5、植物園にて
「ギリアム〜、アイン〜」
エスメラルダは騎士団の訓練場の入り口から、中にいるギリアムとアインの姿を見つけて大声を上げた。木刀で打ち合う音が響く訓練場でなんとか二人に声が届き、こちらを振り向いてくれた。
ちなみに声が大きすぎたのか二人以外もかなりの数がエスメラルダの方へ顔を向けた。エスメラルダはすごく見られてるな〜と思いながら、二人がこちらに来てくれるのを待つ。
廊下ですれ違ったオーウェン団長から、今は自由訓練の時間だからとエスメラルダがお邪魔する許可は頂いていた。つまり誰に何を言われようが怖いものなしである。
「エスメラルダさんっ。お久しぶりです。どうしたんですか?」
「渡したいものがあってきちゃった」
先にたどり着いたアインは汗を滴らせながら、愛想良く挨拶した。頬に浅い擦り傷あるのに気づいたエスメラルダは汗が傷に沁みてしまうと思い、ハンカチでアインの汗を拭う。
「頬、怪我してるよ。訓練大変なんだね」
「あ、ありがとうございます。ハンカチ汚れます!大丈夫ですよ」
「それあげるよ。汗いっぱいかいてる。水分ちゃんととりなよ?」
アインは顔を赤くして小さくお礼を良い、汗を拭いた。照れさせてしまったことに気づいたエスメラルダはこれは弟が欲しくなる!とユランの気持ちがわかった気がした。
「お待たせしました。どうされましたか」
「あ、ギリアムもお疲れさま。ごめんね二人とも、訓練中に。団長には許可とってるから」
ギリアムもアイン同様に汗をかいている。エスメラルダはもうハンカチは無いなぁと呑気に思いながら、二人に紙袋を渡した。
「実はコドルの干し肉が完成したの!ぜひ二人に先に食べて欲しくて持ってきちゃった」
「えっ!開けてみてもいいですか?」
「どーぞどーぞ。クッキーもついでに焼いてきた」
「わぁ!ありがとうございます」
アインは紙袋を早速開け、嬉しそうにしている。ギリアムは戸惑いながら袋を開け、干し肉とクッキーが別々の袋に可愛く包まれてるのをみて、じんわりと嬉しくなった。
「ありがとうございます…嬉しいです。まさか持ってきて下さるだなんて」
ギリアムは遠征後にオーウェン団長に報告をして任務が完了すると、なんだか寂しさを感じてしまっていた。いつもと違う濃い時間を過ごしたからだろう。お世話になった第二騎士団の方々とは顔を合わせたときは挨拶し軽い雑談をする仲になった。しかし第三研究所のエスメラルダやユランとは仕事上全く関わりがなくなってしまい、なかなか話す機会もない。遠征の時はずっと一緒だったため余計に疎遠になったように感じていた。
アインも似たようなことを思っていたようで、また遠征について行けないかなぁと話していた。
そんな寂しさも薄れてきたときに、花のような明るさを持ったエスメラルダがわざわざ訓練場まで来てくれた。まだ繋がりがあったんだとギリアムは嬉しくなる。
「二人には先に直接渡したかったの。頑張ってもらったしね。じゃあ訓練がんばってね」
「…あの!」
去ろうとするエスメラルダをギリアムは思わず引き止める。寂しさがジワリと滲んだから反射のように声をかけてしまった。
「あの、この後のお昼、食堂で一緒に食べませんか?」
厨房に向かうエスメラルダの姿を食堂で見ていたギリアムは咄嗟にそう口に出す。
「あ〜…ごめんね、お昼はいつも植物園の方でペットと一緒に食べてるの」
「植物園?」
「ペット?」
ギリアムとアインの疑問が重なり合う。敷地内にそんな場所あっただろうか?ペットを職場で飼っていいのだろうか?
「第三研究所の隣に私の研究室として小さめの植物園があるんだよ。この前せっかくだから案内すればよかったね」
ニコニコとエスメラルダは二人の疑問に答えていく。
「そこで雪猫と雪亀を育ててるの。もう二匹とも平均より大きくなっちゃってさ〜。野菜しか食べないのに不思議だよね」
「雪猫…って特殊生物の?」
「そう!どっちも白くてね、乳白色っていうのかな。もう本当にかわいいの!」
雪猫も雪亀も一部の地域にしか生息しない特殊生物である。王都でお目にかかれるなんて聞いたことがなかったギリアムは驚きを隠せなかった。
「じゃあ食堂でいつも野菜をもらっていたのはそのペットのご飯だったんですか?」
「そうそう!ギリアムよく知ってるね。お昼はその子たちとご飯食べて、お手入れとか体調チェックもしてるの」
なんだ、そうだったのかとギリアムは長年の謎が解けたような爽快感だった。
「僕、雪猫も雪亀も見たことないから見てみたいです!」
アインは特殊生物が好きだったので興味津々である。まさか飼っている人がいるだなんて思いもしなかった。
「アイン君たら物好きだね〜!植物園は人には危ない薬草とか生えてるから、基本私以外は入れないの。でも、たまぁに施設の周りを散歩させることあるから、その時は二人呼ぶね。きっと気にいるよ」
「わ〜嬉しいです!楽しみにしています」
「…ありがとうございます」
ギリアムはアインのついでだとしても自分も誘ってもらえたことに嬉しくなった。
昼食は一緒に食べれなかったが、エスメラルダのことがまた一つ知れて、次の約束もできて、ギリアムはもう寂しさが消えていた。
エスメラルダを見送った後、二人は他の団員から質問攻めにあい、クッキーと干し肉を死守し、その日の午後の訓練は一段と力を入れて取り組んだ。
エスメラルダは訓練場を出た後、少し早いが食堂の厨房へ赴き、いつものように籠いっぱいの野菜を受け取って植物園にきた。白壁で、天井は日光がたくさん差し込むようにドーム状でガラス張りになっている。
鍵を開けて中へ入ると、先客がいた。
「アルバート様、いたんですか」
部屋の側面には多種多様な植物が生い茂り、真ん中にはプールがある。そこを真白く巨大な雪亀のデニーが悠々と泳いでいた。エスメラルダはいつくかの野菜をぽいと水に浮かべ、甲羅を撫でてやる。
プールは植物へ水を供給する水路につながっており、プールの上を橋のようにかけられている通路を歩き進めると、最奥には作業机とソファー、実験道具と収納するキャビネットというエスメラルダの作業場所がある。
ソファーに寝転び、雪猫のアッシュを抱き撫でているのは第一王子であるアルバートだった。エスメラルダが学生時代に成績一位争いをした同級生であり、ここの出入りを彼女から許されている唯一の人物である。
「お久しぶりですね。最近忙しいと聞いてましたけど」
「いやぁ、僕はいつも忙しいよ。だからこうやってアッシュに癒しをもらってる」
「アッシュが私より殿下に懐いてる気がして腹が立ちます」
エスメラルダはアルバートの長い脚をソファーから下ろして、自分が座る場所を作る。
アルバートが仕方なさそうに体を起こすとアッシュは床へおり、エスメラルダの周りをウロウロとしてご飯をねだる。エスメラルダが籠を床へ下ろすと、アッシュはすぐ飛びついて野菜を食べだした。
アルバートは再び体を倒しエスメラルダの太ももを枕にする。スラックスの上からといえど彼のブロンドの髪がくすぐったくて身じろぎすると、翡翠の瞳が見上げてくる。
「アッシュが懐くのは撫で方の問題だよ。きっと僕のが上手いんだ」
「手の大きさじゃなくて?」
撫で方は一緒にいる時間が長い私のが上手いはずだと信じたい。
エスメラルダはアルバートの手をとり、自分の手の大きさを比べてみる。自分とはひと回り大きく、指の太さだって違う。感触も骨ばって硬い。アルバートの指には婚約指輪と王族の紋章が描かれた指輪がはめてあり、それが一層ゴツゴツした感触を増していた。
これがアッシュの好みなのかと、エスメラルダはどちらかというと柔らかい自分の手を忌々しく思い始めた。
アルバートは唐突にぎゅっと彼女の手を握り込み、口元へ寄せキスをする。
「エルの手は可愛いから良いんじゃない」
「もう少し実用的なのが良い」
手は大きくて力強いほうが役にたつだろう。先日だって薬品の瓶の蓋が大きくて開けれず、ガノさんに開けてもらった時は単純だが情けなくなった。ユランからガキかよと笑われたせいもある。
「この手が良いんだけどなぁ。柔らかくてさ」
アルバートはそう言って、エスメラルダの手に頬を寄せた。
「アルバート様、少し肌が乾燥してます。ちゃんと保湿してください」
「はは。男の肌なんてこんなもんだよ」
エスメラルダの手を自分の頬から首筋、鎖骨、心臓の上に滑らせ、アルバートはその柔らかさを確かめる。
「せっかく綺麗なのにもったいない」
「君の肌には負けるかな」
エスメラルダは顔を寄せてきたアルバートに応え、早めにここに来て良かったなと、午後の仕事に戻る時間を計算した。
行為が終わり、エスメラルダはソファーに体を投げ出した。くたびれている彼女のうなじや背中にアルバートはキスをしておもしろがる。熱くてベタベタの体にまとわりつかれるとさらに疲れるような気がして、エスメラルダは苛つきながらも体を動かさず好きにさせていた。
アルバートはいつもそうなのだ。
「ああ、そういえば」
エスメラルダはなんだとアルバートの方へ振り返る。端正な顔に少しだけ汗を滲ませたアルバートはからかうように少し口角を上げた。
「エルが辺境伯と結婚させられるかも知れないよ。王命でね」
エスメラルダはびっくりして口をぽかんと開けてしまう。
「それ一番最初に言ってください!」
「あはは」
エスメラルダはその後アルバートを問いただし、急な話に戸惑うエスメラルダを見てアルバートは笑うだけだった。そんなむかつく王子様の頬を引っ張ってから、エスメラルダは仕事は戻った。
研究所へ歩いて戻る途中で、実家からはまだ連絡は来ておらず正式な話はないとひとまず冷静になる。ただ、アルバートの話が嘘だったことはない。
エスメラルダは少し考え込み、いつもと変わらない顔をして、研究所の扉を開けた。