91.(やりすぎる癖さえなければ)
蜘蛛たちを追って森の中まで走ってきてしまったので、ついでに森の散策もしてみることにした。
シリウスと、あと街道づくりで舞った土を風で巻き上げ遊んでいたシルフも呼び、久しぶりの”風移動”の練習もかねてあちこち行ってみる。
村の方は夏真っ盛りで日差しが熱いのだが、森の中は木陰になって涼しかった。せっかくだし、デスマウンテンのふもとの原生林、あそこまで足を延ばしてみよう。前回はアラクネに会うという目的があったから森の調査は後回しにしていたが、後からジェイクとイヴァンに聞くと食用になる木や植物、動物、魔物など有用な素材がたくさん自生していたらしい。今はシリウスが隣にいるから安全は確立されているし、少し見て行こう。
”風移動”を使うのは久しぶりなので、感覚を取り戻すためにまずは十メートルくらいの近距離で練習する。”風移動”はシルフとの呼吸を合わせるのが一番のポイントだ。シルフが仲間になってしばらくたつためか、最初にやったときよりも呼吸を合わせやすくなっている気がする。何度か練習をし、感覚を取り戻したので一気に蜘蛛の洞窟の入口へ。
「いてて……」
着地のイメージが甘かったのか、盛大に尻もちをついてしまった。服についた土の汚れを払って辺りを見渡すと、見慣れない森の中。
「え、ここどこ……?」
洞窟の入り口じゃない、鬱蒼とした森が広がる光景にそんな言葉しか出てこない。まさか、全然違うところに出てしまった?蜘蛛の洞窟の道のりをしっかり覚えていなかったからか、洞窟のイメージが曖昧だったからか。
どちらにせよ、シリウスとははぐれてしまった。これは完全なるピンチじゃないか?
デスマウンテンの麓には危険な魔物も数多く生息する。対して俺はほとんど丸腰、小さめの万能ナイフと、使える魔法がいくつかあるだけだ。
古今東西、世界を問わず悪い予感は当たるもので、目の前の茂みがガサリと音を立てる。万能ナイフを手に身構えた途端、姿を現したのは巨大なクマだった。目は赤く光り、地球のクマと比べて長すぎる二本の牙。真っ黒な毛皮に覆われた体は軽く二メートルを超すだろう。そんな大物とバッチリ目が合ってしまった。
グオオァァア!
クマが雄たけびを上げながら突進してくる。とっさに横に避けるもあまりの勢いと迫力に体のバランスを崩してしまい、地面に手をつく。その隙を見逃さなかったクマが一瞬で距離を詰め、鋭い爪が振り下ろされる――が、ガキンッと何かに阻まれて俺に届くことはなかった。しかしクマはあきらめない。太い腕を何度も振り下ろし、その鋭い爪で目の前の餌である俺を仕留めようとする。
何かに阻まれて爪は届かないものの、完全に覆いかぶさられているため逃げ出すこともできない。どうしよう。そう思ったとき、ザシュッという音とともにクマの巨体が吹き飛んだ。思わず目をつぶる。それきり静かになったことを不思議に思いながら恐る恐る目を開けると、地面から生えた二本の杭がクマの脳天と心臓を見事に貫いていた。
こんなことをできるのは一人しか思いつかない。
「探しましたよ、ケイ様。」
足元に音もなく砂が舞い、スッと現れたのは他でもない地龍・シリウスだ。どうやら俺が行くつもりだった蜘蛛の洞窟についたはいいが、肝心の俺がいないため上空で気配をたどって来たらしい。なんにせよ、こんなに早く合流できるとは思わなかった。完全なる俺のうっかりだったのだが、さすがは龍、主の尻ぬぐいはお手の物といったところか。
「よかった。悪いな、”風移動”が上手くいかなくて。」
「いえいえ、お怪我はございませんか?」
「ああ、俺は大丈夫。……そうだ、さっきのことなんだけど……」
俺はさっきの不思議な出来事のことを話した。大型のクマに遭遇したこと、だが結界のようなものに阻まれてクマは手出しができなかったこと。
クマを倒した土の杭は間違いなくシリウスだとして、結界は何だ?俺は結界魔法なんて使えないし、練習すらしたことがない。まさか、内に秘めたる俺の力が目覚めて――なんてアホなことは言わないでおこう。そんなわけないって自分でもよーくわかっているからね。
「ああ、それでしたら私が事前にかけた結界のせいでしょう。」
「へ?事前に?」
「私がそばにいるとはいえ、主にもしものことがあってはいけませんので、森に行く際に結界をかけさせていただきました。」
「あ、そうだったんだ……全然気づかなかった。ありがとう、助かったよ。」
「お役に立てて何よりです。」
どうやら一連の出来事はシリウスが事前にかけてくれた結界のおかげだったらしい。何の準備も考えもなく思い付きで森の散策に出ちゃったけど、シリウスはその辺しっかり考えてくれていたんだな。さすがは有能執事、(やりすぎる癖さえなければ)実にできる男である。
まあ、来てしまったものは仕方がないのでこのあたりをしばし散策して今日は帰ることにしよう。というか、今俺たちがいる場所は一体どこなんだろう?蜘蛛の洞窟から近いのか?はたまた全く別のところへ飛んできてしまったのか?
「なあ、シリウスは上空から俺のことを探してくれたんだよな?ここって一体どのあたりなんだ?蜘蛛の洞窟からは近いのか?」
「そうですね、蜘蛛の洞窟はデスマウンテンの東側にあるのですが、ここはデスマウンテンの北側の麓……少し離れてしまいましたね。」
「そっか、変なところに来ちゃったんだな。探させて悪かったな。」
「いえいえ、ケイ様の行く先であればどこまでもお供いたしますよ。」
どうやら当初の目的地からはずいぶん離れてしまったみたいだ。
デスマウンテンの北側。かなり前にロベルトさんから聞いた話だと、デスマウンテンを北にずっと行ったところに街道があり、その道を通ってロベルトさん一行はやって来たらしい。街道と言っても相当古い道で、はるか昔に魔族との防衛戦の補給路として使われて以来、今やほとんど誰も使っていない、半分獣道のような道らしい。
ということは、ここを下っていけば人間の町にたどり着く可能性もあるんだな。今まで人間の集落とは全く交流せずにひっそりと暮らしていたのもあって、少しだけ緊張してしまう。
この世界の都市や村ってどんな感じなんだろう。うちの村人はたびたび村の生活について驚いているが、この世界の標準ってどんなものなんだ?ひょっとして俺たちかなり浮いてる?ロベルトさんたちが特別優しかっただけで、以前来たナントカ子爵みたいなのがスタンダードだったらどうしよう?
あ、だめだ。都市部の人間なんて相手にできそうにない。俺は人里離れたあの村で細々とやっていくのがお似合いだ。森で木の実や薬草を採取して、畑で野菜作って、エルフやドワーフたちといろんな研究して、独立した村で暮らしていこう。来世の俺が衣食住に困らず人生を謳歌できるだけの備えがあればいい。
まあ、そんないつ来るかわからない「もしも」の心配をしても無駄なので、森を見渡しながら散歩してみる。
この辺りは食べられる野草や木の実は少なかったが、その代わりに薬草系が多いのか、村でエルフたちが使っている草と同じものをよく見かける。薬草自体はあんまり詳しくないのだが、エルフ研究チームが普段使っているものくらいは俺にもわかる。
見慣れた草や実、花を見つけるたびに万能ナイフで切り取って集めていく。一見ただの茂みや森でも、こうやって見ていくと有用な植物はたくさんあるんだな。なんだか勉強になった。
「お、ここら辺はさらに涼しいな。」
森を進んで行くと、木が茂っているせいか今まで通って来たところよりもさらにひんやりと薄暗い場所に出た。どうやらこのあたり一帯がそうらしい。夏場でこんだけ涼しいんだから、冬はさぞ寒いだろう。山間部だから雪とかも降るだろうし、冬場に人間の足で行くのは危険かもしれないな。
一方で、ここら辺一帯はキノコの群生地でもあった。茂った木々がいい感じの日陰を作り出してジメッとしているせいだろう。
あっちにも、こっちにも、いろいろな種類のキノコを発見することができた。
今までキノコなんて夏と秋の季節に周辺の森でとれたほんの少量だけを分け合ってきたからな。村ではある意味高級品なのだ。よーし、この機会にたんまり採っていこう。
ただし問題が一つ。俺はキノコに詳しくない。だから毒キノコと食用キノコの見分けがつかない。
「うーん、とりあえずとるだけ取って、村で詳しい人に見てもらうか?」
「何かお困りでしょうか?お荷物は私がいくらでもお持ちいたしますよ。」
「そうじゃなくてさ、せっかくだからキノコを採って帰りたいんだけど、俺は詳しくないから毒キノコとの見分けがつかないなーって。」
「それでしたら、私が見分けましょう。人間の好き嫌いはわかりませんが、有害・無害くらいはわかりますよ。」
「え、すごいな。そんなことまでわかるのか?」
「精霊様にお仕えするために古今東西あらゆる知識を頭に入れておきました。人間やエルフといった者たちの生態もある程度は把握しております。」
そういうわけで、俺はキノコを見つけては毒キノコでないことをシリウスに確認し、次々と集めていった。シリウスも毒キノコを避けてどんどん集めてくれる。さらにどこからか取り出した大きな布で風呂敷のようにキノコを包み荷物持ちをしてくれた。何度も言うが、(やりすぎる癖さえなければ)実にできる男である。