#1 目覚めたら、俺がドアだった
──転生したらドアだった。
なんの比喩でも誇張でもない。本当に、ドアになっていた。
「おい新人、ドア開けろって言ってんだろ!」
怒鳴り声と同時に、がつん! と衝撃が走る。ぶつけられたのは、俺の顔──いや、正確には、扉としての顔部分だ。頑丈なスチール製。重厚感あるウッドパネル仕上げ。異常にピカピカしてるのは、妙に手入れされている証拠なのか、あるいはそういう素材なのか。
(なんだこれ……?)
まず痛みがない。視界もない。けれど、“自分が今ここに存在している”という感覚だけは妙にリアルだった。
自分が『ドア』であることに、俺はうっすら気づき始めていた。
思い返せば、昨日──いや、たぶん昨日の話だった。
帰宅途中の交差点で、信号を渡ろうとした瞬間、視界の隅に猛スピードで突っ込んでくるトラック。
その直後、痛みもなく意識が遠のいた。気がつけばこの状態だ。
(あのトラック……異世界転生かよ……)
よくある話。最近ではネット小説でも定番中の定番。異世界に転生するなら、剣士とか魔法使いとか、せめて人型を希望していた。
まさかの、建造物。
しかも、社屋の『入り口』であるドアだった。
「おっせぇぞ、新人! ドアが自動で開かねぇなら、手で押せ!」
(やめろ、俺を蹴るな!)
蹴られるたび、微妙に金属音が響き、体──じゃない、俺の“構造”に振動が走る。だが、怒りをぶつける術はない。俺はただのドアなのだ。
けれど、どこかおかしい。この世界、完全にファンタジーな異世界というわけではなさそうだった。
「ようこそ、株式会社タナトスへ!」
ドアのすぐそばで、受付嬢の声が響く。現代的なデザインのロビー、観葉植物、ウォーターサーバー──だが、その向こうには、宙に浮かぶ巨大なフローチャートや、魔法陣のように回転する会議資料らしきスクリーンが浮遊している。
(ビジネス……ファンタジー?)
この会社、どうやら“異世界企業”らしい。
そう、俺は『異世界企業の社屋』に転生してしまったのだった。
だが、なぜ俺に“意識”がある? ドアのくせに思考できるのはおかしい。
「新人の三神くんだよね? とりあえず社内案内するから、こっち来て」
受付嬢が手招きする。
彼がドアを開けた瞬間、俺の『脳内』にじんわりと暖かい何かが流れ込んできた。まるで、脳がスイッチを入れられたような感覚。
(あっ……あ……声が……)
「……う、あ……あの、俺、なんか喋れそうなんですけど……」
どこから出た声かわからない。
けれど、たしかに“喋った”という感覚があった。
受付嬢が振り返る。新人も立ち止まる。そして……
「今、ドア……喋った?」
「……あのさ、いま喋ったよね? ドアが」
「え、いやいや、気のせいっすよ先輩。ドアが喋るわけ──」
「しゃべった! 確実に! 『俺、なんか喋れそう』って! 敬語ですらなかった!」
新人と先輩社員のやり取りが続く中、俺は絶賛パニック中だった。いや、パニックになりたいのに、なれないのはなぜだろう。鼓動も息もない。喉も心臓もない。なのに焦る。なんか、こう、バイブレーションしてる。建物としての震えってやつ?
(マジでどうなってんだこの世界!)
「おーい、システム部! またドアに精霊バグ出てるぞー!」
(精霊バグ!?)
受付嬢の叫びに、奥の方から白衣を着たエルフが数名、すたすたと現れた。そのうちの一人が俺──というかドア──にペタッと手をあて、真顔で呟く。
「うん……これは“憑依転生型オーバーソウル型企業資産”だね。レア案件。うちで扱うの初めてかも」
「まーた言葉がややこしいよ……」
「簡単に言えば、“人間の魂が会社の建築物に入っちゃった”パターン」
(簡単じゃねぇよ!)
「よし、通訳プログラム入れとくから。音声化レイヤー装着、っと」
俺の内部、つまりヒンジあたりから「ピロリン♪」という電子音が鳴り、世界がまた一段クリアになった。
「……お、おい……いまの音は……?」
「うん、これで喋れるようになったでしょ? 自己紹介してみて?」
(マジか……よし、やってみよう)
「えっと……俺、三田。元・社畜。現・ドア。なんかすいません……!」
「しゃべったーーー!!」
「しかも自己紹介で社畜って!」
社内に悲鳴とどよめきが走る。俺はもはや羞恥心を忘れかけていた。いや、羞恥心というより、羞恥“機構”がない。羞恥センサーがついてないドアなのだ。
「とにかく……俺は“会社”になったらしい。どうすりゃいいんだよこれ……」
「とりあえず、社員証出してもらえますかー?」
(出ねぇよ!)
「ドアなのに社員証とか出るわけ──あ、でももしUSBポートついてたらヤだな……」
「おい、そこのドア、メールボックスある?」
(ある。なぜか標準装備だった)
「よし、新人研修のプリントとか突っ込んどこ」
(俺、郵便受け扱い!?)
*
それからというもの、俺の“社屋生活”が始まった。
ドアとしての人生、もとい社生は想像以上にハードだった。俺は毎朝、出社ラッシュに巻き込まれ荷物をぶつけられ、昼には弁当の匂いを吸い、夕方には営業の愚痴を聞き、夜には恋愛相談まで受けるようになる。
でも……悪くなかった。
会話できるのは限られた社員だけ。たまに感度の高い新人や、魔導技術に強い開発職が「お、しゃべれるドアじゃん」って絡んでくる。社屋の一部でありながら、居場所がある。人間だった頃より、誰かと繋がってる感じがあった。
ある日、営業の女の子がこう言った。
「ドアさん、話せるってだけで、なんかホッとするよね。会社に入る前に“おかえり”って言ってもらえると、ちょっと元気出る」
その言葉が、俺の中の何かを変えた。
(俺はドアだけど、人の気持ちを受け止められるドアになれるかもしれない)
*
「すみません、ちょっと聞いてくださいよ〜」と泣きながらタバコを吸う営業部の藤森に、何故か相談役として扱われるようになった。
「ドア先輩……俺、マジで無理っす。あの女部長、ぜったい俺のこと嫌ってるんすよ……っていうか、契約書三枚も出させて、どういう神経してんだよ……」
俺が返事を返せるわけでもないのに、彼は律儀に毎晩立ち話していく。そして帰り際には、なぜかドアノブに「おつかれっす!」と一礼していくのだ。なにその忠義。
そして、ある日の夕方、例の営業・藤森がまた来て、泣きながら言った。
「ドア先輩……俺、今日、言っちゃったんす。部長に、“俺、このままだと辞めるかもしれません”って……」
(えっ、それは……)
「そしたら、部長が泣き出して、“あなたが辞めたら、私も潰れるわよ”って……なんかもう、逆に結婚したい」
(展開早くない!?)
その瞬間、俺の中のなにかが弾けた。ドアとしての限界を超え、俺は叫んでいた。
「……オメデトウ……!」
藤森が、はっとした顔でこちらを振り返る。
「え……今、ドアが……祝福してくれました……?」
やばい、また喋った。しかもわりと真心込めて。
翌朝、社内は騒然としていた。「喋るドアがいる」とSNSでバズったらしく、受付に観光客まで来ている。
「これが、タナトスの“しゃべるドア”っすか?」
「さわっていいかな」
「ドア界のバズリ神だな!」
おいやめろ。ドア界って何だ。界隈、あんのかそこ。
その日の午後、社長室から人がやってきた。
「……これが例の、知性を宿したドアか」
白衣を着た科学者風の男が、俺の前でメモを取りながらつぶやく。
「実に興味深い。“非生物型転生体”としては過去最速で意識芽生えを起こした例だ。これが我が“タナトス社”の希望になるかもしれん……」
(なにそれ、俺、なんか重大な存在なの?)
──こうして俺は、社員たちの相談相手から、“社屋革命の鍵”として、会社の運命を左右する存在になりつつあった。
でも、まだ俺はドアだ。しかも、たまにきしむ。