ノースポールの花の奇跡〜泡沫の夢〜
これは、お互いがほんの少しだけ勇気を出して向かい合っていたら、のお話。
【side E】
「これからよろしくね」
「う、うん、ヨロシク……」
私は今日、婚約者となる子爵家次男君に手を差し出した。
きゅっと結ばれた手は温かくて、優しい気持ちになれる気がする。
この婚約は私が彼に惚れてからお父様に頼み込んで整えられたもの。
自分の世界の狭さを教えてくれた彼に私は目が覚める思いがした。
侯爵家の一人娘で跡継ぎとして育てられた私は、周囲からご機嫌伺いは日常だったし、怒られるなんて以ての外だった。
唯一お父様だけはやんわりと窘めるけど、一人娘に甘いお父様は愛する妻の忘れ形見に弱い。
そんな私に物怖じせずに叱ってくれた彼は、それだけじゃなくて「笑ってみなよ。その方がいいよ」って言ってくれた。
そのあと笑った顔が私の瞳に焼き付いて、どうしようもなく惹かれてしまったの。
それから私たちは交流の為に週一度のお茶会をする事になった。
けれど、婚約者となった彼は次第に欠席するようになった。
どうして?
私の事嫌いだったのかな?
たまに一緒にいてもそわそわとしてすぐにでも帰りたそうにしている。
ほら、今日だって欠席したわ。
──だから私は彼の家に行く事にした。
「こらー!お茶会サボるってどういう了見かしら!?」
「うわぁっ!」
ばたんっと彼の部屋の扉を開けて、つかつかと乗り込む。
彼は机で勉強しているみたい。女の子と遊んでるわけじゃないのは良かったわ。
でも私は怒っているのよ。
「婚約者として交流しましょうってお約束、ちゃんと守りなさいよ」
「え…でも、僕勉強……」
机の上には難しそうな本や資料が乱雑に散らばっている。真面目に取り組むのは良い事だけど、だからって約束を破るのはいただけないわ。
「根を詰めて机にかじりついてもいい結果は出ないわ。休憩と気分転換は必要よ」
「あっ、ちょ、ちょっと!」
私は彼の手を引いて、無理矢理にでも外に連れ出した。困惑しながらも手が振り払われない事に何故か安堵する。
使用人の方に言付けてから、外に出る。ちょうど今の子爵家の庭には、沢山の花が咲いているから。
庭にある花壇に近付くと、前回来た時とは違う花々が咲いているのに気付いた。
いつも庭師さんがきれいに整えてくれている。
「お花はね、咲く時期が決まっているの。
今の時期しか見れないお花が沢山あるのよ。
ほら、見て」
花壇の前に立った私たちの間をさぁっと優しい風が通り抜ける。
その様に彼は目を細めた。
「……ホントだ。ちょっと前に見たときと変わってる」
「でしょ?机でのお勉強も大事だけど、こうして現地に行くのも大事なのよ。
数字とにらめっこしてても気付かない事に気付いたり、煮詰まった時は頭が晴れたりするわ」
そう言うと、彼はハッとしたように目を見開いた。
それからバツの悪そうな顔をして。
「……ありがとう、追い詰められてたのが何か晴れたみたい」
ぷいっとそっぽを向いたけど、耳は赤くなっていた。
そんな彼が愛おしい。
「ねえ、一人じゃダメな事も、二人だとできるかもしれないでしょ?
だから沢山話し合いましょう。
いっぱい話して、いっぱいケンカして、いっぱい、いっぱい話すの。
いい事も悪い事も、嫌な事も全部!」
「なるべくケンカはしたくないなぁ」
「私もよ。だから沢山話すの。嫌な事があったらすぐに言うの。お互いにね。
そして解決策を考える。そしたらきっと、一人で悩むより解決するのが早いと思うの」
「……でもかっこ悪くない?」
「悪くないわ。むしろ頼られて嬉しいわ。私を必要としてくれてる、って張り切っちゃう」
「……そっか」
そう言って、私の婚約者君はツキモノが落ちたみたいにスッキリした顔になった。
「僕ね」
彼は上を向く。
「僕、多分君に情けない姿いっぱい見せると思う。でも、カッコ悪くても、へこたれても、君がいるなら頑張ってみるよ。
……だから……その…」
顔を赤くして、何度も瞬きをして。
くるって私のほうを見た。
耳まで真っ赤だけど、真剣な顔をした彼にどきりとする。
「ぼ、僕と、結婚してくださいっ」
瞬間、二人を包むようにぶわっと風が舞った。
辺りに咲いた花びらたちが私達を祝福しているみたい。
「もちろんよ!ふふっ、もう、私たち婚約者なのよ」
面と向かって言われて、私までつられて顔が赤くなって。
恥ずかしくて下を向いた。
そしたら、彼が私の手を握ってきた。
「そうだけど、僕から言いたかったんだ」
繋いだ手が温かい。
心臓はトクトクと、いつもよりちょっと早いかもしれない。
でも、何だか心地良い。
だって、隣にいるのは、大好きな貴方。
ちらりと彼を盗み見る。
彼の顔は今にも湯気が出そうなくらい赤くなって、体はかちかちに固まっていた。
ちょっと心配になったけど、少し震える繋いだ手はぎゅっと握られていた。
~~~~~~
【side F】
あれから沢山話して、沢山ケンカして、沢山仲直りした。
僕はすぐ悩んでしまって、くよくよしていたけれど、彼女はいつも僕に寄り添って励ましてくれた。
ときには……いや、しょっちゅう彼女から叱られた。
でも、それでも僕を見捨てないでくれたんだ。
僕にはあまり目立った才能は無い。
どちらかと言えば欠点だらけの面倒くさい男だと思う。
兄さんにも散々言われた。
けど僕は僕を諦めなかった。
僕を選んでくれた彼女が色々言われない為に、強くなろうって決めたんだ。
おかげで粘り強さとかしつこさはピカイチになれたと思う。
「いや、きみも本当に熱心なのは分かるんだがね。私にも休憩というものをだね」
彼女のお父様も僕が必死に喰らい付くから半ば呆れられながらも様々に指導して下さった。
正解に辿り着くまで何度もやり直して、成功を積み重ねたら段々自信もついてきた。
年頃になると彼女は誰よりも光り輝いて眩しくなった。
貴族が通う学園に入学してからも、彼女の周りは常に人であふれていて、異性からも大人気だ。
僕は彼女を男共から守る為に身体も鍛え始めた。
筋トレも、剣を使う事も、やってみれば案外できるもんなんだな、と目が覚める思いだった。
そんな時、彼女が不安そうな顔をしていた時があった。
「別に、信じてないわけじゃないのよ?
ちょっと嫌な話を聞いたから」
唇を少しだけ尖らせて、俯く。いつもはきらきら輝いている彼女が元気無いのが気になって理由を聞いてみた。
「貴方と幼馴染みの子がいるって。結婚を約束してたのに、私がお邪魔しちゃったって聞いたの」
その言葉に驚いた。幼馴染みは確かにいるけど、そんなやましい感情は一切無いのになぜそんな話が出るのか。
「貴女が邪魔だなんて、そんな事無いよ。僕の婚約者は貴女だけだよ」
彼女は顔を上げると瞳を揺らし、まるで射抜くように見てきた。
僕は躊躇いながら頬を滑る雫を指ですくい取る。
「僕が好きなのは貴女だけだよ」
「本当?」
「うん。幼馴染みは確かにいるけど、何とも思わない。でも、不安に思う事を言ってくれてありがとう。僕は鈍感だから気付けなかった。不安にさせてごめんね」
優しく涙を拭うと、彼女は瞳を閉じて息を吐いた。
「私、ずっと不安だったの。この婚約は貴方にとって無理をさせてしまうのではないかって。
私の想いだけで推し進めてしまって、断れなくして……。だから貴方が気安い幼馴染みの子に行っても、仕方ないんじゃないかと……」
僕の手に自身の手を重ね、潤んだ瞳で見上げる彼女を見て、ドキリとした。
普段は何も無いふりを装っているけど、本当は不安で仕方無かったのだろう。
実際、侯爵家と子爵家。
高位貴族と低位貴族。
責任感もついて回るものもまるで違う。
確かに幼馴染みの方が何も考えなくていい分気楽ではある。
でも、それでも、僕が好きになったのは目の前にいる不安そうにしている女の子なんだ。
「確かに覚えなきゃいけない事は沢山ある。今までと違ってやる事も増えた。僕ね、勉強は嫌じゃないよ。知らなかった事が知れたり新しい発見があったりして、楽しい。
それに、貴女とこれから一緒にいられるなら頑張れるから」
苦しくても辛くても、大好きな人と一緒にいられる事が得られるものならばどんな壁でも乗り越えたかった。
「ねえ」
「ん?」
「ちゃんと名前を呼んで」
ざぁっと風が吹き荒れる。
僕は思わず息を呑んだ。
名前を呼ぶ事をして良いのか、と迷ってしまったからだ。
でも、彼女は僕を真っ直ぐに見てくる。
見つめ合う形になった事に気付いた途端に鼓動が高鳴っていった。
何度も瞬きをして、何度も唾を飲み込んで。
微かに震える唇を動かす。
「エヴェリーナ」
彼女の瞳が微かに揺れた。
何故だろう。僕の目頭が熱くなって、僕は思わず唇を引き結んだ。
「もう一回呼んで」
綻ぶような笑顔で言われ、僕の鼓動は益々早くなった。
「エヴェリーナ……」
「なぁに?」
「──っ、な、名前を、呼んだ……よ……?」
きょとんと見てくる彼女が可愛くて、今度は顔が熱くなる。すると彼女は手を口元にあてて「ふふふ」と笑った。
「名前を呼ばれると、ここにいてもいいって言ってもらえたみたいで嬉しくなるわ」
そう、言われて、僕は何故だか泣きたくなった。
おかしいな。
こんなに優しくて穏やかで幸せな世界なのに。
「もう……。泣き虫さんね、フェリクスは……」
いつの間にか溢れるものを、エヴェリーナはハンカチを取り出して拭ってくれた。
(エヴェリーナは、名前を呼んだだけで、喜んでくれる……)
それがどうしようもなく嬉しくて、幸せで。
──どうしようもなく悲しかった。
「うまくやってるようだな」
「兄さん」
兄さんにはまだ婚約者はいない。
僕が無事に結婚式を迎えられたら探すらしい。
もしも僕たちが駄目になってしまったら自分が政略結婚するつもりだと言っていた。
だから好きな子がいても、気持ちを伝えられないらしい。
そんな兄さんは最近元気が無い。
「今のまま頑張れよ」
「うん。ありがとう。……兄さんは……」
大丈夫?と聞こうとしてやめた。聞いてもかわされるだけだし弱音は吐かないだろうから。
その後幼馴染みの子が同級生の男爵令息から求婚され、受けた事を聞いた。
熱心に求愛されて絆されたらしい。
「なんかいつも笑ってるから釣られちゃうんだ」
そう言って笑っていた。
「ニコはいい奴だよ。俺が保証する。
……幸せになれよ、アルマ」
兄さんは幼馴染みとして言葉を向けた。
アルマは幸せそうに笑った。
その後兄さんはエヴェリーナの父であるソレイユ侯爵から指導を受けながら領地改革の勉強に勤しんだ。
そのうち誰かと出会って幸せになってほしいな。
隣国の視察団歓迎パーティーがあった。
王太子殿下同士の交流と、その周りの方たちも一同に会するとすごく華やかで、令嬢たちは色めき立っていた。
王城主催のパーティーは全貴族に招待状が来る。僕はエヴェリーナをエスコートして会場入りした。
一通り挨拶をして、休憩していると隣国の王太子の側近だという方がずっと彼女を見ていたから気が気じゃなかった。
幸いエヴェリーナは彼の存在に気付いていない。もし気付いて、惹かれてしまったらどうしよう、って漠然と不安になった。
だから僕はずっと彼女の側にいて、手を繋いだり髪に口付てみたり、思いきって腰を寄せてみたりした。ちょっと牽制してしまったんだ。
余裕が無さ過ぎて情けない。でもあの方はだめだ。危険な気がした。
そんな僕の思惑とは別に、彼女は顔を赤くして嬉しそうにはにかんでくれたから結果的に僕としても役得だった。
それ以来その方の姿は見ていない。
きっと彼女に惹かれていたのだろうけど、でも彼女だけは渡したくないんだ。
そんなこんなで、今日は僕たちの結婚式だ。
ずっとこの日を待ち詫びていた。
真っ白なドレスに身を包んだ彼女はとてもきれいで、見た瞬間から僕は見惚れてしまった。
そんな僕に気付いて、ふわりと笑う。
何度目か、僕は彼女に恋をした。
「きれいだよ。……すっごく、輝いてて。女神さまみたいだ」
「貴方も素敵よ。ふふっ、すっかり逞しくなっちゃったわね」
「君を守る為に強くなりたかったんだ。……似合わないかな?」
「いいえ、どんな貴方も愛しているわ」
その言葉に僕は舞い上がってしまって。
つい妻となる彼女をお姫様だっこしてしまった。
「きゃあ!」
「僕も愛しているよ」
そうして口付ける。
額に、頬に、くちびるに。
「も、もう、ちょっと!お化粧とれちゃうわよ!貴方に付いちゃうし!」
それでも抵抗らしい抵抗を見せない彼女が益々愛おしくなって。
僕は彼女を降ろしてから思い切り抱き締めた。
「ありがとう、僕を選んでくれて」
「…貴方も……ありがとう。……無茶言っちゃってごめんね。でも、たくさん頑張ってくれてありがとう」
再び彼女に口付ける。
嬉しくて幸せで、僕の頬に雫が伝った。
「もう、ホント、泣き虫さんね……フェリクスは」
「何でかな、すっごく幸せで、嬉しいんだ」
彼女は困ったように笑ってハンカチで僕の涙を拭った。
そうして僕の頬を持ち、彼女から口付けられようとした時。
「お前らいつまでイチャついてんだ!!式始まるぞ!?」
兄さんの怒声で我にかえってパッと離れた。
ある意味止めてくれて良かったかもしれない。
心臓はバクバクだ。
すると彼女は堪えきれないというように笑い出した。
瞳にうっすらと涙が浮かぶ。
僕は深呼吸して息を整えた。
「じゃあ、行こうか、奥さん」
「む、奥さん、じゃなくて。ちゃんと名前を呼んで」
未だに気恥ずかしくて中々呼べないけれど。
ほんの少しの勇気を出す。
「行こう、エヴェリーナ」
手を差し出すと、エヴェリーナはそっと重ねてくれた。
「行きましょう、フェリクス」
そうして僕たちは、光の中へと歩き出した。
それは優しい陽の光。
暖かくて、幸せな。
エヴェリーナという名前の。
僕を導いてくれる、大好きな貴女。
お読み頂きありがとうございました!
隣国の王太子のスピンオフ始めました。
【王太子は、婚約者の愛を得られるか】
興味のある方はよろしくお願い致します(*ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾