16、勝てない女
リリアが第二夫人となり、貴族教育を受けると決めて不安が全て払拭されてから、ことの進みは早かった。
まずレイは結婚式は挙げず、書面だけでエスメラルダを第一夫人、リリアを第二夫人とした。結婚式はリリアが第一夫人になった際に盛大に行えば良い。エスメラルダは後々離婚されるので、式などどうでも良かった。レイは屋敷の者と領民へ、エスメラルダは仮の第一夫人として席を置き、その後は貴族教育を終えたリリアが引き継いで第一夫人を務める予定であることを周知した。混乱を避けるためである。
そして、エスメラルダはリリアとレイに貴族教育のうけ方を二つ提案した。一つはエスメラルダの教育係であった者を辺境へ招き、ここで学ぶこと。二つめは、エスメラルダが卒業した王都の学園へ編入し、必要な授業をとる方法である。後者であれば総合的に効率良く効果的に習得できるが、レイと一時的に離れてしまう。
エスメラルダは二人の決断に任せることにした。
「私、学園へ編入してみたいです」
「良いのですか。この土地を離れることになっても」
「はい。長くても編入期間は一年です。もし私が良い成績を修められれば、もっと早く終えられるかもしれません。王都での知り合いが増えれば、レイの役に立てるかも。私、頑張ります」
「リリア、そんな無理しなくても良い」
「私がやりたいの!」
レイはリリアを心配そうに肩を抱くが、リリアは元気よく返事をする。リリアはスッキリとした表情でやる気に満ちていた。勉強はあまりしたことないが、好きな人のためなら乗り越えられる気がしていた。やる気だけではどうにもならない事があるのはもちろん分かっているが、どうにもならなかったら別の方法を考えれば良い。
レイは心配だったが、リリアがその気ならば折れるしかなかった。離れるのが嫌なのは自分だけなのかと少しムッとする。
「リリアがそう言うなら、俺は応援するよ」
「それでは学園へはそう伝えますわ。でも、まず編入試験があるからそれに備えないとですね。試験までは私が教えますわ」
「はいっ」
エスメラルダは持っていた扇子で口元を隠しながら目をニンマリとさせる。先日バルテミア領の隣に位置するドーリス伯爵から頂いた扇子である。艶のある白い骨細工に手書きされた金の繊細な模様の扇骨と、扇面は絹でできている代物で、同じ模様が金刺繍で施されて品のある扇子になっていた。
エスメラルダがバルテミアへ来てからというもの、近隣の領主達がよく面会に来るようになった。主に相談事である。王都での商売や伝手づくり、子供の進路などさまざまで、王族と遠縁であり第一王子と懇意であると噂のエスメラルダとの繋がりを作ろうという魂胆である。
エスメラルダは必ずその場にレイを同席させ、やりとりを聞かせている。情報収集をして交渉の引き出しを増やし、相手と自分と国民の利益をどう見出すかを考え、それを癖付けるためである。
「早速ですが、リリアさん。本日から一緒に頑張りましょうね」
「はいっ」
それからリリアは3ヶ月間、エスメラルダと勉強漬けの日々だった。リリアは動機付けがしっかり出来ていれば没頭するタイプのようで、夜中まで自分で勉強に取り組んでいた。レイが心配そうに部屋の前をウロウロするほどに。
そしてリリアの努力は功を奏し、無事に編入試験に合格。王都へ行くことになった。
「順調すぎるわ」
「はい」
エスメラルダは部屋の窓から外を眺めながら、寝巻き姿でテーブルのお菓子をつまんでいた。
向かいに座っているギリアムにも菓子を勧めるが、ギリアムは断固として食べなかった。護衛任務であるという形を可能なかぎり保つためである。
「まさか学園の編入試験に受かるだなんて。私、正直難しいかなって思ってたの」
「はあ…そうでしたか」
「リリアさんすごいわ。これが愛の力ってやつ?どう思う?」
「どうと言われましても…頑張ってらした成果が十二分に発揮されたのでは」
「そうよね、喜ばしいことよね。…でも、少し思うところもあるの」
「お待ちください」
エスメラルダの瞼が伏せられ、意味あり気に表情が曇ったのを見て、ギリアムは彼女の言葉を制止する。今まで一緒にいて何度か見た表情だ。この後は大体良くない話が続くのだ。良くない、というのは聞かなければ良かったという意味である。
いつも唐突な暴露話に襲われて、ギリアムは自分の立場やその秘密を守ることを考えると胃が重くなるようだった。自分にはまだ荷が重すぎるのだ。
エスメラルダは白けた顔をして、冷や汗をかくギリアムを見ると態とらしく口を開く。
「たぶんソフィア様が手を回したのかなって思って」
「ああ、もう」
一言でも聞いたらもう終わりなのだと頭を抱えたギリアムを彼女は笑い飛ばした。
第一王子であるアルバート殿下の婚約者、ソフィア公爵令嬢は学園へ最高学年として通われている。容姿端麗で才色兼備、未来の王太子妃として完璧に育て上げられたその佇まいに一切の隙はなく、常に少しの微笑みだけを浮かべて、青の瞳で静観している。十八歳にして気品に溢れ凛とした姿は、周囲の者でさえ背筋を伸ばしてしまうような畏敬の念を抱かせるものであった。
エスメラルダはリリアが学園への編入を決意してから、すぐにソフィアにそのことを手紙で伝えていた。何かあれば貴方様のお好きなように、という意味を込めたものである。
「ソフィア様は、問題児の第二王子とその婚約者のヴェルリーヌ様と同学年でしょう?その二人が揉めてるんですって。なんでも第二王子が平民上がりの男爵令嬢に惚れたとかでヴェルリーヌ様を冷遇してるとか。ソフィア様は彼女から相談を受けたそうだけど、馬鹿馬鹿しくて放置しているらしいわ」
「…そのこととリリア様にどんな関係が?」
ギリアムは耳を塞ぐのを諦めて気になったことを質問する。どうにでもなれの精神である。エスメラルダはその質問に得意気にニッコリとする。
「私がそれをリリアさんで解決してあげようと思って」
「というと?」
「貴族社会って平民とは違う縦の社会があるじゃない?ソフィア様曰く、今の学園は貴族社会がわからない平民上がりの男爵位の人達が好き勝手にやって秩序を乱してるらしいのよ。第二王子が惚れたっていう男爵令嬢もその一人。元々はその令嬢が第二王子にちょっかいをかけたそうよ」
「…そんな事あります?流石に平民上がりが第二王子に、なんて」
「ギリアム、ここ数年街で流行ってる本とか劇とか知らないでしょ〜。平民の女と貴族の男が運命的な出会いをして恋に落ちて結婚するの」
「そんなのが流行ってたんですか。でもただの物語ですし」
ギリアムにとって貴族は貴族、平民は平民で結婚することが当たり前だった。例外として平民と結婚した貴族もいるが、貴族としての地位は返上し平民として生活していると聞いている。ただ本当にそれは稀な話である。身分の差は生活の差であり、生活が違えば価値観も違い、魅力的に思う相手というのも違ってくる。
貴族は一族の繁栄と領民の利益を考えて結婚相手を選ぶべきだとギリアムは思っていた。平民と結婚したところでどんな利益があるのか。それなら愛人で十分なのではと大半の貴族が思うところだろう。
「学園内は一応、学生は皆平等で身分は関係ないってことになってるし、そういう物語が流行るくらいには平民と貴族の結婚が違和感なく受け入れられているのよ。だから、地位の高い人と結婚できるかも!って思う平民上がりの男爵位が上位貴族を狙いにいってるらしいわ。そんな貴族社会の不文律がわからない人達の派閥ができてるんですって」
「…もしかして、その派閥の筆頭にリリア様をする気ですか」
「正解。これ以上ない成功例でしょ」
男爵というのは、所詮金での成り上がりがほとんどで、歴史もなく一代で没落することだって多い。よほどの成功を納めなければ貴族としての存続はすぐに危ぶまれるのだ。
それに男爵という位は金で買えるため、他の貴族階級の者にとってただの金持ちの平民という風に扱われてしまっている。男爵位が貴族社会に入り込むには爵位があるだけではダメで、またそこに一つ壁があるのが実状だった。
しかし、平民から男爵令嬢になり、幼馴染で恋人のバルテミア辺境伯と婚姻し、第二夫人となったリリア。
そんなリリアが学園へ編入するのだ。男爵位派閥に引き入れられるのは確実すぎるほど、十分な地位と物語性がある。
「その成り上がり一派の筆頭は第二王子が惚れた女だし、まず私と繋がってるリリアさんがその一派を乗っ取って舵取りしてもらうでしょ。そしてヴェルリーヌ様には第二王子の手綱をしっかり締めてもらって、私はソフィア様の役に立てる所をみせられる。上手くいけば全て幸せになれる完璧な計画ね!」
「しかし、リリア様にそんなことできるのでしょうか」
「できるわよお。リリアさん人たらしだもの。硬派な気風のバルテミアの人達から好かれてるって相当よ」
確かに、と納得したギリアムは無言で頷く。
「エスメラルダ様が学生の頃はこのような問題はなかったのですか?」
エスメラルダはふと遠くを見つめ、懐かしむように目を細める。
「アルバート殿下に手を出そうとする令嬢はいなかったかな。隣にはだいたい私がいたしね。ソフィア様とはその頃から繋がりがあったの。殿下が紹介してくださったから。昔から可愛げなくて、怖かったな…」
ギリアムはエスメラルダの表情がなんだか切なさを帯びている気がして心拍が速くなった。
アルバート殿下と学生時代から今まで長く親しくしているエスメラルダ様はソフィア様のことをどう思っているのだろうか。殿下からソフィア様を紹介された時、何か思うことがあったのではないか。
何となくじわりと嫌な感覚が溢れそうになる。
エスメラルダはそんなこと知らず、パッと思いついた顔をしてギリアムを見た。
「あの恐ろしいソフィア様とは絶対に敵になっちゃダメよ!味方として懐に入り込むのよ。ギリアムにもご紹介しましょうか」
「またの機会にお願いします」
ギリアムは胃がキリキリと痛み出した。
ついにリリアが学園へ編入する日がきた。
レイとエスメラルダは王宮でのパーティに参加する為に、リリアと一緒に王都へ向かうことになった。
馬車で数日移動し、やっとのことで王都にたどり着く。学園までの馬車はエスメラルダが同行することにした。
それに難色を示したのはレイである。思いっきり顔が不機嫌になっていた。エスメラルダと和解とまではいかないが、わだかまりは無くなり協力することにしたレイは警戒が解けたようでエスメラルダの前でも自然体になっていた。
そんなレイの顔には思いっきり不服だと書かれている。
「私も同行したい」
「だめです、レイ様には夜の準備をしていて欲しいのです。王宮でのパーティは初めてでしょう。それに外遊にきた隣国の王太子の歓迎会ですよ。バルテミア当主として良い接点を作らなきゃ」
「…でも、リリアを送迎する時間くらいあるだろう」
「リリアさんには私から学園で快適に過ごす秘密の方法を伝授するのです。レイ様には教えません。それでは、リリアさんいきましょう」
「はいっ!レイ、元気にしててね。手紙書くからね」
「リリアも」
熱い抱擁をかわす二人にエスメラルダは呆れながらリリアだけを馬車へ放り込む。そして護衛のギリアムにも後ろから馬に乗ってついてくるよう伝え、出発した。
「実はリリアさんにお願いがあります」
「はい。なんでしょう?」
ニコニコとした表情で姿勢良く座るリリアはエスメラルダのことを師匠のように思っていた。
そんな尊敬する人からのお願いとはなんだろう。リリアは疑問に思いつつ、自分が師匠の役に立てるのではとやる気が漲るようだった。
エスメラルダは顔にやる気が表れているリリアを見て恋人同士は似るのだろうかと思った。
「学園にはアルバート第一王子の婚約者のソフィア様がいらっしゃいます。実はソフィア様が学園で困ってらっしゃるのです」
「困っている…?」
「そう。リリアさんにしかできないことなの。ソフィア様の力になってくれる?」
「もちろんです。エスメラルダ様の仲の良い方なのでしょう?こんな私でも力になれるのなら嬉しいことはありません!がんばりますわ!」
「リリアさん、ありがとう」
リリアはぎゅっと拳をにぎる。頼られるのは嬉しいことだ。第二夫人となりレイとの関係を変化させることができたのも、こうやって学園で学べることになったのもエスメラルダ様のおかげ。
自分が彼女の役に立てるなら、恩を返せるなら、少しでも。
私は私の務めを果たさなきゃ。
出会った頃の気弱そうなリリアとは違う、明るく前を真っ直ぐみるリリアに、エスメラルダは嬉しくなった。
こっちの方がずっとずっと素敵だ。
「まさかソフィア様がお迎えに来てくださるなんて」
「驚きましたか」
「肝が冷えましたわ」
エスメラルダは油断していた。学園の正門でリリアを降ろしてお別れしようとしたところ、正門の端にソフィア様が立っていたのだ。エスメラルダは慌ててリリアと共に馬車を降りた。
未来の王太子妃がこんなところにいるなんて誰が思うか。
ソフィア様はいつもどおり緩やかなウェーブの銀髪を綺麗にまとめ上げ、アイスブルーの瞳は何も読めない。学園の制服にローブを纏って、品良くただそこに立っていた。学園の門の内側にいるとはいえ、高貴な彼女の周りに護衛も侍女もいないのは変な感じがする。
ソフィアは人形のような顔立ちと表情で、桃色の薄い唇を開いてエスメラルダに話しかけた。
「久しぶりですから、エル姉様のお顔を見たくなったのです」
「いつでも呼んでくだされば良かったのに」
「来てくださるの?」
「もちろん」
エスメラルダは軽口は叩けど、表情の変化が乏しいソフィアが何を考えているのか未だに掴めなかった。顔が見たいなんて嘘だろう。
付き合いはもう数年だが仲良い、なんて気安いものではない。信頼関係ではなく、協力関係というのがしっくりくる。
アルバート殿下のため、国王のため、国益のため。
私が役にたつ限り、きっとこの利害の一致でしか成り立たない関係だ。
エスメラルダはヘマをする前にさっさと帰ろうとソフィアにリリアを紹介する。
「手紙でお伝えしていたリリア・バルテミア第二夫人ですわ」
「お初にお目にかかります」
リリアは初めて会うソフィアに緊張するがそんな時にはエスメラルダの教えを頭の中で反芻する。
緊張してもそれを表には出さなくて良い。顔にも声にも指先にも。息を深く吸って、姿勢良く、にこやかにいればいい。
それでもリリアはソフィアが怖かった。視線を合わせることがこんなにも恐ろしいなんて。
「あなたがリリアさん」
冷たい青の瞳が私を見る。見透かされているような気がする。微笑んではいるが無機質で淡々とした声。すっと背筋が伸び、ただただ佇まいが美しい。
ふとソフィア様の目元が緩んだ気がした。
「良い方ですね。これからよろしくお願いしますね」
その言葉はきっと色んな意味を含んでいる。
リリアの覚悟は決まっていた。
「はい」
エスメラルダは二人の背中を見送り馬車へ戻る。
最後にソフィア様は私だけに薄らと笑みを向けてきたので、リリアは及第点の人物だったんだろう。
ソフィア様は人を思い通りに動かすことに長けたお方だ。国王と通ずるものがある。大事なのは駒を揃えること。
学園の面倒事は時期に終息するだろう。大事なのは解決の仕方だ。
あのポンコツな第二王子にどうお灸を据えられるのだろうか。優秀なアルバート殿下と同い年のソフィア様への劣等感を拗らせ、勉学や武術など全ておざなりに投げ出してきた第二王子。
気持ちはわかるが、やさぐれているのが周囲にわかるほど態度に出ており、大変可愛げがない。差し出されている手を取りもしなければ、自分から請うこともしない。
荷が重いのなら、王家から降下させるのも一つの手だと思う。
第二王子を優しく支えてきた婚約者のヴェルリーヌ様はこの件をどう処理されるのだろうか。ソフィア様には及ばなくとも十分に優秀で同性からの支持を集めていたはず。
小さい頃からの婚約者である彼女が自分の務めをわかっていないはずがない。今回の騒動の結末次第で彼女の力量が示されてしまう。ソフィア様に相談を持ちかけた時点で彼女への評価が危ぶまれている。
優しいが故に溜め込みやすいヴェルリーヌ様。やけを起こして投げ出さないと良いけれど。
無事に全員が卒業できるようにとエスメラルダは願った。リリアは素直で聞き分けのできる良い子であるし、ソフィア様の加護があれば学園では無敵であるので心配はしていない。
学生に幸あれ!とエスメラルダは祈るしかなかった。




