93.そういえばいたんだっけ
「ありがとう。じゃ、俺らはこの辺で。皆さんも気を付けて。」
どうやら一件落着のようだし、俺はそろそろ帰るとしよう。だいぶ離れたところまできて時間がたっているし、何より腹も減って来たしね。
軽く挨拶をして踵を返す俺に「え?あの……?」という声が聞こえた。
「あの……これらは持って帰らないのですか?」
「へ?」
”これら”と呼ばれる、みんなの目線の先にあるもの――それは息絶えたオルトロスの死体の山だった。
「え、オルトロスの死体を?」
「もちろんです。皮から肉から牙から、冒険者なら是が非でも持って帰りたい希少素材ですよ!私も商人として喉から手が出るほど欲しいものばかりです。」
ヘイディスさんの言葉に護衛の皆さんもうんうんと何度も頷く。でもなぁ、希少素材はうちではあんまり使わないし、犬肉……正直食べるのに抵抗があるんだけど。それに狼くらいある大きさのオルトロスを十匹も持って帰れないし。
「いやぁ、うちの村ではとても扱いきれそうにないので……あ、よかったら皆さんで持って帰ってください。」
「そんなことできません!命を助けていただいただけでも十分なのに!」
「そうだぜ旦那!そのうえこんな高級品をタダで貰ってすごすご帰るとあっちゃ、冒険者の名折れもいいところだ!」
「でも、さすがにこの荷物は持ち帰れないですし……」
「でしたら、我々の馬車であなたの町まで運びましょう!」
「え、馬車?」
「助けていただいたお礼に、荷運びくらいでよろしければ喜んで。」
でもなぁ、俺の村までって言うけど、たぶんめちゃめちゃ遠いんだよな。風移動では一瞬でも、馬車だと何日かかるんだ?下手したら何週間かも……。さすがにそれはさせられないな。というか、俺が耐えられそうにない。
「せっかくですが、俺の町まではかなり遠いのでそこまで皆さんを付き合わせるわけには……」
「我々は平気です。デスマウンテンに近づくという時点で長旅は覚悟しておりましたし、私は冒険者ではありませんが体力にも自信があります。それに、先ほど言った村のことを口外しないという約束も必ず守ります。どうかせめてものお礼を……!」
どうしよう、困った。そんなことを考えながら押し問答をしていると、後ろから「あの、ケイ様……」と遠慮がちな声が聞こえてきた。振り向くと声の主、アヤナミがすぐ後ろに立っていた。
「どうした、アヤナミ。」
「馬車では時間がかかるので、皆さんのことが信頼できるとケイ様がご判断されるのであれば、私達が姿を変えて馬車ごと運ぶ、というのはいかがでしょうか。」
姿を変えて、つまり龍の姿になって馬車ごと抱えて飛ぶということか。確かにそれなら一気に村まで帰れるし、オルトロスも持って帰れる。馬車で運ぶとなると何日かかるかわからないし、何の準備もせずに森に来た俺にはかなりキツイ旅になる。会った
「そうだな。アヤナミの言う通り、馬車にオルトロスを積ませてもらおう。ヘイディスさん、お言葉に甘えさせていただきます。」
「もちろんです。みんな、オルトロスを馬車の中へ!」
ヘイディスさんの掛け声で護衛の五人と下働きの若者二人が一斉にオルトロスを運び入れる。なにせ大柄な犬なので二人一組になって抱えている。あの大きさじゃ体重もそれなりにあるだろうしな。
それでも、屈強な男たちの仕事のおかげで十匹いたオルトロスはすっかり馬車の中へ。あとは皆も馬車に乗り込んでもらって、大分狭いけど仕方ない。
「じゃ、皆さんも――「して、ケイ様」
突然シリウスが呼び止める。俺は勿論、ヘイディスさんや護衛の皆さんも思わず動きを止めて振り返る。
「どうした?」
「この者はいかがいたしましょう?」
そう尋ねるシリウスの足元には、結界で手足と翼、そして口まで拘束されたほそっこい男が転がっていた。
伯爵のような上質な服と黒いマント、蝙蝠のような翼、赤く光る眼。
――――そういえば、吸血鬼もいたんだっけ。
「あー……完全に忘れてた。」
「『オルトロスを倒せ』との命でしたので、この者の命はとらずに拘束だけしておいたのですが、片づけますか?」
「えっと……」
相変わらず、「片づけますか」なんて恐ろしいことをサラッと言ってくるな。
でもなぁ、なんていうかこいつ、見るからに弱そうというか。
背は俺と同じくらいだが、青白くてひょろいし、顔立ちも幼い。たぶんだけど、ゼノより少し上とかそんなくらいじゃないのか?赤く光る眼も普通だったら怖いんだろうけど今は涙が溢れそうだし。よく見たら小刻みに震えているし。
十代半ば(に見える)の震える少年を殺すのは忍びない。なにより、人間とか魔族とか関係なくヒト型の生き物を殺すってのに抵抗がある。
「シリウス、ちょっと猿轡だけ取ってくれない?」
「かしこまりました。」
シリウスが指をかすかに動かすと、吸血鬼の口元にあった結界が解けた。口元が見えるとますます顔立ちが幼いことがわかる。何となく育ちがよさそうだし、いかにも「坊ちゃん」って感じの顔立ちだ。
「ひぇっ……」
「えーと、あんたは吸血鬼、でいいんだよな?」
「はい……すみませんすみませんっ!僕はまだ何にもしてないんですぅ!許してください!」
「あんたこの辺に住んでるのか?他に仲間は?」
「僕一人です……ちょっと遊びに来てて……せっかくだからデスマウンテンの噴火を見たいなーって……」
「普段はどこに住んでるんだ?」
「普段は一族の者と魔族領に……すみませんほんの出来心で抜け出してきたんですぅ」
俺の前に正座をして何度も頭を下げながら「すみません」を連呼する吸血鬼。なんかあれみたいだな。和風の庭にあるししおどし。
間に何度も「すみません」を挟みながら説明された事情によると、十五歳になり成人して一人行動が許されるようになったのでこっそり魔族領の外に出てみたらしい。そしてデスマウンテンの噴火を見物して帰ろうと思ったのだが、思った以上に距離があり飛びつかれて疲労困憊。おまけに腹も減って何とか獲物を狩って食事をしようと奮闘中に、先刻のオルトロスと商隊の闘いを見つけた。それでオルトロス側に加担しつつ、どさくさに紛れて血を吸っとこうとしたわけか。
「それで、あんたはどうしたいんだ?」
「出来るなら国に帰りとうございます。どうか僕をお帰しください……。」
「それはいいんだけど……その格好で帰れるのか?」
青白い……のは元々かもしれないが、やせ細って頬もこけ、栄養が足りてないのは誰が見ても明白だ。
「いえ、その……我々吸血鬼は……ご不快な思いをさせてしまうかもしれませんが……」
「ああ、人間の血を吸うのか。」
「はいぃ……すみません!すみません!」
「いや、別にいいって。っていうか、なんなら俺の血でも吸ってくか?」
「よ、よろしいのですか?……はっ!いやいや!そんな恐れ多いことを!」
なんか滅茶苦茶ビビられてるんだけど。
これじゃ話が進まない。
「いや、あのさ、こっちもいつまでもこうしてる訳にも行かないし、帰るなら帰る、ここにいるならいるではっきりさせたいんだけど。そのために血が必要なら少し分けてやるだけ。簡単な話だろ?」
「うぅ……では、少しだけ血をお分けいただきたく……あああすみません!」
「はいはい。じゃーさっさと吸って。あ、わかってると思うけど殺すなよ?」
「ももも、勿論です!で、では……」
俺の指示で結界を解かれた吸血鬼がゆっくりと近づく。一応翼は拘束したままだけどね。
一応、アヤナミやシリウスが何かあった時のために睨みを利かせて控えているが、多分大丈夫だろう。
この吸血鬼にそんな度胸は無さそうだし。なにより拘束を解いたときにシリウスが「もしもおかしな真似をすれば……お分かりですね?」とささやいていたのも聞こえたし。
吸血鬼は恭しく俺の手を取り、手首に牙を突き立てた。チクリ、と軽い痛み。思ったより痛くないんだな。トゲで指を刺したくらいじゃないか?その後もじんわりとした鈍い痛みがあるくらいで、別にどうってことは無い。
そのまましばらく俺の手首に吸い付き、血を飲んでいく吸血鬼。商隊の面々は馬車の陰からハラハラした顔でこっちを窺っている。アヤナミとシリウス、そして商隊の護衛集団に睨まれながら手首を吸われるというシュールな光景が十分ほど続いた。随分ゆっくり飲むんだな。もっと喉元に食らいついてブシャー!ゴクゴクッ!みたいなのを想像してたんだけど。
「……ふう。ありがとうございました。」
俺の手首から顔を離し。唇に着いた血を舐め取りながらお礼を言う吸血鬼。
懐から小瓶を取り出し、中の液体を俺の手首に付いた牙の痕に塗る。するとみるみる出血が止まり、じんわりした痛みもなくなった。
「それは?」
「吸血鬼の一族に伝わる止血薬と痛み止めです。」
「なんか随分丁寧なんだな。もっと喉元に食らいついてゴクゴク飲むもんかと思ってた。」
「普段の食事相手にはそうすることもあります。ただ、僕達は時に同族同士でも血の飲み合いをしますので、特に大事なパートナーなどに傷跡を残す訳には行きませんから。」
「ほー。そんな文化もあるのか。」
「はい。特に互いの愛情表現であったり、主従の誓いであったりと儀式的要素もあるんです。……ああっ!すみません余計なことまで……も、勿論今の行為で主従関係が結ばれることは決してありませんので!どうかお許しを!」
這いつくばって許しを乞う吸血鬼。なんかもう警戒する気も起きなくなる。
他の仕事もあるし、さっさとお引き取り願おう。
「ま、元気になってよかったよ。じゃ、さよなら。」
「あ、あの……僕は代わりに何を差し出せば……?」
「?別になにもいらないけど?」
「そ、そのような訳には……僕に出来ることであればなんでも致しますので……ああっ!命は……!」
「そう言われてもなぁ……。あ、じゃあもし魔王に会ったらそれとなく俺たちが助けてくれたって言っといてくれ。ついでに俺たちの村を襲うなって言ってくれると助かる。」
うん、魔族に襲われないのが一番だもんな。
ちょっと恩着せがましいかもしれないが、こっちだって安心して暮らしたいんだ。
「か、かしこまりました。此度の御恩、必ずや魔王様にお伝え致します!……それでは僕はこの辺で。」
そう言うと翼の拘束を解かれると同時に逃げるように飛び去って行った。
本当にあの翼で自由自在に空飛べるんだ。いいなー、なんてのんきなことを考えてみる。
「ケイさん!身体はなんともありませんか!?」
吸血鬼が去った後、一斉に駆け寄って来る商隊の面々。
「ああ、大丈夫ですよ。」
「良かった……」
「吸血鬼に血を与えるなんて、驚きましたよ!」
「それに吸血鬼相手に恐れもせず、吸血鬼の方が恐れるなんて……」
「やはり旦那はすごい人なんだな。」
別に身体はなんともない。貧血にもなって無さそうだし。随分ゆっくり丁寧に吸ってくれたおかげか。
ま、忘れていた吸血鬼問題も解決したし、今度こそ帰りましょうかね。
「じゃ、みなさん、今度こそ帰りましょう。馬車に乗ってください。」