10.閑話 その2 幸せの小鳥
「ダニエラ! よくきてくれたわ。会いたかった! ああ、痩せてしまったわね……」
「メリア……。心配をかけてごめんなさい。ずっと会わないでいたことも申し訳ないわ」
メリアは首を振って微笑んだ。
「エルシャに会ってあげてくれる? すっかりおませさんになって」
「ええ。メリア。エルシャに縫いぐるみをあげてもいい?」
「まあ! 嬉しい。手作りの縫いぐるみ? なんて素敵なのかしら! 私はご存じの通り裁縫が苦手で既製品の小鳥柄のスカーフにしたの。端に一応、自分で刺繍はしたけどロアルドには鳥に見えないと笑われたわ。酷いでしょう。ダニエラの小鳥、とても可愛いわね。エルシャはきっと大喜びよ」
ラモンはダニエラとメリアのやり取りを見て、まるで幸せだったあの頃に戻ったように感じた。
「エルシャ。ダニエラおばさまがエルシャに渡したいものがあるそうよ?」
金色の髪を可愛く結ってピンクのドレスを着ておめかしをした幼い子が走ってきた。きょとんとした顔でグリーンの瞳が私たちを見上げる。ダニエラはしゃがみエルシャと目を合わせると手に持っていた縫いぐるみを差し出した。
「エルシャ。こんにちは。私はあなたのお父様とお母様のお友達のダニエラよ。今日はお誕生日おめでとう。幸せを願ってこれをあなたに。どうぞ」
エルシャはダニエラの手の上の青い小鳥の縫いぐるみをじっと見つめるとニコリと笑い嬉しそうに手に取った。
「こんにちは。ありがとう。ことりさん、かわいいね! あのね。あおいことりさんもだいすきだけど、まえの、きいろいことりさんもだいすきなの!」
そう言うとエルシャは大事そうに青い小鳥の縫いぐるみを抱きしめ駆け出して部屋の中へ行ってしまった。
「えっ?」
「えっ?」
取り残された私とダニエラは目を見合わせ困惑した。
「メリア。エルシャは黄色い小鳥も持っているの?」
「いいえ? 私があげたスカーフの小鳥はピンク色だわ。黄色い小鳥のものはないけど、あの子、黄色い小鳥をどこかで見たのかしら?」
メリアが不思議そうに考え込む。
私とダニエラは息が止まった。ベティーナの棺に黄色い小鳥を入れたことは私たちと息子、三人しか知らない。棺を閉める最後の瞬間にベティに渡して誰にも言っていなかった……。なぜ、エルシャは黄色い小鳥を知っている? これは、まるで……。
「ああ、……ベティ!!」
ダニエラは両手で顔を覆うとその場に蹲り涙を流した。私はダニエラを抱きしめ込み上げるものを必死で堪えた。
ロアルドとメリアは困惑していたが後で理由を話すと伝えた。
そのあとは冷静さを取り戻し、エルシャのお祝いをした。ケーキを美味しそうに頬張る姿もニコニコ笑う姿も愛らしい。
エルシャは青い小鳥にピンクの小鳥柄のスカーフをマントのように巻き付け大事そうにずっと腕に抱えていた。はしゃぎ疲れたエルシャが眠った後、ロアルドとメリアにベティーナの最後に黄色い小鳥を贈ったことを教えた。
「まあ、じゃあエルシャはベティの生まれ変わりだわ!」
「そうだな!」
メリアは手を打って興奮している。メリアもロアルドも私たちの言葉を馬鹿にすることも否定することもしなかった。
「私もそう思ったわ。でも……メリアはこんな話、不愉快ではない?」
エルシャが黄色い小鳥の話をしたのは偶然かもしれないし、黄色い小鳥をどこかで見たのかもしれない。ベティの生まれ変わりだとそう考えるのは私たちの勝手な妄想だ。娘を失った感傷かもしれない。それを私たちは理解しているが、それでも……たとえ他人に愚かだと笑われてもそう信じたかった。あの後、エルシャに黄色い小鳥のことを聞いたが不思議そうに首を傾げるだけで明確な答えは分からなかった。
「どうして? 私はベティも大好きでエルシャももちろん愛しているわ。魂を共有していたら素敵だと思わない?」
メリアが屈託なく微笑んだ。
「ありがとう。メリア」
長く不義理をしていた私たちにメリアもロアルドも気にすることなく接してくれた。心から感謝した。私たちはいい友を持った。
「ふふふ。ラモンもダニエラもエルシャを見守ってくれる? あの子が幸せになれるように」
「もちろんよ」
「もちろんだ」
その日から、私たちにとってもエルシャは実の娘のような存在になった。もしベティが生きてエルシャと過ごせば姉妹のようになっていただろう。どちらにしても娘同然になるのは変わりない。
私とダニエラはエルシャの存在に救われた。この子のために何でもしてあげたいと思うほどに。
そうは言っても本当の両親が健在なのでささやかな贈り物をするくらいに留めておいた。本当は我が家に嫁に来て欲しかったが私は結婚が早く息子もすぐに生まれた。ロアルドは結婚も遅く長男はすぐに生まれたがエルシャを授かったのは遅かった。だからうちの息子とでは歳が離れすぎている。
一応、家族に「エルシャをエッカルトの嫁にできないよな?」と聞いたら冷ややかな視線を向けられた。エルシャが三歳の時息子のエッカルトはすでに二十一歳だった。「下手したら親子ほど年の離れた子との結婚なんて絶対に無理だ」と叫ばれた。分かってはいたが念のために聞いただけだ。それほど実の娘にしたかっただけで……と言い訳をしたが数日間、皆冷ややかな態度で誰も口を利いてくれなかった。
ダニエラはエルシャが将来誰と結婚したいといっても対応できるように備え知識や教養をしっかりと身につけさせた。もはや王族に嫁げるレベルで厳しすぎると思いさすがに窘めたが、メリアはそれをニコニコと「助かるわ。ありがとう」と笑っていた。ボンノ伯爵夫妻はいい意味で大らかだ。普通なら他家の人間が子供の教育にこれほど口を出そうものなら怒るはずだが、それを許してくれていることにラモンは心の中で感謝した。
エルシャが十歳のときにロアルドが子爵子息との婚約を決めた。私からすればもっといい男がいるだろうと思ったが、将来娘に苦労をさせたくないという思いで結んだ縁談だと分かっていたので口を出さなかった。が結果的に子爵家のバカ息子は幼馴染と駆け落ちをしてエルシャを酷く傷つけた。私は誰にも言わず子爵家と我がドムス公爵家との取引を止めた。潰さないでやったのはせめてもの温情である。
傷心のエルシャをそっと見守り、落ち着いたら私が素晴らしい男との縁談を調えようと思っていたら、再びロアルドが婚約を結んでしまっていた。もっとゆっくり吟味してから話し合おうと思っていたのだが……いや、あいつが父親だから文句は言えないのだが一言相談して欲しかった……。
その婚約は問題だらけだった。相手はよりによって潔癖侯爵子息のロータル・ギーレンだ。彼の潔癖症は上位貴族の中では公然の秘密だがロアルドは知らなかったらしい。頭が痛い……。ロアルドは婚約して半年も経たない内に婚約を解消したいと相談してきた。
何でも夜会の帰りに転んだエルシャを放置して帰ったそうだ。私は怒りに震えた。ロアルドも解消を求めたが侯爵子息に拒絶され手を貸してほしいと言ってきた。伯爵であるロアルドに格上の爵位のギーレンを突っぱねることは難しい。
ギーレンの考えは手に取るようにわかる。エルシャはどこに嫁いでもやっていけるだけの能力があり、ギーレンの潔癖にも柔軟に対応し努力していた。そんな慎ましい女性は他にいないだろう。ギーレンも今までの見合い相手は潔癖ぶりを知ると断られるか、それでもいいという女性は下位貴族で侯爵夫人としてやっていける能力のない女性のどちらかだ。エルシャを逃せば後がないと婚約解消を拒絶してきた。
ロアルドにエルシャの次の縁談は私が決めることを条件にこの婚約解消に手を貸すことにした。(もちろん条件などなくても手を貸すことはやぶさかではないが、釘を刺しておかないと三度目も変な男と婚約を決めてしまいそうだった)私は自らギーレン侯爵子息に会いに行った。
「ボンノ伯爵令嬢との婚約を解消してほしい」
「この婚約はドムス公爵に関係ないことでは?」
ギーレン侯爵子息は不満を露わに抗議してきた。若造がふてぶてしいことだ。
「エルシャは私の娘同然だ。お前は転倒したその娘を放置したそうだな。そんな男に任せられない」
「そんなことだけで破談にするというのか? いくらなんでも馬鹿馬鹿しい。それに伯爵家の娘が侯爵家に嫁げるのだからそれくらい我慢するべきだろう」
それくらい? 紳士が令嬢にする仕打ちではない。その自覚もないギーレン侯爵子息は引き下がらない。私はカッとなったがそれを表に出さず静かに最終通告をした。
「私はお願いをしている訳ではない。これは決定事項だ。もし婚約の解消に応じなければ、ギーレン侯爵家への銀行からの融資を全て止める。それでもいいのか?」
ドムス公爵家の経営する銀行が融資を止めれば、他銀行もそれに倣うだろう。権力で圧力をかければ悔しそうに私を睨みながらも解消に応じた。だいたいお前はまだ侯爵を継いでいないのに、現公爵である格上の私に対する態度が横柄ではないか? 心が狭いと詰られようとも弁えない態度も圧力をかける一端になった。
これは双方合意の解消ということにする。そしてエルシャを転ばせた慰謝料も払うように念を押した。婚約者としてエルシャを守らずその務めを果たさなかったのだからこれくらいは当然の報いだ。




