57.レヴィアタン
「こちらにいらしたのですね。」
声のする方を振り向くと、一人の女性がこちらに歩み寄ってくる。
うちの村人ではない、見たことのない顔立ちだ。
まっすぐに伸ばした髪に涼やかな瞳はとても知的に見え、エルフにも負けない美女だが、耳はとんがっておらず、代わりに翅びれのようなものがはえている。
身のこなしには隙がなく、只者ではないということはひと目で分かる。
最初にアクエラ様に会った時と同じような、何か得体のしれない恐ろしいものを感じる。
「ああ、そなたであったか。」
「アクエラ様、急に姿を消したので心配いたしましたよ。お出かけの際は一言言ってくださらないと……。」
「許せ。緊急事態だったのじゃ。」
「そうですか。わざわざお手を煩わせずとも、私に一言言ってくだされば代わりに参りましたのに……。それとも私の手に負えぬようなことがあったのですか?……ただの農村に見えますが。」
いきなり現れた謎の女性は俺のほうには目もくれずアクエラ様に話しかける。
アクエラ様の「緊急事態」という言葉に反応してか、女性は目を細め注意深くあたりを見回している。
一見なにもないこの村に何がおこったのだろうか、そんな感情が見て取れる。
「心配せずとももう解決した。一時は妾の可愛いオンディーヌがどうなることかと心配したが………………。」
盛大にため息をつくアクエラ様を見て、「ああ。」と何かを察したような顔の女性。あ、これは慣れていらっしゃるな。
「…………それはようございました。では、そろそろお帰りになりませんと。」
「ふむ、そうじゃな。帰りに村を上から見たい。乗せていけ。」
「はい。アクエラ様。」
理解の追いつかない俺を置いてさっさと帰ろうとするアクエラ様と謎の女性。
俺は思わず「あ、あの、ちょっと……?」と引き止めた。
「なんじゃ人間。まだ妾に用か?」
「お聞きしてもよろしいでしょうか?えっと、そちらの女性は……?」
恐る恐る尋ねる俺に、謎の女性は小さく「あ……」と漏らし、俺に向き直って丁寧に頭を下げた。
「これはご挨拶が遅れ失礼いたしました。私はアクエラ様のお世話をさせていただいております。水龍レヴィアタンと申します。よもや人間がアクエラ様と言葉をかわす仲であったとは……どうぞお見知り置きくださいませ。」
「あ、これはこれはご丁寧にどうも……って、え?龍?」
「これは妾の世話係で、天を支える龍の一族じゃ。」
は?天?龍の一族?
突然新たな単語がバンバン出てきて理解が追いつかないんですけど。
それを見かねてか、謎の女性、もといレヴィアタンさんが「補足いたしますね。」と説明を始めた。
それによると、この世界は創造神様と大精霊たちが支えており、これが所謂『天』だという。
その『天』を支える役目として作られたのが龍の一族であり、いろんな龍がいて、それぞれお仕えする大精霊がいるらしい。
「ちなみに私は『水龍』であり、水の大精霊アクエラ様にお仕えしております。」
「龍って、そうは見えないけどな…………。」
「これは人の姿に擬態しております。お世話をするにはこちらのほうが何かと都合が良いので。」
そう言うと、レヴィアタンさんは一瞬で変身した。
巨大な青い龍が目の前に現れて思わずびびる。
深い青色のウロコはキラキラと輝いていて、光の加減によっていろいろな色に見える。
大きな翼は翅びれのように薄く透き通っており、これも光によって色が変わって見えた。
なんとも美しく迫力のある姿だ。
「ほへぇ~…………」
「ふふふ、いつみてもそなたの姿は美しいな。まさに妾に仕えるのにぴったりじゃ。」
「アクエラ様には到底及びませんが、お褒めに預かり光栄でございます。」
龍の体をなでながらうっとりとこぼすアクエラ様。
たしかに美しい。龍とかドラゴンって怖いイメージがあったけど、これはちょっとイメージ変わったな。
とはいえ、目の前に巨大な龍がいるとやっぱり怖いけどね。
「………………」
「アクエラ様?」
急に固まり、なかなか背に乗らないアクエラ様にレヴィアタンさんが声をかける。
当のアクエラ様は「……ふむ。」とか「悪くない……」とかぶつぶつ独り言を言っていた。
「アクエラ様、そろそろ帰りましょう。」
「レヴィアタンよ。ここに預けぬか?」
「えっ?」
素っ頓狂な声を上げるレヴィアタンさん。人間だったら眼を丸くして可愛らしかったに違いない。いまは龍の姿なのでどうあがいても可愛らしさとは無縁であるが。
そんな様子を気にもとめずアクエラ様はおれに向き直る。
「人間よ、頼みがある。」
「あ、はい、何でしょう?」
「これの娘を預かってほしい。」
「はい?」
な、何いってんのこの人?娘?預かる?俺が?誰を?
「あ、あのアクエラ様、流石にもう少し説明がほしいと言うか…………」
というか、この状況でうんと言えるやつはいないだろう。
アクエラ様は「しかたない」と前置きして話し出す。いつのまにかレヴィアタンさんも人間の姿に戻っていた。
「先程も言ったが、龍の一族は妾のような大精霊に仕え、この世界を支える役目を持っておる。それはレヴィアタンの娘も例外ではない。娘はまだ子龍でな、半人前の龍たちは妾に仕えるための準備段階として、しばらくは別のところで修行を積むのだ。しかし、まだ仕え先が決まっておらぬ。通常は海域の一部や大河などを割り当て管理させるのだが、ここには我が加護もあり、世話をすべき人間もいる。人間、そなたにとっても悪い話ではないぞ?なにせ子どもとはいえ龍の一族に守ってもらえるのだからな。脆弱な人間が数ばかり集めて作る軍隊などよりよほど頼りになるぞ?」
「レヴィアタン、そなたも良いか?」と尋ねるアクエラ様に、「アクエラ様のご判断であれば異存はありませんが、人間に龍などを従わせて大丈夫なのですか?」と困り顔だ。
いや俺も困ってるよ。子どもかなんかしらんけど、こんなでかい龍がいきなり来るとか。
どこで寝るんだよ。水龍ってことは水が必要なのか?また池を掘るか?つーか池に収まるか?
「そこに関しては心配いらぬ。この男は軟弱で矮小な人間ではあるが、清き心を持っておる。それに妾のオンディーヌたちもこの村に住んでいるのだ。もし悪用などを考えれば妾直々に水の底に沈めてやるからな。」
「アクエラ様がそこまでおっしゃるのであれば……人間のお方、よろしければ我が娘をここに遣わし、あなたを守らせてはくれませんか?」
レヴィアタンさんが真っ直ぐ俺の目を見てニコッとおれに笑いかける。うっ……美女の笑顔はずるい。
というかこの人、わかってやってる!なんつー小悪魔!
でも、いきなり龍と言われてもな…………というか何かあったときはアクエラ様が怖いし、そんな責任持てない。
「いやあの…………」
「無論、この妾が恐れ多くもそなたの村に加護を与えた上に、頼み事までしてやっているのだ。断るはずがなかろう?ん?」
アクエラ様、目が、目が怖いです。
体が動かないのはアクエラ様の力か、それとも単純に恐怖か。
もはや選択肢なんて無いじゃないか。今は一刻も早くここから開放されたい。後のことなんてしるか。
「は、はい!わかりました!」
「うむ。最初からそういえばよいのだ。」
アクエラ様が満足そうに頷くと同時に、身体が動くようになった。
仮にも大精霊なのに大人げない。
卑怯だ____とは口が裂けても言えないけど。