2.森を歩いて身を削る
森の中での一日目
天気 晴れ
気温 蒸し暑い
服 なし
持ち物 なし
時間 昼間
わたしは森の中を歩いていった。
最初の場所に戻れるように、周りの木に印を付けながら
高い方へ、高い方へ向かう
高台から見渡せば、人の道や町や村が見つかるかもしれない
しかし、素っ裸で森を歩くなんて簡単ではない。
たくさんの苦しみが襲いかかるのだ。
今から一つ一つ説明していこう。
●まず一つ目に、裸足で森を歩く苦しみだ。
でこぼこの地面に、小石や岩があちこちに転がっていて
切り傷、疲労、突き指などによって。
私の足はじわじわと傷ついていく。
さらに、地面を埋め尽くす草がある。
足を踏み出すたびに、すねやふくらはきが、草にこすられて削られていく。
最初は気持ちいいとさえ思った。葉っぱに撫でられる感覚。
しかし、棘のある葉っぱ、鋭い葉っぱ、ざらざらした葉っぱに、切り傷をつけられ、どんどんと足が痒くなる。
切実に靴がほしい、ズボンがほしい。
靴をはいて服を着ることなんて、ずっと当たり前のことだった。
でも今はそれがない。
当たり前のものがなくなった時、私が今までそれにどれだけ守られてきたのか、嫌でも痛感させられる。
今のわたしには、守ってくれるモノもヒトもない
かゆい、かゆい、いたい、
一歩踏み出すたびに、自分が削られていく実感
死にたくない
涙さえ流れないような。はっきりとした死の恐怖。
それが私を、さらに前へと突き動かす
●二つ目に、虫がいるという苦しみだ。
見たことがない虫ばかりだ、鮮やかな色味や、変な形、明らかに日本の虫ではない。
小さな虫や大きな虫、とにかく色んな虫が、私の周囲を蠢き、飛び回る
それだけならまだいい。
しかし、虫は私の身体にまとわりつく。足の方から登ってきて、私の肌を這い回る、飛んできて止まったり、頭の周りを飛び回ったり。
蜘蛛の巣のようなものに何度も引っかかって、肌にベトリとしたものがこびりつく。
ちくりと刺されることもある。小さな虫だ。
痒くなるだけで今のところなんともなかったが、
もし毒が入っていたらどうなっていたかと考えてしまう
生い茂る草のせいで、歩く足元がよく見えない。
もしかしたら、足元に毒ヘビがいるかもしれない。
でも、噛まれるまでそんな事には気づけないのだ
最悪の想像ばかりが頭の中を支配する。
しかしそれは、今すぐ起こりうる未来なのだ。
想像力豊かな自分の頭を呪ってしまう。
もういっそ動物になりたい。
動物は、想像で恐怖することなんてないだろうから
●三つ目に、疲労の苦しみだ。
私は決して運動音痴ではない。基礎体力はある方だ
水泳のタイムはクラスの女子の中で2位だし、運動会でもリレー選手だ。
ボールを扱うスポーツは死ぬほど下手くそだけど。
でも私は今、クタクタに疲れている。
日が高くなり、葉の隙間からギラギラと太陽が照らしつける。
森の湿気が立ち込めて、サウナのように蒸し暑い。
汗が噴き出し、肌の表面がベトベトになり、泥や木の粉が肌に張り付く。
気持ち悪い。
すぐにシャワーを浴びたい。
でこぼこの斜面を裸足で登り、
足の裏、ふくらはぎ、太ももやおしりの筋肉が悲鳴をあげる。
身体が重く、足が上がらない。
身体が熱い
●そして、疲労が溜まると、喉が渇く、お腹が空く
これが四つ目の苦しみである。
さらに、これが一番身体に堪える
私は、森の中に入れば、
りんごとか梨が沢山なっていると思っていた。
綺麗な川が流れているものだと思った。
しかし、それは楽観的な幻想だった。
見た事ない大きなキノコ
ぐちゃぐちゃのゼリーのような果実
気持ち悪くて口に入れたくない。
本当にここは地球なのだろうか?
それすらも怪しくなる。
小さな水溜りを見つけた
泥やコケが混じり、虫が湧いている。
とても飲めたものじゃない。
●この四つの苦しみに、身も心も絡めとられ、じわじわと侵されていく。
怖い、辛い、しんどい、頭が痛い、だけど進む
ここで立ち止まるのは、もっとずっと怖いから
大きな岩を登り、また降りてまた登る
急な斜面を、木の根を掴み登っていく。
何度も、足を滑らせ、手を滑らせ、ひっくり返る。
転げ落ちる
身体中が痛い
私を守るものは何もないのだ
でも、死にたくない。まだ生きたい。
こんな森の中で、訳のわからない死に方をしてたまるか。
どうせ死ぬなら、大勢の人に見られながら、思いっきり悲しませてやりたい。
同じ裸なら、森の中で野垂れ死ぬより、渋谷のスクランブル交差点に飛び降りた方がまだマシだ。
変態だと後世に名が残るって?それでも良いよ。
誰にも見られないことが、一番辛いから。
お父さん、お母さん。
私、こんな所で死にたくないよ。
私、まだまだ生きたいよ。
死にたくなるようなこともあるけれど、
それでも、それでも……
何時間経ったのだろう?
必死に森を登っていくと。ついに変化が訪れた。
とてつもなく大きな岩だ。
木々はそこで途絶えていて、
岩の上の方は太陽の光に照らされて輝いている。
私は吸い込まれるように、そこに向かい。
岩を登る。
日の光で焼けた岩は熱い、火傷しそうだ。
そして、私自身も太陽に照らされる。
あ、
頂上が見えた。
そしてそこには、木造の小さな板の台があった。
その上には、果物らしきものが大量に置かれていたのだ。
目覚めてからはじめて、人工物を見た。
そして、明らかに食べられるであろう、たくさんの果物。
岩山の山頂に置くなんて、神様への贈り物かもしれない。
太陽に当てて、干しているのかも知れない。
でも、今はそんなことどうでも良い。
食べなきゃ死ぬ。
私は、痛みを忘れて登りきり。
大きな果物にかじりついた。
カプッ……
すっぱ………
酸味と甘味が、身体中に染み渡る。
カプッ、カプッ、カプッ
水気が喉を潤していく。
身体中の細胞が喜んでいる
何これ、うますぎでしょ
ただただ、夢中で頬張る。
あれ…?
なんで私、泣いてるんだろ?
私の目から、雫がぽろぽろとこぼれ落ちる。
ダメだよ、泣くのは、水がもったいない
私は汚れた手で涙を拭き取り、口の中へと飲み込んでいく。
私の涙は苦かった
たくさん食べて、たくさん泣いた。
そしてふと我に返り、頭を上げる。
私は、目に飛び込んできた景色に息を呑む。
ここは、高い高い山の、山頂だったのた。
視界いっぱいに広がるのは、
驚くほど美しい、幻想的な大自然だった。
(ああ、この世界は、なんて綺麗なんだろう。)
全身が震えあがる。
これは感動だろうか?
それとも、絶望だろうか?
どこを見渡しても、山、山、山、
たくさんの山が、遥か遠くまで連なっていく。
となりの山に、川や滝があるのが見える。
という事は、この山にも川はあるだろう。
町や村の気配はない。人が作ったものといえば。この果物の置かれた板の台だけだ。
とにかく、2日や3日で人里につけるとは思えない
すぐにでも他の人の助けがないと、わたしは死ぬだろう。
ここに人が来た痕跡があるのだ。
ここで待つべきかも知れない。
でも、ここは確実に日本ではない。
言葉が通じず殺されるかもしれない……
もしかしたら、死ぬ以上に酷い目に遭うかも知れない。
生きたまま食べられる、とか
もう、いっそ自分から死ぬべきだろうか?
身体中が痛い。もう、限界が近い。
そんな時に、私の視界に、白い一筋の線が入ってきた。
あれは……煙だ!
ここから少し下の方で、煙が立ち上っている
火のない所に煙はたたない。
火があるという事は、そこに人がいる。
もしかしたら山火事かも知れないけど。
ここから近い場所だ、
とにかく行ってみよう。
私は、果物をお腹いっぱい食べて、持てるだけ抱えこむ。
ここにある果物は、全種類を覚えておく。
まだまだ諦めてたまるか。
私は絶対に生きぬいて、家へ帰るんだ。
どんなに苦しくても、前へ進むのだ。
私は煙の立つ場所を目指して、また森の中へと足を踏み入れた。