73.非常にまずい
あれからヴェンデリンは取り憑かれたかのように作品を作り続けている。
木や石を始め、様々な素材を引っ張り出してはトンカントンカン彫り続ける。
髭も髪ももじゃもじゃで、そこら中に木くずや石くずをつけている小男が鋭い目つきで荒々しく鑿や鎚を打ち付ける。
いかにも粗野で乱暴なふるまいだが、打ち付けられた素材はなんとも繊細な表情を見せるから不思議である。ちょうど今も、「フンッ」という荒い鼻息とともに真っ白い石が削られ、どこに埋まっていたのだろうか、力強く野をかける馬のしなやかな体躯が現れたところだ。
「あいかわらずすごいな、本物の馬みたいだ。」
「こんなもんは形をただ荒く削ったに過ぎん。これから仕上げをかけていくんじゃ。」
「でも、少し休んだほうが良いんじゃないか?全然寝てないだろ。というか、風呂にも入ってないだろ。」
頭と髭がボサボサなのはいつものこととして、クマがすごいし、おまけに臭い。
睡眠も風呂も後回しにして仕事をしていたのが丸わかりだ。
この様子だと食事をとったかさえ怪しい。
エルフじゃあるまいし、間違っても過労死なんてしないでくれよな。
「そんな事しとる場合か。大精霊の名に恥じぬ彫刻家になるためにはこんなもんで満足するわけにはいかん。」
「あんまりやりすぎると、『大精霊の名に恥じぬ彫刻家』になる前に死んじゃうかもしれないぞ。そのほうがもったいないだろ?」
「むぅ。」
どうやらアクエラ様に褒めてもらったのが相当嬉しかったらしい。
そりゃ、大精霊に直々に褒めて貰う機会なんてそうないもんな。
おまけに長年の悩みだった関節痛も治してもらったみたいだし。
……そういえば、ドワーフの長が「水の力は癒やしの力」って言ってたっけ。
アクエラ様は癒やし系というより女王様系だと思ったけれど、癒やしの力というのは本当なんだな。
適度に休みを取るように念押しして、俺は工房を後にする。
出来上がった作品が工房の隅に所狭しと置かれていたので、ヴェンデリンの許可を得ていくつかギャラリーに飾らせてもらった。工房の肥やしにするにはもったいないしな。ついでに食堂や広場などにも置いてみる。
ちなみにオンディーヌや小さめのアクエラ様像も作っていたので、オンディーヌの水辺に設置した。
オンディーヌたちもかなり嬉しそうだ。
あの騒動からしばらく経ったある日。
朝、いつもどおり朝食を終え歯磨きをし、日課となっている神殿へのお参りに向かう。
季節は段々と夏に移り変わろうとしている。
爽やかな初夏の香りというのもまたいいものだ。無意識のうちに深く息を吸い込む。
そういえば、俺がここに初めて来たのはちょうど今くらいの季節だっけ。
最初はどうなることかと思ったけれど、いろいろトラブルに見舞われながらもなんとかやってこれたな。
それもこれも、ディミトリオス様の貸してくれた力のおかげだ。
せっかくのチート能力だ。有意義に使い、これからも頑張って発展させていくとしよう。
そんなことを考えながら神殿の広間に入る。朝の光に照らされた神殿は静かで神聖な空気が漂っている気がする。
…………あれ?
ディミトリオス様の像の前に誰かいる。
茶色いローブを着た背の高い……老人?
見たことのない顔だ。まさか、また侵入者?
「あの、うちの村に何か用ですか?」
警戒しながらも声をかける。
相手は老人だし、武器を持っている様子でもない。しかし、今は俺一人、しかも当然丸腰だ。
万が一この人が武器を隠し持っていたら……やはり人を呼ぶべきだっただろうか。
だがもう遅い。声をかけられた老人はゆっくりと振り向いた。
「……良い彫像じゃな。」
俺の質問には答えず、そう一言だけ言うと再びディミトリオス様の像に顔を向ける。
ますます怪しさが募る。
思わず語気を強くし、さらに問い詰める。
「……あんたは何者だ?どうやって入った?ここは人が簡単に来れるような場所ではないと思うんだが。」
「おお、まあそう怒るな。ちょっと気になって見に来ただけなんじゃ。驚かせてしまったな。」
「ここは森の奥だ。老人が一人でたどり着けるとは考えにくいんだが?」
そもそもライアやアヤナミが結界を張っているから、侵入者にはすぐに気がつくはずなのに。
本当に何者なんだ?この人。
「すまんすまん。アクエラがえらく自慢してきたものでな。危害を加えるつもりはないから落ち着け。」
……ん?アクエラ?
今アクエラって言ったよな。
アクエラ様が自慢した?
ということは、まさかこの老人……?
「あの……あなたのお名前は……?」
恐る恐る尋ねてみる。
もしかすると俺はとんでもない人物に突っかかっているのでは……?
「儂の名はガイアス。大地を司る精霊じゃよ。人間からは『大地の神』とも呼ばれておるの。」
……やっぱりーーーー!!!!!?????
まずい、非常にまずい。
大精霊に喧嘩を売ってしまった。
アクエラ様の機嫌を損ねたあの子爵たちがどうなったかを考えると……
あ、俺、死んだな。