240.これは夫婦の旅行である
『地獄めぐり』を終えた俺たちは、麓の温泉街に戻った。
ここには王都と同じように和菓子や和食の店、土産物屋が並んでいる。
中には王都でも手に入らない、ここだけの限定品なども取り揃えている。
「抹茶を練りこんだ抹茶のシフォンケーキはいかがですか?」
「上の地獄で蒸した『地獄蒸し卵』に『地獄蒸し鶏』、食べられるのはここだけですよ!」
「疲労回復温泉水、ポーションよりもお安く、体に優しいですよ。」
色々な店から呼び込みの声が聞こえる。
サテュロス達もすっかりこの街に慣れたようだ。
工事もかなり進んでいるし、パッと見た感じはもう立派な温泉観光地だな。
あとは出入口となる転移魔法陣の整備か。ここの転移魔法陣は特殊な構造をしており、限られた場所しか行き来できない。
今その出入り口があるのは王都だけだが、港町メローナや他の主要な街にも出入口を置く予定だ。
しかし、そのためにはまず出入口を置いて集客が見込めるような都市をいくつか造らねばならない。
実はもう構想は練ってある。
ギア山脈の麓、ドワーフの里にほど近い場所に鉱山都市を建設しようと計画中だ。
ギア山脈の豊富な鉱山資源とそれを加工するドワーフたち。間違いなく国内トップの金属工業地域になるだろう。
その他にも、製糸や織物、陶磁器、ガラス細工など、特産品を優遇する措置を取った所謂『経済特区』をいくつか設けようと考えている。
すべてを王都でやってしまうと一極集中で他の地域が発展しないし、各々が点々バラバラに好きな物を作ると街としての魅力が薄まる。
ということで、一都市一品ではないが都市ごとに特産品を設定して生産を頑張ってもらうというのだ。
この冬が明けた来年の春位から本格始動だな。
とまあ、そのことはひとまず置いといて。
俺達は久遠が「気になる」といったカフェに入った。
店内は純和風の落ち着いた庵という感じのカフェだ。
メニュー表を見て、久遠が不思議そうな顔をする。
「あんバターサンド?生クリームどら焼き?フルーツ白玉?これはいったいどういう料理なのだろう?」
「あんバターサンドはあんことバターを挟んだパンだよ。生クリームどら焼きはふわふわの生地にあんことホイップクリームって言う、ふわふわの甘い牛乳を挟んだもの、フルーツ白玉は蓬莱国にもある白玉団子をいろいろなフルーツのシロップ漬けに浮かべたものだよ。」
「あんことバター……バターは異国のものだが、合うのか?」
「それが意外と合うんだよ!ここは『和カフェ』っていって、蓬莱国にもある和風の食べ物と、俺達の国にある洋風の食べ物を合体させたものを提供しているんだ。意外な組み合わせがクセになるって、結構人気らしいよ。」
「ほう。相変わらず背の君の国は斬新なことをするな。」
久遠はフルーツ白玉を、俺は抹茶シフォンケーキを注文した。
色とりどりのフルーツが浮かぶフルーツ白玉をそっとつついて、一口。
「んん!これは素晴らしい。果物の瑞々しい酸味と甘さ、白玉のモチモチとした食感、そして水蜜の甘さが見事に調和しておる。」
「意外といけるだろ?正反対に思えても、和と洋って意外とうまくやっていけるんだよ。」
「ふふふ、まるでわらわと背の君のようであるな。」
「お、そ、そうだな……。」
なんか急に恥ずかしくなってしまった。
誤魔化すようにシフォンケーキを大きめに一口食べる。
「うん、これも美味い。」
「そちらも気になるな。興味深いものがたくさんあって目移りしてしまう。」
「なら、一口食べるか?」
「そのようなはしたないこと……」
「いいじゃん、今は誰も見てないし、『久遠様』じゃなくて、ただの『久遠』としてきたんだろ?」
「で、では……」
そういって顔を俺の方に突き出し、遠慮がちに口を開ける。
え、一口って、まさかそう言うこと!?
パニックになる俺をよそに久遠は目を閉じて大人しく待っている。
よ、よし……ここは覚悟を決めて……!照れることなんてないだろ、もう結婚した仲なんだし!
震える手でフォークを久遠の口に運んだ。
……緊張しすぎて、フォークを持つ手が震えまくって久遠の歯にガチガチと当たりまくってしまった。
「相も変わらず背の君は格好がつかぬこと……」
残念なものを見る目で俺を見る久遠。
あああ、こっちを見ないで、俺を見ないで!
穴があったら入りたい、とはこのことだ。ちくしょう、かっこ悪いな、俺。
「まあ、そんな不器用で実直なところをわらわは好いておる。」
極上の笑顔で笑いかけられた。
……久遠には敵わないな、やっぱり。
宿に戻って夕食を食べた。
夕食はエレメンティオの作物をふんだんに使った豪華懐石料理だ。
その美味しさはヴェップ温泉郷のなかでも特に推すべき項目で、この料理が目当てでこの旅館に泊まる客も多い。
俺達も例外なく料理に舌鼓を打った。
特に根菜の煮物が美味しかった。だしのきいた優しい味付けは他の料理の邪魔をせず、それでいて野菜本来の旨味をしっかりと主張する。絶妙な味だった。
久遠はメインの精霊豚のしゃぶしゃぶが気に入ったようだ。こちらもサッパリととろける脂の甘みと豚本来の旨味を存分に味わえる。
お腹もいっぱいになり、いよいよこの旅館のメイン、温泉へ。
「って、ストップ!ここから先は別々だから!」
「なんだ。わらわたちは夫婦で、人払いまでしたのだろう?何を照れることが……」
「照れるとかじゃなくて、決まりだから!」
「一人で浸かって何が楽しいものか。」
「……大浴場の露天風呂は仕切り越しに会話ができるから、そこで落ち合おう。だから、な?」
俺だって一緒に入りたいのはやまやまである。
しかし、久遠と一緒に入って(主に久遠が)大人しくしていられるわけがない。
みんなも利用する温泉でそういうことをいたすのは流石に憚られるので今回は我慢だ。
不満げに口をとがらせる久遠を置いてさっさと男湯に入る。
「うわぁ……やっぱり良いなぁ!」
開業の時に一度泊まったとはいえ、目の前に広がるいくつもの温泉はやっぱり心が躍る。
身体も洗って、湯船につかる。
これは疲労回復の湯か。赤褐色に濁る湯はほんのりと鉄っぽい香りがする。
じんわりと体が温まって、なんとなく一日歩いた疲れも取れていくような気がする。
こっちは美肌の湯か。久遠は気に入って入ってそうだな。
いくつかの湯を行ったり来たりして堪能する。
「そろそろ、大露天風呂に行くか。」
久遠が待っていたら悪いからな。
「おおお!やっぱいつ来ても絶景!」
鮮やかなコバルトブルーの湯はオレンジ色のライトに照らされ幻想的な雰囲気を醸し出している。
露天風呂から一望できるはずの不毛の大地は夜の暗闇に覆われて見えない。その代わり、上を見上げれば満天の星があった。
冬の澄んだ空気にどこまでも広がる星空。これを絶景と言わずして何と言おう。
「久遠、来てるか?」
「来ているぞ、背の君。」
「上見てみろよ、星が凄いぞ。」
「まこと、実に美しい……」
「昼間でも絶景だけど、夜はまた一味違って良いなぁ。」
「昼間はどういう景色なのだ?」
「ここら辺一帯の岩場や渓谷が一望できるんだよ。まさに大自然の生み出した絶景って感じで。」
「それは興味深い、ぜひとも見てみたいものだ。」
「そうだな、次は昼間に来ようか。」
「その時は一緒に入れることを希望しよう。今背の君はわらわになど目もくれず星に夢中のようだからな。」
「そ、そんなこと……」
ん?
わらわには目もくれず?
恐る恐る辺りを見回すと、竹で作られた仕切りの柵の上からのぞき込んでいる久遠と目が合った。
「うわぁっ」
「ようやく気付いたか。」
久遠さん、なんでそんなとこいるんですか?
覗きなんてはしたない。昼間、イフリート様に貞操がどうのと説いていた奴のすることか。
ってか、この柵ゆうに四メートルくらいあるんですけど、一体どうやってのぼったんだ。
九尾狐の身体能力、こわい。
俺は急いで久遠を追い出し、脱衣所に向かった。
ふう、ゆったりしていたあの時間を帰してほしい。
その夜は、まあ、ご想像の通りってことで深くは突っ込まないでおく。
翌朝、ツヤッツヤの肌の久遠は大満足といった様子で王都に帰っていった。
ま、楽しんでくれたなら何よりです。