本当に怖いものとは
トントントン、と私の家の扉を叩く音がした。
その音に対して私は返事をする。
「どなたですか?」
そう言うと声の主は言葉を返してくれた。
「物を売りに来た八百屋さ、何か買ってくれないかい?」
男性の声。優しい雰囲気だ。
……八百屋なら安心だろう。
フードを被り、私は彼と対面した。
「今日は何を売っているんですか?」
「色々さ。畑で採れた新鮮なものばかりだよ」
そう言って多種多様な野菜を見せてくる。
お金は少ないけれど、持っていないわけではない。
せっかくやってきた人に対して何も買わないのは申し訳がない気がする。
「では、これとこれを下さい」
「はいよ、毎度あり」
新鮮なトマトとキャベツを買って、軽く会釈する。
フードを深く被ったまま。
「ところでお客さん、なんで家でフードを被ってるのかい?」
「あっ、それは」
事実を言うわけにはいかない。
うまく言い訳を考え、言葉にする。
「こうしてると落ち着くからです」
「フードを被ると落ち着くと」
「小さい頃から、そうしてきましたから」
「なるほどなぁ。それなら納得だ。ま、元気にしてなよ。また売りにくるからよ!」
「はい、ありがとうございます」
笑顔で返答して、八百屋さんを送りだす。
扉が閉まったことを確認して、私は小さなため息を付いた。
「……はぁ」
人と話す時はいつも緊張してしまう。
私の家は人里から離れた場所の一軒家だ。
一応、近くの里長には話を通してあるので、私がここに暮らしていることは近くの人なら誰でも知っている。
……ただ、私にはひとつだけ秘密がある。
「私は人間じゃないことがばれたらどうしましょう……」
私は人狼、狼女だ。
獣のような体毛や獰猛な爪は持っていないけれども、人間のような耳ではなく狼の耳を持っていて、尾だって存在している。
長めのスカートで尾は誤魔化せるものの、フード以外で耳を誤魔化す手段が私にはない。
もしもこのことがばれてしまったどうしよう。
私はそのことがずっと不安だった。
「……考えても、どうしようもないですね」
考えるだけ不毛な発想に繋がってしまう。
そう考えた私は、そうそうに食事の支度を取り、先ほどの食材を使うことにした。
山の幸や新鮮な野菜を使ったサラダはどれも美味しい味で、私をほっとさせた。
後日。
私は薬草を売りに、山の一軒家から人里に向かった。
これでも人狼の端くれ、狩りができないわけではない。山で採れるものの選別もそれなりにはできる。
ただ、お金がないと行商人がやってきた時などに対応できないし、怪しまれてしまう可能性だってある。
だから私は薬草売りとして、里に下りるのだ。当然、フードをしっかりと被ったまま。
「いっぱい売れたらいいけど……」
あまり人付き合いは得意ではない。
だから、なるべく薬草は今回の下山でなるべく多く売っておきたい。
その方が気が楽だから。
「すみませーん、薬草は要りませんかー!」
遠くの人にも届くように大きな声で、問いかける。
「その薬草はどういうものなのかい?」
近くを歩いていた年老いた女性が私に問いかけてきた。
「はい、主に擦り合わせて傷薬として使うことに重宝しています。煎じると、お茶にもできますよ」
効用と効果を説明して、こういうものですと取り扱いの証明書も見せる。
里長にはしっかり話を付けているので、いかがわしい存在ではないということはこれで判断させられる。
「なるほど、それはありがたいね。いくつか……そうだね、五つ、貰おうか」
「ありがとうございます」
多く売れたことは素直にありがたい。
そう思いながら、薬草を渡し、お金を受け取る。
普通のやり取りだ。
「最近は物騒になってきててねぇ」
「物騒、ですか」
彼女の話に耳を傾ける。
「えぇ、この里に人狼が現れたって噂だよ」
「人狼……」
その言葉で、身を摘ままれるような感覚に陥る。
私だって人狼だ。
身を引いた方がいいのだろうか。
私のことを指しているのではないか。
不安が募る。
「あぁ、やっぱり不安になるよねぇ」
「その、人狼はどういうことをしてるんですか?」
「あの掲示板に詳しく書いてあるけど……怪我人が出たってさ」
「怪我人……」
私はやっていない。
ただ、人狼がやったとなれば、私が疑われてもおかしくはないだろう。
より、警戒しないといけない。
「ありがとうございます、掲示板の方も確認していきますね」
そう言って私は、里の中央にある掲示板を確認しにいった。
そこには大きな見出しで『夜、襲い掛かる人狼現る、注意せよ』という文字が書かれていた。
「嘘じゃないんだ……」
嘘だと信じたかった。
けれども、事実として存在する。
思わず身震いする。
どうすればいい。
とりあえず、薬草は売らないといけない。
「今日は、すぐに売り切らないと」
嫌な予感がしたので、私は残っていた薬草も色んな人に売り、食材をいくつか買った後、家に戻ることにした。
皮肉なことに薬草は人狼の被害の影響か、いつも以上に多く売れた。
後日。
私は家で大人しくしていた。
疑われる可能性だってある。
しばらく安静にしているべきだろうと思ったのだ。
トントントン、と扉を叩く音が再び響いた。
今度は誰だろうか。
心配しながらフードを被る。
「俺だ、里長だ」
やってきたのは里長だった。
彼だけが、私という存在が人狼である事実を知っている。
「……入って大丈夫です」
「そうか、わかった」
そう言って彼は私の家に入ってきた。
木でできた私の家はそこまで大きくない。
大人数が押し寄せるような空間はないだろう。
椅子に座った里長が重々しく話す。
「今回の件、君は関与していないよな」
「していません。証拠は……出せませんが……」
人狼だというだけで疑われるのは仕方がない。
そう思いながら、眼を背ける。
「そうだよな、お前は関係ない。目を見ればわかる」
「そういうものなのですか……?」
「俺は里長だぞ? 人を見る目には自信がある」
そう言って笑う彼の姿は不思議と心強かった。
「ただ、全ての人がお前を認めてくれるか、と言われたら俺には正直わからない」
「里長……」
「だから、もし人狼の被害が拡大するようなことがあれば、お前はすぐに逃げてほしい。いざこざに巻き込まれる前に」
「で、でも、逃げろって言われてもどこに逃げればいいかわかりません」
「人脈はある、何かあったらここにいるヤツを頼れ」
そっと渡してきた手紙には私の家から逃げられるように書かれた地図と、目的地への印が書かれていた。
「俺は、正しいことをしてきたつもりだ。みんな、不安になっているだけなんだ」
「どういうことですか」
「人は不安を感じると、途端に心配性になってしまうってことだよ」
そう笑う里長の姿は、どこか悲壮感を漂わせていた。
その姿を見た私は、つい言葉に出してしまった。
「あの、里長さんは頑張っていると思います。だから、心配ないと思いますっ!」
根拠もない励ましの言葉。
それを聞いた、里長は微笑んでいた。
「君は優しいな」
「……そんなこと、ないですよ」
「いいや、他人の心配をできる存在というのは大切だ。その心を大切にしてほしい」
そろそろ行くと、里長が椅子から立ち上がる。
どこか覚悟を決めた表情をしていた。
「では、元気でな」
「……さようなら」
フードを外して、里長に言葉を伝える。
それが、彼との最期のやり取りになるなんて思いもしなかった。
後日、村の投票によって里長は殺された。
人狼だと疑われて、吊るされたらしい。
その報告を聞いたのは、数日立ってからだった。
「私が、原因……?」
私と関わっていたから疑われてしまったのだろうか。
それとも、ただ、疑心暗鬼によって殺されてしまったのか。
わからない。
わからないけれども、怖かった。
人狼の被害で犠牲者が出る。
そして、吊るされて死んでしまった里長。
頭の中がグルグルして、どうにかなりそうだった。
そして、いつのまにか夜になっていた。
ドン、ドン、ドン、と音が鳴り響く。
「……誰、ですか?」
フードを被りながら、対応する。
もう今日は誰とも話したくない気持ちなのに。
どうしてこんなに音が鳴り響くのだろう。
そう思いながら、外に出ようとした時、ふと、焦げ臭いにおいを感じた。
……家が焼けている。
「そんなっ」
急いで外に出る。
すると大勢の人が待ち構えていた。
その中には、私に野菜を売ってくれた八百屋さんもいる。
薬草を買ってくれた、年老いた女性も。
みんなが松明を持っている。
敵意を持って。
先頭に立っている黒いフードを被った男性が声をあげる。
「あいつが人狼だ! 里を滅茶苦茶にした張本人だぞ!」
まるで軍隊を率いるような口調で、黒いフードの男性が語り掛ける。
「殺せ!」
八百屋が松明を投げてくる。
「騙したんだね!」
年老いた女性も、私を非難してくる。
「わ、わたし、わたしは……」
やっていない。
すぐにでもそう言いたかった。
でも、それは言い訳になってしまうのではないか。
このまま処刑された方がいいのではないか。
殺伐とした状況に、頭が混乱する。
その時、里長がくれた手紙を思い出した。
そこに行けば助かるのではないか。
何かが変わるのかもしれない。
「私は、やってません!」
そう言って、走り出した。
「逃げたぞ!」
「やっぱり犯人だったんだな!」
「吊るせ!」
「切り殺せ!」
「燃やせ!」
逃げている最中に聞こえてくる罵倒を聞かないようにして、ただ走る。
「……あっ」
急いでいたからか、走っている最中に転んでしまった。
その時、フードが外れてしまった。耳が露出する。
「あの耳……狼だ!」
「人狼だったんだな!」
「嘘つき!」
「あいつを殺せば里は平和になるぞ!」
「殺せ!」
「私じゃ、ない、です……!」
投げられた松明に当たり、火傷を負う。
木の枝も投げられて切り傷だってできた。
けれども、私は走った。
人狼の本気は人間の脚力よりも速い。
ただ一人、黒コートの男を除いて、どんどん引き離していく。
あの先導している黒コートの男はなんなのか、そんなことにまで気は回らない。
ただ、ただ目的地まで走った。
印が付いた目的地。
それは頭の中でしっかり覚えていた。
ひとつ山を越えたその先の小屋。
そこが印が付いた場所だった。
後ろにはまだ、黒コートの男性がいる。
里の人は追いついてないけれど、彼がいる限り、私は追われ続けるだろう。
どうすればいい。
言葉は決まっていた。
「助けてくださいっ!」
トントントン、と扉を叩く。
すると中から人間の男性が出てきた。
「ひっ」
また罵倒されるのではないか。
そう思い、驚いてしまった。
「もう大丈夫だ。よく、逃げてこられたな」
そんな私の頭をぽんと叩き、家から出てきた男性は銃を構えた。
「三文芝居は終わりにしようじゃねえか、兄の仇さんよっ!」
そう言って、彼は銀色の銃弾を黒コートの男性に打ち込んだ。
すると、悲鳴を上げるまでもなく黒コートの男性は倒れ込んだ。
狼と人間、その中間の姿を取っている人狼の姿となって。
「あれが、正体だったんですか……?」
「あぁ、兄を吊されるきっかけを作らせた悪い人狼だ。噂は聞いていたが兄貴の奴……命を落としてまで里に残る必要はなかったのに……」
どうやらここの家主はあの里長の弟らしい。
私がやってきたタイミングで事件が進展するだろうから、その瞬間に里を陥れている人狼を撃退してほしいという依頼を受けていたらしい。ここまで展開が早いことは予想していなかったらしく、急な対応になってしまったのはその為だったみたいだ。
「……ごめんなさい」
「お前は謝らなくていい。兄貴は兄貴なりに信念を貫いて死んだ。それでいい、それでいいんだ……」
悲壮の表情を浮かべながら、静かに彼は黙とうする。
しばらくの時間が過ぎたのち、里の人達がやって来た。
武器は持っているものの、先導者がいなくなったからか、少しだけ苛烈さが熱を引いている。
「お前たちが追っていた悪い人狼は死んだ! あの黒いコートを被った男が里を陥れていたんだ!」
動揺の声が響く。
「俺の銀の弾丸は一撃で人狼を撃ち貫き、真実の姿を映し出す。化けていようが変わりない」
「じゃ、じゃあオレたちは騙されてたってことなのか……!?」
「あぁ、そうだ。人狼に騙され、罪もない存在を陥れた。その事実は変わらない……」
静かに、里長の弟は告げる。
「だから、次はお前たちがなんとかしろ。もう、罪もない奴を追いかけるのもやめるんだな」
そういって彼は私の手を取った。
「しばらく匿ってやる。兄貴がやったように、な」
「迷惑にならないでしょうか……」
「人間に対しての恐怖が消えない内はその方がいいだろう」
「……そう、ですね」
その手を握る際に、まだ、不安で手が震えていることに気が付いた。
一度、陥れていいと思ってしまった存在に対してはただ、集団で襲い掛かる。そんな姿を見てしまったからなのだろうか。私自身、疑心暗鬼のようになってしまっている。
……誰も悪くない。悪いのは、騙した存在だ。
それはわかっている。わかっているのだけれども、私が人狼だとわかった瞬間の軽蔑や侮蔑が入った目を忘れることはしばらくできそうにない。
……ただ、私は、せめて、騙された人の心は報われてほしいと思った。
不安があるから、恐れがあり、恐怖が人の心を支配する。いや、恐怖が支配するのは人の心だけじゃないのかもしれない。私も今は、震えている。
里長が正しいことをしてきたならば、きっと、もう一度あの里は活気付くはずだ。
悪い人狼が去ったから、きっと、新しく仕切り直せるはずだ。時間がいくら掛かったとしても。
夜が明けて、日の光が差し込む。
新しい夜明けが、せめて幸福を運ぶものであるようにと願わずにはいられなかった。