのは、黒と銀のジャケットをまとい、左目に透明な単眼鏡をかけた長身の女性──“目利きのマーナ”こと、マーナ=ラチェット。人事部の精鋭、種族問わず“5秒で適性を見抜く”と社内で噂される人物だ。
「……やっぱり、あのバカ営業か。ジョークで“空から入社歓迎”とか書くなって言ったのに」
その隣には、小柄な猫獣人の女性、ナイア=シェイフの姿もある。彼女は“試用期間担当”として、現場に向く人材かどうかを即座に判断するプロだった。
「空からのエントリーは初めてですね……書類ではなく、物理的に」
「正門を通るという選択肢はなかったのか」
マーナがため息混じりに呟く。
一方、ルーヴァは真面目な表情で、理由を述べていた。
「御社の観光パンフレットに“空からの着陸歓迎”と……小さく書いてありました。小さすぎて、“冗談”の文字、読めませんでしたっ!」
「またカルロスか」
三田──社屋として転生した元・人間の三田啓介──は、破壊された天井部の自己修復を進めながら、ルーヴァの“燃焼出力”と“魔力密度”を内部センサーで計測していた。
(……すべての指標が規格外。だが、知性と感情制御は未熟。これは、扱いを間違えると災害だな)
一方のマーナは、すでに端末を開いてルーヴァのエントリーシートを確認していた。
「魔石大学“上層炎術学部”主席卒。論文テーマは、“対魔物交渉における熱圧演出の効果検証”。……営業向きではないわね」
「ですが、志望動機が……」
ナイアが表示された画面を指差す。そこには、たった一行。
《自分の力で、“役に立ちたい”と思いました》
その言葉にマーナは一瞬、目を細める。
「……熱意だけでビルに突っ込む時点で、危うい。でも──こういう人材ほど、火種としておもしろい」
彼女は短く笑った。
「採用は継続。仮配属先を検討する。あくまで試用期間だ。次に天井を落としたら、外壁に隔離するからな」
ナイアが耳をぴくりと動かしながら頷く。
──こうして、空から降ってきた新人ドラゴンは、正式にタナトス社の“試用社員”となった。
だがこの事件は、単なる始まりにすぎない。
(……また、厄介な奴が来たな)
三田の処理ログには、すでに赤い警告ランプが点滅を始めていた。
*
社屋・三田の内装復旧処理が終わる前に、ルーヴァは早速「新人研修プログラム」に組み込まれた。だが、タナトス社の新人研修が“普通”であるはずがなかった。
「よし、初日は現場同行ね」
ナタリー・ヴァルクが書類片手に歩み寄ってくる。彼女は自分より新しい社員にはしっかり面倒を見る主義で、しかもなぜか“火属性の新人”にやたらと縁がある。
「この配属、嫌な予感しかしません」
その隣で、カルロスが青ざめていた。彼はこの研修計画に「観光エリア案内」が含まれていることを知っていたからだ。案内対象は、観光客向けの“発光水晶迷路”──火を扱うドラゴンにとっては、事故率が跳ね上がる場所だ。
「熱源センサー、反応過敏になってますよ? ほら、ルーヴァの近くのパネルがもう真っ赤ですって」
「平気だ。ちゃんと温度調節、覚えました」
「お前の“ちゃんと”は信用できない……!」
ナタリーは涼しい顔で進行を続ける。
「ルーヴァ、業務中はまず“観察”ね。顧客対応はまだ早いし、まず社内マナーと礼儀作法から覚えてもらうから」
「はい! 全力で覚えます! じゃあ、どこから壊せば……じゃなくて、どこから見れば!」
一同が一瞬凍りつく。
「とりあえずその語彙、修正しようか」
グラント・ベアード営業部長が後ろから割って入り、肩をポンと叩く。その巨大な手に押されて、ルーヴァの炎もやや鎮静化する。
「研修中に事故起こしたら、そのまま解雇だぞ」
「し、します! 事故は! 起こしません!」
「声がでかい!」
その様子を社屋である三田は静かに観察していた。
(……ルーヴァの出力制御は甘い。だが、指示を無視するタイプではない。問題は──自己判断が早すぎることだ)
総務の副主任(リリス族女性)がヒール音を響かせながら通りがかり、ぼそりと呟いた。
「あと一つパネル落としたら、総務として正式に天井破壊費用を給与天引きします」
それを聞いて、ルーヴァは表情を引き締めた。
「ご、ごめんなさいっ! それだけは、避けたいです!」
「そこは“努力します”くらいに留めとけ。若者にしては素直だが、加減が極端すぎる」
トットちゃんも少し心配そうに様子を見ていた。
「ま、まあ、まだ初日ですし……そのうち落ち着くと、思いたい……です……よね?」
(全然信じてない声だな)
三田のセンサーは、今日一日だけでも7件のヒヤリハット報告を検出。すでに警報システムが一部“ルーヴァ優先対応”に設定変更されていた。
その日の午後、ついに事故が起きた。
──火災報知器の誤作動だった。
原因は、ルーヴァのくしゃみ。熱感知器が過剰反応し、一時的に警報が社内全域に響き渡る騒動に。
ただし、火は出ていない。彼なりに努力して“熱量を抑えた”くしゃみだったのだ。
だが、それを知っていても、周囲は騒然とする。
「ルーヴァ、鼻栓する? ってか、魔法でくしゃみ抑えられないの!?」
「す、すみません! 炎出したつもりはなかったんですっ!」
──研修初日の終わり。ナタリーは肩をすくめてため息をつきながら、報告書を手に戻ってきた。
「まあ、ゼロ災ってわけにはいかないけど。……案外、頑張ってたかもね」
「本当ですかっ!」
「本当かどうかは、上が判断すること。私は“マシになってきた”とだけ言っておくわ」
一方、人事部のマーナは、社内から上がってきた数十件の報告を読みながら、ぼそりとつぶやいた。
「……火種としては、予想通りだな」
そしてその“予想通り”が、次なる問題を生み出していくことになる。
*
翌日。ドラゴン新人・ルーヴァの社内研修2日目。
「ルーヴァ、あなたの業務記録見たけど、移動ルートに“通気ダクト”って何?」
ナタリーの声が冷え切っている。
「すみません! 最短距離で向かえばいいかと思って!」
「そうじゃない。そうじゃないけど、ちょっと待って。どうやって入ったのよ?」
「空から!」
「そこは“通気口”を通った、の間違いでしょ!? いやどっちにしろダメだけど!」
すでに空調部門が抗議文を提出していた。天井裏の温度が急激に上がり、精密機器が一部ダウンしたのだ。
社屋・三田の処理ログにも異常が記録されていた。
(通気管経由での“焼け焦げ”──あれ、電子制御系統が部分的に熱障害を受けてるな……)
三田はバックアップルートで回路を修復しながら、あえてルーヴァ本人には注意を促さなかった。
(――人事部の目利きが“使える”と判断したなら、しばらく泳がせてみよう。彼がどこで、何にぶつかるのか)
だが、その“ぶつかり先”は、思わぬ場所から現れた。
昼過ぎ、社内の中央フロア――観光部門と技術開発部が接するエリアで、ルーヴァは初めて“冷たい目”に遭遇する。
「また新人か……どうせ“飛べる”ってだけで採ったんだろ?」
嫌味たっぷりに吐き捨てたのは、技術開発部のカミラ・ヴォルク。蛇人族の血を引く長身の女性社員で、表情はほとんど変わらないが、視線は鋭い。
「貴女は……どなたですか?」
「お前の世話を焼く義理はない。こっちはこっちで、壊された端末の修理に追われてる」
その背後で、透けた耳をピクピク動かしているのは、総務のフェリア・リィ。気まずそうにルーヴァを見た。
「昨日、空調システムが焼けて……技術部、徹夜だったらしくて……」
「ご、ごめんなさい!」
「言葉はいらない。……ちゃんと“働いて”見せろ。でなきゃ、ここでは生き残れない」
その冷たい一言が、ルーヴァの中にじんわりと火をつけた。
「──わかりました。……ちゃんと、役に立ってみせます」
夕方。
通気口の封鎖、移動経路の指定、熱管理マニュアルの再教育。ルーヴァのために3つの新規ルールが制定された。
「……一日で社則が増えたの、私初めて見ましたよ」
カルロスが苦笑する。ナタリーは無言でその隣に立ち、記録書を読みながらぼそり。
「でも──そのぶん、対応力はある。……私より、覚えは早いかも」
「……マジかよ。いや、俺が劣等感覚えるのも違うけどさ……」
そこへ、グラント部長がやってきた。
「……三田、聞こえてるか? 明日から、ルーヴァを“社外出張班”に試験同行させてみる」
(社外、だと……?)
三田の内部システムがざわめく。
(このタイミングで、外に? 彼はまだ、社内ですらまともに──)
「いいんだよ。ああいう奴は、狭いとこにいると爆発する。だったら、外に出して燃えさせた方がマシだ」
社屋としての立場からすれば、“外”は管理不能な領域。しかし同時に、試される場所でもある。
──果たしてルーヴァは、“燃やす”だけでなく、“照らす”ことができるのか。
「三田。俺たちの社は、異種族だらけだ。だからこそ、“異物”を迎え入れる度量が問われる」
(……この会社に、まともな基準なんてなかったはずだ。だが、“人材”には真面目に向き合う。それがこの社の──)
《企業理念:すべての力に、役割を。》
社屋・三田の中心回路に、その文字が浮かんでいた。
*
翌朝。始業チャイムとともに、ドラゴン新人・ルーヴァが社屋の正面エントランスに立っていた。
今日は“地上からの入場”である。
「おはようございます! 本日は空からではなく、地に足つけて出社いたしますっ!」
誰に言うでもない宣言だったが、受付にいたトットちゃんが笑った。
「ちゃんと“出社手順”守れるようになったねぇ〜! 立派、立派っ!」
「昨日いろんな人に怒られて……反省しました。今日からは“社会人ドラゴン”として、全うに働きます!」
──と、勢いよく挨拶した次の瞬間、背後でフロアタイルが“パキィッ”と音を立ててひび割れた。
「……ルーヴァくん、飛ばないだけじゃダメだよ。歩く時の魔力制御、ちょっと強すぎ」
ナタリーがすっと現れて、すかさず指導を入れる。
「は、はいぃ……!」
一方、社屋・三田の視覚センサーには、ルーヴァの姿がやや変化して映っていた。
(昨日よりも、動きに“空間認識”の精度が増している。……つまり、彼は学んでいる)
昨日の失敗──通気口への侵入、熱障害、同僚たちとの摩擦。
それらが彼の中に残り、形を変え、吸収されている。社屋として、これは明確に“成長”と判断できた。
午前中は、カルロスの補佐として営業資料の運搬・説明補助を担当。
「失礼します! こちらが先日ご要望いただいていた、視覚型モンスター対応の反射防護窓です!」
「うおっ、声デカい! いやでも……その熱意、伝わるな」
客先の反応も上々だった。午後は、ナイアの推薦で技術部の一部観察業務に入る。
客先の反応も悪くなかった。午後は、ナイアの推薦で技術部の作業観察に入る。
「こっちの試験装置は……扱わない。見るだけ。いいね?」
淡々としたカミラの言葉に、ルーヴァは神妙に頷いた。
しばらく無言で観察していた彼は、ふと雑巾を手に取り、試験装置の台座を丁寧に拭きはじめる。
「……何してるの? 指示してないけど」
「汚れていたので、つい……なんとなく気になって」
カミラが片眉を上げた。
「その“なんとなく”で高熱部品に触れてたら、火傷じゃ済まないんだけどね」
ルーヴァが一瞬固まり、手を止める。
だがカミラは、わずかに声を和らげた。
「でも……そういう直感、大事よ。訓練すれば、きっと武器になる」
その言葉に、ルーヴァはゆっくりと頷いた。
*
夕方。三田の本体回路に、1件の“社内評価通知”が届く。
──件名:《新人・ルーヴァの社内適応進捗について》
内容は簡潔だった。
・物理破壊率:改善傾向
・対人摩擦:やや減少
・自己抑制力:伸びしろあり
・態度:真摯、前向き
総合評価:採用継続、社外活動可
そこに署名されていたのは、“目利きのマーナ”。
(やっぱり、“五秒で見る目”は、ダテじゃないな……)
そしてその日の夜。
社屋の最上層、非常用バルコニーにて、ルーヴァがひとり、暗い空を見上げていた。
「……俺、やっぱり、空が好きです。でも、あの会社で働けるなら……地上でも、悪くないかも」
そう呟く彼の背後に、ナイアが現れる。
「ねえ。あんまり調子に乗ると、また床抜けるよ?」
「わっ、すみませんっ! いま浮いてました!」
「あはは、冗談だよ。……でもね、ルーヴァくん。あなたが地上を歩けるようになったってこと、それ自体が大事な一歩なの」
ナイアの耳が、ぴこりと揺れる。
「“社会人”ってのは、飛ぶことじゃない。どこにいても、他人とちゃんと“距離”を測って、生きていくこと」
「……はい」
「まだまだダメなところ、いっぱいある。でも、だからこそ──」
「──成長の余白があるってこと、ですよね?」
「……正解」
夜風が吹いた。
ルーヴァのマフラーが揺れ、バルコニーの下では、夜間警備の魔法灯がぽつぽつと点灯しはじめていた。
社屋・三田はその風を感じながら、ひとつのファイルをメモリに保存する。
【新人社員:ルーヴァ・ブランク】
種族:竜族
所属:営業部/試用中
特記事項:着地未完、熱量過多
備考:まだ、面白くなりそうだ
──この会社にとって、“トラブル”とはすなわち、“成長のタネ”である。
そして今日もひとつ、若き火種が、静かに地を踏みしめた。




