七月の帰路
息が詰まる感覚。そして、すぐにペンを握る手の力が強くなる。ギュッと目を瞑る。それでも、鮮明に見えてしまう。
どうしてふらふらしているあの子がいいの?あの子以外でも、ただ愛想がいい子の、ただ優しい子の、ただ趣味が似てるの子の、ただ明るい子のどこがいいの?
真っ直ぐ求めている私のどこがダメなの?
貴方は私の1番だけど、私は貴方の何番目なの?
貴方のことを本当に愛しているのは私だけだよ。
それなのに……。それなのに……。
私はばっと勢いをつけて席を立った。勢いを付けないと立ち止まってしまいそうだったから。一歩、一歩進む足取りが重い。すでに勢いは殺されかけていた。でも、もうここまで来た。戻ることは出来ない。
目前になった。この数センチでも、まだ遠い。
でも、私は壊す、貴方とあの人の幸せを。
2人で帰られたりしたら辛い。
心の中で呟いた「ごめんなさい」は胸の高鳴りによってかき消されてしまった。
「あっ、あのっ!」
だめだー……。何を話したらいいか思い付かない。せめて考えてから来ればよかった。
「何か今日、咽喉痛いんだよねー……」
あぁあ。適当なこと言っちゃった。突然斬り込んじゃったし、流石に引かれるよね……。
「水いっぱい飲んだら?」
意外にも返事をしてくれた。表情はさっきと違い、真顔寄りだけど……。あの子に向いていた視線は私に移っている。これはいける。そう確信した私は右手を貴方の机に置いた。
「もう沢山飲んだよ!」
「じゃあ龍角散でも舐めたら」
ちょっとぶっきらぼうな言い方だけど、間違いなく興味を持ってくれている。
「確かに。丁度家にあったような気がする」
「ええやん」
「龍角散ってさ、たまに咽喉痛くなくても舐めたくならないです?」
「分かる。美味しいよな」
彼は机の横に掛けておいた自分の鞄を手に取った。それは話したくないという気持ちの表れ?それとも、一緒に帰りたいのかな?
いや、そんなことは無いか……。けれど、このチャンスを逃すことは出来ない。
私はダッシュで鞄を取りに行った。たのむ……、待っていてくれよ……!
時間的には数秒も経っていないはず。だけど、一抹の不安によって酷く長く感じられた。
振り返る。彼はまだそこに居る。目線はどこを向いているかわ分からない。待ってくれているというご都合解釈をしておこう。ポジティブシンキングは精神安定剤だ。
ようやく辿り着くと、彼は教室の外へと歩み始めた。
私はいそいそと付いて行った。彼は私のことを横目でチラッと見た。少し微笑んでいる気がする。もう、ここからは一気にいくしかない。
「龍角散おいしい!」
「ティッシュおいしい!!」
「ティッシュおいしい!!!」
こういうノリを言い合えるときが幸せ。本当はもっと心からの会話をしたいけどね。まぁ、楽しいから悪くない。
「私、昔、砂とか食ってたらしい」
「俺、ビスコの袋食べたてた」
「何で?」
貴方のことなら何でも知りたい。私のことはどうでもいい。貴方の話だけずっとさせて。ずっと……。
「おいしくて、つよくなるって書いてあったから、袋も食べたらいいのかなって」
今、私が笑っているのは話が面白かったのか、可愛かったのか。
「そんなディスコ……、あっ、あっ、ディスコじゃないビスコ!ビスコ!」
素で間違えた。普通に恥ずかしいな。
でも、彼が私以上に笑っているのでよしとしよう。ディスコ、ディスコ言いながら、笑われているのはちょっとウザいけどね。
まぁ、自分でも笑っちゃってるから無問題。
「……ビスコの袋、美味しかったですか?」
「うん。ビスコの味がほんのりとした。キマるかと思った」
「キマるな、キマるな」
前もかっぱえびせんでキマってたな。私はふと思い出した。
校門に先生が立っていた。「さよなら」とさりげなく言ったので、私達もそう言った。
ねぇ、先生。私達仲いいでしょ?だから、もうちょっと一緒にさせてよ。私達を引き剥がそうとしないで……。
先生以外も、誰も彼も、私から彼を奪わないで。
って、思ったけど私だってあの子から奪っているのかな……。で、でも、あの子は好意は持ってないよね……。愛想振りまいてるだけだよね。
というか、貴方もいい加減、私の想いに気付いてよ!こんなに必死に一緒に帰ろうとしている私。どう考えても特別扱いしてるでしょう?
「あー……、今日帰ったら塾かー」
「いつも塾、塾言ってない?毎日あるの?」
「いや、そんな訳ないやろ。週2」
「いいなぁ。私、週4、たまに週5」
「うわー……。きつ……。大丈夫なん?」
心配してくれている?いや、それは勘違いし過ぎか。
「全然!むしろ塾ないと、全く勉強しなくなるからありがたい」
ここで話していること。
隣で歩いていること。
笑ってもらえること。
その全てが嬉しいんだ。
でも、もっと、この距離を縮めたい。今、当たりそうになった手を繋ぎたい。
そんな思いが心を動いめいて、けど、そんな所はまだ見せられないなって気が付く。伝えたい。それだけなのに、なぜ、難しいんだろう。
あなたじゃなくてもいい。誰かにぶちまけたい。
「みやっこーは賢いやろ?」
少し悪戯っぽくからかう。
「いやいやいや……。全然!逆に貴方の方が勉強できたり……しない?」
「えー……。できないけど。でも最近は結構頑張ってる」
「偉いなぁ」
あぁ、偉いなぁ。私とは違って。
なまじにノー勉でも点数が取れてしまうから、努力する気が湧かない。まぁ、勉強が出来なくても怠惰な性格に変わりないと思うが。
「というかさ。話は変わるけど、昨日、生徒会室から合唱が聴こえてきたのは何で?美術室、隣だからめっちゃ聴こえてきたんだけど。みやっこーは生徒会やんな?」
「あー……。すみません、うるさかったですかね……?」
「うーん……。まぁ、ちょっと……。今度は声掛けるかも」
流石に騒がし過ぎるかなとは思ったし、まぁ、当然か。
「何であんな歌ってたん?」
「なんかー……、2年生の合唱コンの選択曲に……ってこれ言っていいんかな?」
「何で?」
「明日、合唱コンの曲選ぶやん?私は生徒会だから先に知っているけど、多分、他の人には言っちゃダメだと……。まぁ、良いか!」
「大丈夫か」
「絶対言ったことは言わんといてね」
「言ったら?」
「道連れ」
「おkおk」
若干、不安になりながら説明した。
「2年生の合唱コンの選択曲の中に、私のクラスでやった曲がその中にあってな。それを、勧める為に歌ってた」
「おー……。意味分らん」
いや、まぁ、そうですよね。自分達でも多分よく分ってないし。それか、私の説明が下手なのか。後者の可能性が高いか……?
ただ、若干、笑っているから良いか……。
「楽しそうやね。生徒会」
「えー……うーん……そんなに……」
「何で?」
「だって私、コミュ障だし……」
「確かにそれは辛いな」
「そうなんだよねー……。この前もさ、生徒会のイベントの準備関連で、今年赴任して来た全然知らん先生とマンツーマンで話し合って、もう心臓バックバクやった」
「そんなに?」
「え?だってほぼ初対面やで?」
「ちょっとキツイけど、まぁ……」
「凄いな。私は高橋先生とかでも話す時、普通に緊張するし」
「それは流石にコミュ障過ぎん?」
本当に私はコミュ障拗らせてるよな。高橋先生は比較的、話しやすいタイプの教師ではあるけど……。
「そもそも、先生という職業自体がそこまで好きじゃない」
「へー、そうなんや。何で?」
「絶対にそんな事は無いんだろうけど、何というか下に見られてそうな感じがしてしまうねんなー……」
「いやいやいや。それは……」
「分かってるよ!?絶対にそんな事無いって!そりゃ極一部、悪い心を持った人もいるけど、そりゃ殆どが善意で動いてくれていると思っているよ。でも、それでも、やっぱ苦手……!」
「まぁまぁ、分からんでも無いけどな」
「多分、自分への自信の無さを誰かのせいにしたいんだと思う」
「俺も自信とか無いなぁ。自信を持てる様になりたい」
「だよねー……。自分で自分が嫌いなの誤魔化したいから」
本当に何時になったら自尊心が取り戻せるんだろう。何時まで経っても自分が嫌いなまま。でも……、皆もそう思っているって考えたら楽かな……。
そう考えていると、駅が見えてきた。私はこの駅を使って登下校している。適当に話していると直ぐに駅へと着いた。
「あれ?みやっこーは電車やった?」
「うん、貴方は?」
「バス」
「あぁ、駅前の?」
「うん」
そして、バイバイ、と言った。またな、という声を聴いて、私は駅舎へと入って行った。
交通系ICを改札に優しく当てて、ホームのベンチに座った。
疲れが一気に押し寄せて来た。安堵という訳では無いけど、緊張の糸が途切れたお陰で体の力が段々と抜けていくのを感じた。
あぁ、やっぱりまだあの人と話す事は容易な事では無い。
上手く喋れていたか不安だ。それに、暗い話題も結構してしまった気がする。
後悔ばっかだなぁ……。でも、こんな後悔も出来るようになれたのかな。
もう、挨拶が出来た程度じゃカステラは買わない。じゃなきゃ、幾らお金が有っても足りゃしない。
そう思うと、ちょっとだけ笑みが零れる。
すると、駅構内に音楽が鳴り響く。2番ホームに列車が来る旨を伝えるアナウンスの後、直ぐに電車はやって来た。
ラッキーだと思いながら私はゆっくりと立ち上がり、扉が開くのを待った。