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70.忠告

 アヤナミの案内で神殿に向かおうとするアクエラ様に、オンディーヌたちが駆け寄る。

 そんな彼女たちに「もう心配いらぬ。」と優しい声で語りかけた。相変わらずオンディーヌには甘いらしい。


「村長殿!侵入者の方は……」

「ああ、もう片付いたよ。村の被害状況を確認してくれるか?」

「わかりました。では後ほど会議室で。」

「ああ、俺は神殿に向かってから合流するよ。」


 村の男性陣も俺たちの方にやってきた。入り口以外に被害がないか確認をしたいところだが、アクエラ様を放置するわけにもいかないので彼らに任せる。


 さて、酒と供物だっけ?

 アクエラ様の案内をオンディーヌに任せ、俺とアヤナミは大急ぎで酒や料理を用意する。

 機嫌の悪いアクエラ様が一般人に鉢合わせるとまずいので、広間は通らずに直接奥の「宴の間」に案内してもらった。

 オンディーヌはアクエラ様の周りを飛び回って嬉しそうだ。

 相変わらず不思議なくらい慕ってるよな。









「……ほう。これはなかなか良い部屋ではないか。いささか質素な気もがしなくもないが……。」


「宴の間」に入り、そんな感想を漏らすアクエラ様。

 いささか質素、か。俺としてはシンプルでいいと思ったんだが、どうやらアクエラ様はもう少し華美なのがお好きらしい。

 美しい透かし彫りの入った椅子に腰掛けるアクエラ様に早速ワインを注ぐ。


「改めまして、この度は助けていただきありがとうございました。」

「まあ、あの程度どうということはない。妾も腹に据えかねてやったに過ぎぬ。別にそなたのためではない。」


 そっけなく応え、くい、と盃を煽る。

 珊瑚色の唇にワインが流れ込む様子はなんとも妖艶で思わず見入ってしまう。不機嫌にすました顔が冷酷な美しさを演出し、思わずひれ伏したくなるようなそんな姿だ。

 いや、何を考えているんだ俺は。視線に気づいたアクエラ様にジロ、と睨まれ、慌てて顔を背ける。


「そ、それにしても、あいつらちゃんとここのことを秘密にしてくれるといいんですけどね……。」

「それなら心配いらぬ。あの人間共から漏れることはありえぬ。」

「そうですか?あんまり信用できなさそうなやつだし、国に帰った後で言いふらしたりとか……。」


 アクエラ様との約束事があるとはいえ、断じて安心はできない。

 それに、護衛の男たちはなおさらだ。

 あのまま大人しく帰ってくれればいいのだが。


「あの者たちなら殺したぞえ。」

「へっ!?」


 唐突に告げられる言葉に思わず聞き返してしまった。殺した?いつの間に?


「愚かにもこの森に火を放ってくれたのでな。全員殺した。まあ、あの辺は獣たちも多いし、良い餌になるであろう。これであやつらも少しは役に立つと言うものよ。」


 人を殺したということに関してまるで気にしていない、それどころかふふふっと笑いながら告げるアクエラ様。

 そんな簡単に……いや、村に害をなすものだから自業自得とは思うけれど。

 敵とはいえ、ついさっきまで対面していた人間が死んだという事実に、地球での感覚が染み付いている俺は動揺してしまう。

 これが、神の力……。これが、この世界の常識……。


「……というか、火が放たれたのなら急いで消さないと!」


 慌ててみんなに知らせようとする俺を、「心配いらぬと言っておろう。」と面倒くさそうに止めるアクエラ様。


「火はアヤナミが全て消した。そうじゃな?」

「はい。撒かれた油も浄化の力で消しました。森に被害はありません。」

「そ、そうか。良かった……。」


 ほっ。どうやら山火事の心配はなさそうだ。

 それにしても、火を放ったってことは水辺の近くにはいなかったはずだよな。

 それなのに溺れ死ぬとは、本人たちはさぞ混乱したことだろう。

 死人に口なし、彼らがどう思ったかなど知る術は無いのだが。


「火の手が上がる森の中で溺れ死ぬって、本人たちからしたら不思議でしょうね。」

「溺れ死んだ訳では無いぞ?」

「え、でも……」

「なんだ人間、そなたは知らぬのか?人間の身体はほとんどが水分でできておるのじゃぞ?」


 当然のように言い、果物に手をつけるアクエラ様。

 え、ということはつまり……想像して身体中がゾワッとなった。


 ……いや、やめよう。これ以上は。神の力に安易に触れてはいけないのだ。

 俺は何も聞かなかった。うん。


「それにしても、この程度の敵からも守れぬとは情けないのう。」


 フォークを皿に置き、俺たちに向き直る。

 眉間にシワを寄せ、ジト目で俺たちを見ている。怒っているということが一発で分かる顔だ。俺も思わず姿勢を正す。

 心なしか部屋の空気も冷えてきた気がする。

 大精霊ともなると、感情によって周りの温度すら変えてしまうのだろうか。


「そもそも、アヤナミよ。そなたもそなたじゃ。守り手ともあろう者が何をやっておったのじゃ。愚か者を寄せ付けぬのは本来であればそなたの役目であろう?」


 アクエラ様がアヤナミに目を向ける。

 アヤナミは目を伏せ、俯いた。


 「妾はレヴィアタンの娘であるそなたの力を買って、わざわざこの地に呼んだのだ。ここは世界樹の在りし場所。その重要さが分からぬそなたではなかろう?」


 アヤナミは何も言わない。何故だ?

 アヤナミは悪くない。俺に従ってくれただけだ。

 それに最初にまくし立ててきた男を黙らせたのは他でもない彼女だ。


 「あ、あの、それは俺が……」

 「ケイ様、良いのです。アクエラ様のおっしゃる通りですから。」


 俺の言葉を遮るようにアヤナミがきっぱりと言った。

 俺に向かってニコリと微笑みかけると、アクエラ様の前に跪き、頭を下げる。


 「返す言葉もございません。此度の事は、私の考えの甘さが招いたものです。」


 「良いか、世話役とは単に主の身の回りを整えれば良いというものでは無い。主に降りかかる煩わしき些末事を排し、主の本来の役目に集中させる。その為に強大な魔力を持った龍が世話役を務めておるのだ。そのことを忘れてはならぬ。」


 「はい、ご忠言ありがとうございます。二度と同じ失態の無きように肝に銘じておきます。」


 目を伏せ頭を下げてはいるがその声はしっかりとしたものだった。

 単に叱られて萎縮したものでは無いということが分かる。

 ……すごいな。俺だったらアクエラ様の恐ろしさにしどろもどろになるに決まってる。

 それなのに、俺より年下のはずのアヤナミはしっかりと受け止めている。


 アクエラ様は「ふぅ」と息を吐き、静かに続ける。


 「まあ、そなたもまだ十六歳。妾たちからすればつい先程産まれた赤子のようなものよ。間違う事は悪では無い。焦る必要は無いのだ。反省をしっかりと胸に刻み、己が成長に繋げるが良い。」


 さっきよりも柔らかな声色だ。アヤナミを見つめる目も優しく見える。

 アヤナミも少し安心した様子で、「はい、ありがとうございます。」と返した。


 「それと人間、そなたにも言っておこう。そなたはアヤナミを甘やかしすぎておる。そもそも人間に守られ、心配されるほど龍は弱い存在ではない。大切にするのは良いが、過保護になり仕事を取り上げるはこの子の為にならぬ。もっとアヤナミを信じよ。」


 今度は俺に向けてアクエラ様が言った。

 ……俺はアヤナミを甘やかしていたのだろうか。

 だって彼女はまだ十六歳で、突然親元を離れて知らない土地で…………。

 慣れない環境は色々大変だし、心細いはずだ。できるだけ親身になってやろうと思った。

 ……でも、果たしてそれはアヤナミの為だったのか?

 ……俺が「やらなくていい」と言うことで、彼女のやるべき事を奪ってはいなかったか?


 「アヤナミを信じよ」か……。

 俺は主として、一度考え直す必要があるかもしれない。


 「……アクエラ様、ありがとうございます。俺もまだまだわかっていませんでした。」

 「そう深刻にならずとも、分かれば良い。そなたも主としては赤子同然。全て完璧に振る舞うことなど期待しておらぬわ。」


 ツンとすました顔のアクエラ様。

 相変わらず俺に対する言い方は高圧的だ。

 でも何故だろう。この人はとても優しい人だと思う。

 自分の配下にも見習いにも、そして人間にさえも、必要ならば本気で向き合ってくれる。


 ……過保護と言う言葉はアクエラ様だけには言われたくなかったけどね。


 「さて、妾が口を出すのはここまでじゃ。それよりも、この果実酒はなかなか良いな。もう1杯もらおう。」


 先程までの威厳はどこへやら、今度はリンゴ酒の入ったグラスを傾け満足そうに笑うアクエラ様。

 その言葉に反応し、オンディーヌがテーブルの上の瓶を持ち上げグラスに注ぐ。

 そのままオンディーヌを手に乗せて戯れ出す。

 あ、もう説教タイムは終わりってことね。

 切り替えが早すぎてついて行くのが大変だ。


 「……では、しばらく俺は席を外しますので、ごゆっくりどうぞ。」

 「…………」


 ……もはや俺の声など聞こえていないようだ。

 あとはオンディーヌとアヤナミに任せよう。

 俺はさっさと宴の間を出た。


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