18.昔の出来事
一週間後、ラモンおじ様たちが私に会いに来た。
「エルシャ。この間の夜会ではみなエルシャのことを素晴らしいと褒めていたぞ。オリスはいい婚約を結んで羨ましがられていた。さすが私の娘だ」
「おい、ラモン。エルシャは私の娘だぞ」
お父様とラモンおじ様の言い合いをお母様とダニエラおば様はさらっと聞き流している。
「オリス様に恥をかかせることなく過ごせてよかったです」
私のせいでオリス様の評判が下がったら立ち直れないところだ。
「それで今日は話があって来た。一つはマイヤー商会のことだ。夜会で多くの貴族が話を聞いていたから、あっという間にそれが広まって商会は取引の停止が続出した。完全に自業自得だな。それで王都にある店は撤退し領地で立て直しをするそうだ。一応言っておくが、これはエルシャには何の責任もない。子爵が娘可愛さで商売人としてあるまじき行動を取った結果だ。誰もが自分の行動の責任を自分で取らねばならない。そういうことだ」
おじ様はあの場にいなくても全てをご存じだった。そして私を心配してくれた。素直にそのことを受け入れる。私が責任を感じたところでどうにもならないのだ。それにマイヤー子爵令嬢の行動はフォローしようがないと思う。
「二つ目は小僧が……王太子殿下がエルシャをお茶に招きたいと言っている。嫌なら行かなくてもいい。いや、断ろう」
私は可笑しくて笑ってしまった。ラモンおじ様は断る気でいる。甘えてしまいたいがマティアス様には会う約束をしてしまった。たぶん断っても不敬を問われたりはしないと思うが約束は破りたくない。
普段おじ様は臣下としてマティアス様に接しているが、プライベートで接するときは厳しくしていると聞いた。ドムス公爵家は王家の血も入っているので王族との距離は近い。王太子と言う立場にある人に苦言を呈してくれる存在があることは貴重だと思う。余計なお世話かもしれないがそのことをマティアス様が理解しているといいと思った。
そもそも私がマティアス様と一時親しく過ごすことになったきっかけはラモンおじ様だ。
私が六歳の時にドムス公爵邸に遊びに行った時にマティアス様がいた。私は王太子殿下の顔を知らなかったのでラモンおじ様が「知り合いの子息を預かった。気軽に遊んでやってくれ」と言われて素直にうなずいて一緒に過ごした。
最初はラモンおじ様の息子のエッカルト様やシュトームお兄様も一緒に遊んだ。大きな庭で追いかけっこをしたりかくれんぼをしたり楽しかったのだが、マティアス様は屋外の遊びに慣れていなくていつも負けていた。お兄様たちの剣の稽古に付き合わされると、音を上げて逃げる。そして私をボードゲームに誘う。私はダニエラおば様といつもボードゲームをして鍛えていたので自分でも強かったと思う。マティアス様は私相手に負けると顔を真っ赤にして怒り出し、盤をひっくり返す。どうやら王宮ではみんな彼に勝ちを譲っていたので自分は強いと思っていたらしい。
負けると悔しいらしくて「エルシャがずるをした!」と言いがかりをつけて怒鳴る。私はずるをしていないし怒られて怖くて大泣きしていた。私の泣き声を聞いてラモンおじ様はマティアス様を物凄い剣幕で怒っていた。そしてその場はカオスになるのだが、そのこともあり私はマティアス様が苦手だった。
怒られたマティアス様はしばらくすると反省して私に本を読んでくれた。(謝罪はされたことはない)今考えればマティアス様は私より二歳年上なのにその振る舞いは子供っぽいと思う。いかにも甘やかされた我儘な王子様だ。それでも平穏に過ごしていたのだがある事件が起こった。
私は三歳のお祝いでダニエラおば様からもらった青い小鳥の縫いぐるみが大好きでいつも一緒に連れて歩いていた。それを見たダニエラおば様が落とさないようにと『ことりさん専用のポシェット』を作ってくれていつも肩から下げていた。
「エルシャ。その縫いぐるみ、そんなに気に入ってるのか?」
「うん。可愛いでしょう? マティにも見せてあげる」
「普通の縫いぐるみじゃないか。どこがいいんだ?」
「これはね、ダニエラおばさまがエルシャに作ってくれたの! マントはおかあさまが作ってくれたの! ことりさんといっしょにいると幸せになれるんだよ」
私は自分の宝物を自慢げに語ったのだが、それがマティアス様の癇に障ったらしい。
「なんだよ、こんなもの」
そう言うとドムス邸の庭の池に投げたのだ。
「あっ! ことりさんが!! 助けなきゃ!!」
私は子供だったので後先考えずに小鳥の縫いぐるみを助けようと池に入った。その池は思いの外深く私の足は着かなかった。そのまま溺れかけたところでマティアス様お付きの護衛がすぐに私を引き上げて助けてくれた。
その晩は熱を出し寝込んでしまい、それ以降「マティ」とは会っていない。
そのあと「マティ」が王太子殿下だと知らされた。マティアス様がドムス公爵邸に来ることになったのは王妃様が亡くなって気鬱になってしまったマティアス様を元気づけるためだったらしい。父親である陛下は多忙でマティアス様を気に掛けつつも側にいる時間が作れず、ラモンおじ様が世話をすることになったそうだ。
マティアス様は自分のお母様が亡くなってもう会えなくなってしまったのに、私が能天気に二人のお母様からもらった小鳥を自慢したのが許せなかったと聞いた。もちろん私はマティアス様の事情を知らなかったし傷つけるつもりはなかった。「マティ」のことを酷いことをする子だと嫌いになっていたが事情を聞くと怒れなくなってしまった。もし、私もお母様に会えなくなってしまったらと想像するだけで涙が出てしまう。彼はとっても悲しい思いをしているのだと許すことにした。
その後、私は貴族令嬢としてデビューを果たし夜会に出席すれば王太子殿下と会う機会はあるのだが、伯爵令嬢が気軽に話しかけるような相手ではないので形式的な挨拶止まりだった。今回のようにダンスに誘われたり話しかけられたことはなかった。彼と過ごしたのはたった半年で幼馴染とも呼べないような付き合いだったが、久しぶりに話をしてみれば意外と普通に話せた。彼は王太子殿下としては完璧そうに見えるが、いざ話してみればマティはマティのままだった。
ちなみに私が池に落ちた後はマティアス様は周囲の大人(とくにラモンおじ様)から厳しく叱られ私に会うことを禁止されたそうだ。というかドムス公爵邸すら出入禁止になっていた。
マティアス様は私にお詫びの品物を贈ってくれたのだが、子供の私にとっては衝撃的なもので大泣きしたのを覚えている。なんと大きな鹿の剥製だ。見上げるほどの大きな体に生きているかのように見える表情で、怖くて仕方がなかった。ボンノ伯爵邸に置いてあるのが嫌でラモンおじ様にお願いしてドムス公爵邸に引き取ってもらったほどだ。もっと女の子が喜びそうなものは思いつかなかったのだろうか。当時の私はこの贈り物を見て嫌がらせだと判断し、マティアス様に相当嫌われているんだと思っていた。
とにかく私とマティアス様の交友関係はそれきりだ。今回、なんの話をするのか見当もつかない。彼に対しての苦手意識は残っているので出来れば断りたい。でも夜会の騒ぎを鎮めてもらった恩があるで無下にも出来ない。
「大丈夫です。マティが夜会の時に話がしたいと言っていましたし、断って後から何かを言われるのは嫌なので一度会ってきます」
「はあ~。エルシャは優しいな。まあ殿下の気持ちの整理をつけさせるのに必要なことなのかもしれない。分かった。日時はまた連絡するが、もし会った時に殿下に何かを要求されても嫌ならはっきり断って構わない。ぐずぐず言うなら私が何とかするから気にしなくていいからな」
「はい。ありがとうございます。よろしくおねがいします」
マティアス様の用件の内容が不安ではあるが、私にはラモンおじ様がついているのでそれほど心配はしていない。万が一不敬云々を言われたらおじ様に泣きつこう。それでもやっぱり嫌な予感がするので断りたいと弱気になってしまったことは私だけの秘密だ。




