お互いに好きって言うまで出られない部屋に閉じ込められた破局寸前のカップルは、意地でも好きと言わない
『キスしないと出られない部屋に閉じ込められた破局寸前のカップルは、意地でもキスをしない』の続編です。
日暮嶺二と美南真帆は、破局寸前のカップルである。
恋人同士になって、およそ三ヶ月。早くも倦怠期に突入した二人は、顔を突き合わせれば毎度のように口喧嘩をしている。
キスだって、何かしら理由をこじつけなければすることが出来ない。
辛うじて手を繋いでいるものの、俗に言う恋人繋ぎなどではなく。その上この状態がいつまで続くかわかったものじゃなかった。
そんな二人は今……Dr.キューピッドと名乗る人物に誘拐され、地下の密室に閉じ込められていた。
部屋の名前は『お互いに好きって言うまで出られない部屋』といい、その内装はとても異様なものだった。
家具や家電は一切ない。もちろん美術品や花が飾ってあるなんてこともない。
どういうわけか電話ボックスが二つ設置されているだけだった。
電話ボックスの扉には、それぞれ男性と女性のマークが描かれている。対応する性別の電話ボックスに入れということなのだろう。
「Dr.キューピッドの目的は、俺たちを付き合い立ての頃みたいなラブラブカップルに戻すことだったよな? ……チッ」
「はい、そうです。その目的を達成する為に、お互いの好意を言葉にして伝えさせようと目論んでいるようですよ。……チッ」
「どうせ面と向かっては「好き」と言わないだろうから、電話口で言わせようって魂胆か。つくづく、よく考えられたゲームだぜ。……チッ」
「嶺二くんの方が舌打ちが一回多いです。ずるいです。ですので、私も意味もなく舌打ちをします。……チッ」
言うまでもなく、密室に二人きりで閉じ込められている嶺二と真帆のストレスは、とっくに最大値に達していた。
「さながら昭和のラブストーリーのように、公衆電話口で嶺二くんに「好き」と言えば良いだけでしょう? 簡単じゃありませんか。互いの顔は見えていないことですし、それこそ好きな芸能人の姿を思い浮かべれば良いだけの話です」
「だな。キスをしろって言われるよりは、ずっと気が楽だ。とっととクリアして、この部屋を出るとしようぜ」
10分もかからずに、このゲームをクリア出来るだろう。この状況を楽観的に考えながら、二人はそれぞれ電話ボックスの中に入っていった。
◇
【真帆サイド】
真帆が電話ボックスに入ると、それと同時に目の前の公衆電話が鳴り始めた。
誰からの電話かなんて、考えるまでもない。十中八九、この誘拐の犯人からだ。
真帆が受話器を取り、耳に当てると、案の定Dr.キューピッドの声が聞こえてきた。
『やあ、美南真帆。電話ボックスの様子はどうだ?』
「無駄に冷暖房が完備されているから、快適ですよこのヤロー」
『それは良かった。君たちの為に多額の金を費やした甲斐があったよ』
「お気遣いどうも。そもそも誘拐なんてしなければ、無駄金を使う必要もなかったと思いますけど? ……で、ここは何なのですか?」
『見ての通り、電話ボックスだ。ただ、その公衆電話は特別性で、私以外の人間とは通話出来ない仕様になっているがね』
Dr.キューピッドとしか通話出来ないということは、当然真帆は嶺二と通話することも出来ない。
てっきり二人で通話をして、電話口で「好き」と言い合うものだとばかり思っていたが……どうやらその予想は外れたようだ。
「確かこの部屋から出る為には、互いに「好き」って言う必要があるんですよね? 嶺二くんと通話出来ないなら、どうやって彼に「好き」と伝えるんですか?」
『良い着眼点だ。……これから私は、君にいくつかの質問をする。君は質問に答えてくれるだけで良い。その過程で日暮嶺二に「好きだ」と告げられれば、条件クリアだ』
「何ですか、そのルールは? 質問に答えれば良いだけとか、物凄く簡単じゃないですか」
路上アンケートで質問に答えていき、最後に「日暮嶺二のことが好きですか?」という質問に「はい、好きです」答えれば良いようなものだ。しかも嶺二のいないところで。
「キスをしろ」みたいに難解な条件を突きつけられると身構えていたからこそ、とんだ肩透かしをくらった気分だった。
『そうだとも。簡単なゲームだとも。……まずはチュートリアルだ。君の名前は?』
「……美南真帆です」
『よろしい。次に、好きな食べ物は』
「そうですねえ……パスタでしょうか? 最近はナポリタンがマイブームです。……こんな感じで良いんですか?」
『あぁ、バッチリだ。……受話器を耳に当てたまま、少し待っていてくれ』
そう言い残して、Dr.キューピッドは電話を切った。
意味もわからず取り残された真帆は、指示された通りそのままの姿勢で呟く。
「名前とか好きな食べ物とか聞いて、一体何のつもりなのでしょうか? こんなゲーム、とっととクリア出来ますよ」
◇
【嶺二サイド】
電話ボックスに入った嶺二もまた、受話器を手に取り耳に当てていた。
しかし余裕綽々な真帆に対して、嶺二の顔色は青ざめている。
「おいおい、今のは何だよ? 何で受話器から、あいつらの声が聞こえるんだよ?」
受話器から聞こえた、あいつらの声……それは真帆とDr.キューピッドが通話している音声だった。
どうして受話器から、真帆とDr.キューピッドの声が聞こえたのか? 導き出される答えは一つ。受話器を通しての会話は、互いに筒抜けになっているのだ。
嶺二が額に手を当てていると、突然Dr.キューピッドとの通話が開始される。
『やあ、日暮嶺二。電話ボックスの中は快適かな?』
「そんなわけあるか。最悪だよ」
Dr.キューピッドとの会話は全て真帆に聞こえている為、迂闊なことを口に出来ない。言いたいことを言えない現状は、とてもじゃないが快適とは言えなかった。
「この部屋は確か、『お互いに好きって言うまで出られない部屋』だったよな? クリア条件は何なんだ?」
『余計なことを言わなくて済むように、さっさと本題に入ってしまおうということか。……良いだろう。お望み通り、この部屋から脱出する条件を教えよう』
Dr.キューピッドは、先程真帆にしたのと同じ説明を嶺二にもする。クリア条件を聞いた嶺二はというと、
(いや、ふざけんじゃねーよ! この状況で「真帆が好き」だなんて、言えるわけねーだろ!)
真帆のいないところでなら、いくらでも「好き」と言えるだろう。でもたとえ目の前にいないとしても、声が聞こえているとわかった以上、「好き」だなんて言える筈もなかった。
恥ずかしいからというのも、理由の一つだ。でも、それ以上の理由がある。
「あいつより先に、好きと言ってたまるかよ」
破局寸前のカップルは呆れるくらい意地っ張りなので、相手より先に「好き」と言いたくないのだ。
まあ? 向こうが「好き」だと言うのなら、しょうがないからこっちも「好き」と言ってあげても良いけど? そんな感覚なのだ。
一見すると、ただの意地の張り合いだ。だがその根底にあるのは……「先に好きと言われたい」という欲求だった。
そして恐らく真実を知った真帆も、同じことを考えるだろう。
日暮嶺二と美南真帆。破局寸前のように見えるこの二人は……自覚していないが、依然バカップルなのだ。
◇
【真帆サイド】
嶺二とDr.キューピッドが通話しているのと時同じくして、真帆はようやくこの『お互いに好きって言うまで出られないゲーム』の本質に触れていた。
(ちょっとちょっと! 何なんですか、今のは!?)
通話が切れた直後に、真帆の耳に入ってきた嶺二とDr.キューピッドの声。二人の会話内容を踏まえれば、公衆電話上でのやり取りが筒抜けになっているという事実に行き着くのは容易だった。
(待って下さい! ということは、さっきまでの私とDr.キューピッドの会話も、嶺二くんに聞こえていたってことですよね? えっ? 私、変なこと言ってませんよね? 間違っても、「嶺二くん好き好き愛してりゅー!」とか言ってないですよね!?)
真帆は先程の自身の発言を思い出す。……恥ずかしいことは何も言っていないという結論に至り、ひとまず胸を撫で下ろした。
しかし安堵したのも束の間、すぐにDr.キューピッドとの通話が始まる。
「……Dr.キューピッド」
『どうした? 随分と不機嫌そうな声じゃないか。電話ボックスの中は、快適なんじゃなかったのか?』
「空調に関しては快適ですよ。でも、気分はこの上なく最悪になりました」
『そうか。だったらなるべく早く、この部屋から脱出しないとな』
いや、てめぇが閉じ込めてんだろうが。真帆は思う。
しかしDr.キューピッドに罵詈雑言を浴びせたところで、現状は変わらない。無駄な体力を消費するだけだ。
怒髪衝天の真帆だったが、湧き出す怒りをグッと抑え込み、次なる質問を待った。
『それでは質問だ。甘いものと辛いもの、君はどちらが好きなんだ?』
「ものによりますね。甘いものですとケーキや大福なんかが好きですし、辛いものですと麻婆豆腐が好きです。しかし敢えて優劣をつけるとしたら……甘いものの方が上ですかね」
『ほう。ケーキが好きとは、意外だな。甘いものは、寧ろ苦手だと思っていた』
「これでも女の子ですので。いつもはカロリーを気にしてセーブしていますけど、年に一回誕生日だけ思う存分食べてます」
『お気に入りに店はあるのか?』
「駅前の手作りケーキ屋を知ってますか? あそこのケーキバイキングは、最高ですよ」
『誕生日にお気に入りの店でケーキバイキングか……なかなか充実した過ごし方じゃないか。因みに今年は、誰と行ったんだ?』
「……チッ」
舌打ちからもわかるように、真帆は今年の誕生日を嶺二と一緒に過ごした。
――ケーキを食べすぎてお腹がいっぱいですよ。
――俺は満足そうなお前の顔を見れて、胸がいっぱいだよ。
などという恥ずかしいやり取りは、真帆にとって黒歴史であり、思い出すだけで死にたくなってくる。
『特に好きなケーキとかはないのか?』
「どれも好きですど、一つだけ選ぶとしたら……チーズケーキですね。それもレアのやつ」
『レアチーズケーキ、私も大好きだよ。甘すぎないところが、何よりの魅力だよな、……時に美南真帆、日暮嶺二のこともチーズケーキと同じくらい好きなのか?』
「そりゃあもちろん、チーズケーキと同じくらい……って、ゲフンゲフンッ!」
危うく出かけた「好き」という単語を、真帆は咳き込むことで誤魔化した。
「……間一髪でした」
『いや、限りなくアウトに近いんだが』
文脈上、あの流れで「嫌い」という単語が続くことはない。声に出していないだけで、ほとんど嶺二のことが好きだと言ったようなものだった。
『本当に強情だな。もう腹を括って、「好き」と言っちゃえば良いものを』
「嫌ですよ! 私は嶺二くんに先に「好き」と言って欲しいんです! 間違えた! 嶺二くんより先に「好き」と言いたくないんです!」
口を滑らせかけたことで、珍しく焦っているのだろう。真帆は盛大に自爆した。
「……彼より先に好きと言ってたまるものですか」
敵はDr.キューピッドではなく、互いのパートナー。長丁場になるのは確実だった。
◇
Dr.キューピッドの正体はと広崎圭一いい、嶺二と真帆の友人である。圭一は監視カメラのモニター越しで、頑固過ぎる友人たちにほとほと呆れていた。
誘拐され、長時間監禁され、心身共に疲弊しきることで、お互いの大切さを再認識するのではないか? そうなれば、二人は付き合いたての頃のようなラブラブカップルに戻ることが出来、毎日目の前で繰り広げられる口喧嘩もなくなるだろう。
そんな期待を込めて、このゲームを企画したわけだが……全てが思惑通りに運ぶなんて、そう都合良くはいかなそうだった。
長い溜息を吐く圭一に、共犯者兼友人の与田早苗が話しかけてきた。
「調子はどう? 片方くらいは「好き」って言った?」
「だったら希望も持てるんだけどな。美南さんがさっき「好き」って言いかけたんだけど……残念ながら、未だに膠着状態だ」
「真帆ならうっかり口を滑らすと思っていたけど、案外頑固だね。……ところで、ここに置いてあるケーキは何?」
いつの間にかテーブルの上に置いてあるレアチーズケーキを指差しながら、早苗は尋ねる。
「さっきまで美南さんとケーキの話をしていたら、食べたくなっちまってな」
「ふーん。……食べても良い?」
「別に構わないけど……お前さっきまで、お菓子をボリボリ食べていなかったか?」
「ノープロブレム! 甘いものは別腹なんだから!」
そう言って、早苗はレアチーズケーキを食べ始める。
「何、このレアチーズケーキ? めっちゃ美味しいんですけど! どこのお店のやつ?」
「どこの店のやつでもない。俺の手作りだ」
「マジで? お前もう、私のとこに嫁に来いよ」
◇
【嶺二サイド】
(真帆のやつ、可愛すぎるだろおおおお!)
真帆の失言は、当然嶺二の耳に届いている。
事実上真帆から「好き」と言われたようなものであり、彼女の失言は嶺二が悶絶するのに十分な破壊力を有していた。
照れるあまり、嶺二は公衆電話をバシバシ叩き続ける。
その様子は、当然Dr.キューピッドにも見えていた。
『照れ隠しのつもりなんだろうが、壊れるから公衆電話を叩くのはやめてくれ』
「照れてなんていない。何の意味もなく公衆電話を叩きたくなっただけだ」
『ただの器物破損じゃないか。そっちの方が、よっぽどヤベェ奴だよ。……それで、これからどうするつもりなんだ?』
「どうするつもりって? 一刻も早くこの部屋から出たい。その気持ちは変わらないぞ?」
『すっとぼけたって無駄だ。……美南真帆の気持ちは、もうわかっただろう? それでも君は、自分の意地を貫く為だけに彼女に最後まで言わせる気か?』
「……」
互いに意思疎通の取れない現状では、キスのようにいっせいのせいで同時に「好き」と言うことも出来ない。どちらか一方が折れなければこの『互いに好きって言うまで出られないゲーム』をクリア出来ないことくらい、嶺二にもわかっていた。
真帆ならば、いずれ口を滑らせるだろう。そんな気はしていた。そして実際にそうなった。
でも……それで良いのか?
Dr.キューピッドの口車に乗せられたわけじゃないけれど、ここに来て真帆に先に「好き」と言わせることに、嶺二は罪悪感を抱き始めていた。
『多分これが、最後のチャンスだぞ? ……美南真帆のことが好きなのか?』
問われた嶺二は、考える。
答えなら、もう決まっている。正確には、先程の真帆とDr.キューピッドのやり取りを聞いて決めた。
でも、答えを導き出すのと口に出すのは別の話だ。簡単に伝えられるのなら、小一時間もこの部屋にいたりしない。
『どうなんだ?』と、Dr.キューピッドは詰め寄る。催促されて、嶺二はようやく口を開いた。
「悪いが俺は、意地でも「真帆が好きだ」なんて言わねーよ。だって……俺は真帆のことが、大好きなんだから」
◇
【真帆サイド】
『……と、日暮嶺二は言っているが、君はどうなんだ?』
Dr.キューピッドの問い掛けに、真帆は答えなかった。
嶺二に「大好き」と言われたことが嬉しくて、今の自身の感情が言葉にならないのだ。真っ赤になった顔が、そのことを物語っている。
本当に破局寸前ならば、彼女に対して「大好き」だなんて言わない。
本当に破局寸前ならば、彼氏に「大好き」と言われてこんな表情にはならない。
予想以上の収穫に、Dr.キューピッドは内心ガッツポーズをしていた。
しかしDr.キューピッドは興奮を表に出すことなく、平坦な口調で続ける。
『彼の男らしさに、応える気はあるのか?』
真帆の答えも、決まっていた。
そして既に本音を漏らしてしまっているわけだから、今更口に出すのに抵抗などなかった。
「私は嶺二が大好きだなんて、言ってあげませんよ。嶺二くんのことは……超好きです」
ガチャ。部屋の鍵が解錠される。
嶺二と真帆はほとんど同時に電話ボックスから出ると、お互いに見つめ合った。
好意をぶつけ合った後なのだ。正直顔を合わせるのは、めっちゃ恥ずかしい。すぐにでも目を逸らしたい。
だけど意地っ張りな二人は、ここで目を逸らしては負けだと考えて、何食わぬ顔で会話を始めた。
「なんか、鍵が空いたな」
「二人とも、「好き」と言った覚えはないんですけどね」
そりゃあ、「好き」とは言わないだろう。
嶺二も真帆も、互いを好きだとは思っていない。大好き或いは超好きなのだ。
部屋の外に出ると、そこは建物の出口へ繋がる階段だった。
ようやく家に帰れる。二人がそう思いながら、階段を上り始めると――
「続いては、『楽しいデートを終えるまで休日返上ゲーム』!」
「「いや、まだ終わらないんかい!」」