80.進化
シルキィが進化した。
朝起きて、ひっくり返って動かないシルキィを見た時には驚いたが、それは抜け殻で本体は別の場所で悠々と座っていたよ。
驚かせやがって。「シルキィ!シルキィ!」と泣きそうな声のフランカをなだめるのにこっちは必死だったんだぞ。
シルキィは元々の薄い金色のもふもふタランチュラから、つるっとした見た目の黒いスリムな蜘蛛になっていた。地球で言うミズグモみたいだな。成長するとこんなにも姿が変わるもんなのか。
シルクスパイダーの研究を進めていたエルフのパーシヴァルに見せに行く。パーシヴァルは一見気の弱そうな壮年のエルフで、こんな三十センチ超に成長したシルキィを見せても大丈夫だろうかと心配になったが、シルキィの姿を見ると「これはこれは!!」と顔を輝かせ駆け寄ってきた。
「これはまた見事なキルスパイダーですねぇ!いったいどこで捕まえたんですか?」
「捕まえたんじゃないよ。うちのシルキィが成長して変身したんだ。」
「シルキィというと、あの美しいシルクスパイダーですね!とすると、進化したんですね!いやあ素晴らしい!シルクスパイダーからキルスパイダーに進化するものはごくわずかなんですよ。十分な栄養と魔素がなければまず進化はできません。通常のシルクスパイダーは体だけ大きくなって生涯を終えることがほとんどなんですよ。まあこの村の食物は特に上物ばかりですから、健康面では進化するに十分な条件を満たしていたんでしょう。」
パーシヴァルの口からは淀みないシルクスパイダーの説明が続く。さすが研究者だな。そして気になる単語が一つ。
「魔素?」
「魔素は魔力の源になるもので、目には見えませんが空気中に漂っています。場所によって濃度に差はあれど、どこにでも存在するものなんですよ。我々のように魔法に長けた種族や魔族、魔物は、魔素を感じ取る器官が発達しているものが多いです。」
「へー。ここって魔素が多いのか?」
「そうですね。周辺の森はそこまで多いと感じたことはありませんが、この村はかなり高濃度の部類だと思います。きっと力の源である龍族の方がいらっしゃるからでしょうね。我々エルフにはなかなかに心地いい場所なんですよ。」
知らなかった。ここってそんなに魔素が濃い場所だったんだ。まあ、龍が二体もいて精霊が無数にいる場所なんて、魔素がないほうがおかしいか。
でもまてよ?以前ライアが「強すぎる魔力は人間にとって毒になります」とか言ってなかったっけ?魔素が濃いのは大丈夫なのか?
「あのさ、以前ライアが『強すぎる魔力は人間にとって毒になる』って言ったんだけど、魔素が濃いのは大丈夫なのか?あと魔力と魔素の関係がまだよくわからないんだけど。」
「そうですねぇ。例えば、今朝霧が出ていたでしょう?あの霧、つまり空気中の水分を魔素だとします。その水分を凝縮して私達が利用できるくらいになったものが水です。少量の水があるくらいなら人間は何ともありませんが、大きな川や池を想像してください。水が多すぎると息ができなくなったり、寒くて体調を崩したりしますね?魔力がその水に値するものです。ですので、魔素が濃い程度ならよっぽど敏感なものでない限りどんな生き物も生きていけます。濃い霧の中で息をするようなものです。快適と感じるか不快と感じるかは人それぞれですが。しかし魔力が濃いとなると、普段魔力に接しない生物には少なからず影響が出てきます。なので魔力には注意しなければなりません。」
「なるほどな。ありがとう。」
「いえいえ、つたない説明で恐縮です。」
そういうことか。だったら今のところ、魔素が濃いからって村に何かあるわけじゃなさそうだしいいか。
あ、そうそう。魔素について聞きたくてここへ来たわけじゃなかった。
「キルスパイダーってさ、食べ物とかどうすればいいんだ?今までのシルキィと何か変わったりするのか?」
「いえ、彼らは何でも食べますから、食事について心配することはないでしょう。量が増えるくらいですかね。見たところ健康状態も非常に良いみたいですし、特に気にするところはなさそうです。」
「いやあ本当に見事なキルスパイダーですねぇ」といいながら、あっちからこっちから嘗め回すように観察するパーシヴァル。それが気に入らないのか、お腹のあたりで抱えていたシルキィは徐々に俺の腹に体を押し付けるように後ずさりする。
「ちょっとだけ、触ってみても構いませんか?」
「え、うん「キシャアアァア!」
俺が「うん」と言い終わる前にものすごい勢いで威嚇された。いきなり動くから取り落としそうになったし、威嚇の声も以前より大きくなっていて怖い。さすがにこれは怒らせたらダメだ。そう思って慌ててパーシヴァルを止める。
「ごめん、シルキィが嫌がってるみたいだから!もう少し仲良くなってからが……」
「残念ですねぇ。しかし、末永いお付き合いのためにも無理強いは良くありません。研究と忍耐は切っても切り離せませんから。」
シルキィに仲良くなる気があるのかはさておき、意外とあっさり引いてくれて助かった。
名残惜しそうにシルキィを見つめるパーシヴァルから少し隠すようにシルキィをしっかりと抱きなおす。それがわかったのか、普段俺にあまり優しくないシルキィが今日はおとなしくしてくれている。
「シルキィさんが雌でしたら、ぜひとも変異体の研究をさせてほしかったんですが……なにせ野生のキルスパイダーを捕まえるのは難しく……」
変異体。つまり通常と異なる質の糸を生成する蜘蛛たちのことだ。パーシヴァルの研究では雌の蜘蛛が妊娠期に食べる食物によって、生まれた子供が生成する糸に変化が出るらしい。そしてシルクスパイダーよりはキルスパイダーというように、上位種の方がその変異体の生まれる確率も上がるというのだ。
とはいえ、シルキィは雄。子供は生まない。子供を産まないので当然だがパーシヴァルの研究には協力できない。
「シルキィさんが雌の蜘蛛をスカウトしてくれると嬉しいんですが……」
チラリとシルキィを見るパーシヴァル。しかしシルキィは微動だにしない。だめだな。ほぼ初対面のパージヴァルの言葉に耳を貸す気はなさそうだ。……というか、俺たちの言葉は通じているのだろうか。さっきはパーシヴァルの手が伸びてきたから威嚇しただけか?
わからん。こういうのは祝福持ちのフランカに聞かないと。
「ちょっと今はシルキィの意思もわかんないしさ。フランカを交えて交渉してみよう。今時間あるかな?」
「もちろんです。こんなチャンスはまたとないですから!」
こうして俺とパーシヴァル、そしてシルキィはフランカのもとへ向かった。