235.痴話喧嘩というには激しかった
龍車が城に着いた。サラ、レティシア、ダンタリオンの外交三人衆が出迎える。
「おかえりなさいませ、陛下。無事にお戻りになられて何よりです。」
「留守中、何ともなかったか?」
「はい、いつも通り平和でした。」
「そっか。それはよかった。」
「奥方様、漸くお目にかかれましたことを心よりお喜び申し上げます。」
「いきなり押しかけて申し訳ないが、数日世話になる。」
「とんでもございませんわ。どうぞ、ごゆるりとお過ごしくださいませ。」
久遠の顔を間近で見たレティシアは小さく息をのみ、数秒ほど見つめたまま固まっていた。
ふと我に返り、「し、失礼しました!」」と頭を下げる。
どうやら久遠の顔に見とれていたらしい。久遠は慣れているのか、さして気にも留めてなさそうだ。
整った顔立ちのレティシアでも見とれる顔ってすごいな。
そして久遠の宮にはほとんど女性ばかりだったのにも納得がいった。
女性同士でこれなら、男性は相当な気力がないと仕事が手につかないだろうからな。
今日はもう遅いから軽く官僚の紹介を済ませて終わりだ。
シリウスから渡された今後のスケジュールによると、明日は歓迎の式と久遠と一緒に市井の視察。明後日はヴェップ温泉郷で一泊、明々後日は首脳会談と共同宣言式、そして結婚祝賀パレードがあるらしい。
……いつの間にこんなにこまごまと決めたんだよ。歓迎式とか結婚祝賀パレードとか、いつ準備したんだ?
聞くところによるとイリューシャを呼びに行って俺たちが帰ってくる数時間の間にすべての話し合いと関係各所への通達を済ませたらしい。
式典やパレードの準備も何とか間に合うとのこと。
うちの官僚たち、仕事速すぎやしませんかね。
部屋には城仕えする者、特に国の中枢を担う者たちがずらりと並んでいる。
非公式な軽い紹介の場だから重苦しい雰囲気はないが、改めて見ると錚々たるメンバーが並んでいる。
そんな中、「久遠様!」と弾んだ声で久遠に飛びつく人が一人。久遠の遠い親戚の刹那だ。
「久遠様、お久しゅうございます!」
「ああ、刹那。息災だったか?」
「はい。久遠様もお元気そうで何よりです。」
「そうか。(ところで、例のセシルとやらの恋路はどうなっている?うまくいったのか?)」
「(それが、全然進展がありません。声をかけても遊びに誘っても軽くいなされて……おまけにセシルはあっちへこっちへ国の内外を行ったり来たり。王都にとどまってくれませぬ。おかげで会うこともままならず……)」
「(押してダメなら引いてみよ。それでもだめなら強引な手段に出るのも一手。チャンスを逃してはならぬぞ。)」
「(はい!勝機を窺いつつ、もう少し大胆にやってみます!!)」
なんかこそこそ二人で話しているけど、変な相談してないよな。
相談が終わった二人は妙にニッコリしていた。
「そうだ、久遠様。ワタシが皆様を紹介します!」
刹那の紹介に合わせてそれぞれお辞儀をしたり挨拶をしたりと順調に進んで行った。
「そして、こちらがクローディア・シャレット殿。財務の副官を担当しており、陛下の妃候補です!」
「わっ、馬鹿……」
「……妃候補?」
「クローディアとお呼びください。どうぞ、お見知りおきを。」
クローディアの優雅なお辞儀には目もくれず、ずいっと俺に詰め寄る久遠。
「背の君、妃候補などわらわは聞いた覚えがないが?」
「いや、それが……」
「まさかわらわに黙ってあっちもこっちも手を出すつもりだったのか?」
「そ、そんなわけないだろ。」
「ならば今この場で婚約を破棄せよ。側室を娶ることはともかく、この娘は気に入らぬ。」
「いや、それは……」
俺としては、そうしたいのはやまやまなんだけどね。
でも婚約破棄して国に戻すのはクローディア本人が嫌がるもんだから。
そんな中、いつも大人しいクローディアが珍しく久遠に物を申した。
「奥方様、ご挨拶が遅れ申し訳ありませんでしたが、わたくしも陛下のおそばにいることをお許しいただけませんか?……正直、陛下が奥方様と出会う以前からわたくしは陛下のことをお慕いしておりました。」
「ほう?そなた、正妻であるわらわよりも立場が上であると、そう申すか?」
あ、まずい。これは久遠怒ったな。
口の端をゆがめて妖しく笑っているが、その目は全く笑っていない。
鋭い視線がクローディアを突き刺す。
久遠の力だろうか、部屋の中なのに風が吹き荒れる。
書棚の本も机の上の書類もあっという間に散らされてしまう。
みんなは顔を青くしながらも、飛んでくる本や小物にぶつからない様に頭を押さえて態勢を低くする。
パリン!
窓ガラスが割れ、破片が部屋の中央に集まった。
そして、その破片は一気にクローディアに向かって飛んでいった。
「きゃあぁっ!」
「クローディア!」
「お姉様!!」
咄嗟に久遠とクローディアの前に立ちはだかる。
ふう、セーフ。結界の祝福のおかげで助かったよ。
「久遠、いい加減にしろ。ここでの私闘は許していない。」
「……背の君は、わらわよりもその小娘をかばいたてするのか。」
「それとこれとは話が別――――」
「もうよい、不愉快極まりない。今日は休ませてもらう。」
ゴオッ
突風が吹き、久遠は消えていった。
ついでに部屋の中はめちゃくちゃである。
「みんな、ケガはないか?」
「はい。何とか……」
「こっちも大丈夫です。」
「シリウス、ダンタリオン、これの片づけを頼む。俺は久遠のところに行ってくるよ。」
「かしこまりました。」
「陛下、奥方様は魔王様か何かですか……?」
「あぁ~、まあ、似たようなもんだよ。」
ふと見ると、クローディアは真っ青な顔をして座り込んでいた。よく見ると小刻みに震えている。
アリエルが付き添い、その手を握っていた。
「クローディア、ごめんな。怖かったろ?」
「へ、陛下……。」
「久遠には今から話をしに行くから、クローディアは心配しなくて良い。」
「いえ、あの、私、決めました。」
クローディアは震えながらも立ち上がると、俺に向かって深く頭を下げた。
「大変勝手なお願いながら、わたくし、クローディアは陛下の妃の座を辞退したいと存じます。……わたくしには、陛下の妻になるという覚悟が足りなかったようです。」
(わたくしだって命が惜しいのです。陛下のためになら命さえも……などと思っておりましたが、とんだ思い上がりでしたわ……)
「……わかった。怖い思いをさせて悪かったな。それで、今後の身の振りはどうする?国に帰るか、ここに残るか。」
「……わたくしに選ぶ権利などございませんわ。陛下のお心のままに。」
国に帰ればきっと王家の恥だとさげすまれ、国民からは笑いものにされるのだろう。
それでも、スラウゼン王国の都合で押しかけておきながら一方的に婚約の辞退を申し出た自分にこれ以上何が許されるのだろうか。
(わたくしは、どこで間違えたのでしょうか……)
涙をこらえながら陛下の判断を待つ。
陛下が息を吸う音が、妙に大きく聞こえた。
「わかった。今回、クローディアには何の非もない。だからクローディアが割を食うような処置はしないと誓うよ。もしよかったら、このままエレメンティオ人として生き、エレメンティオの財務副官を続けてほしい。」
「よ、よろしいのですか?」
「妃候補としてだけじゃなく、官僚としても優秀だったしね。もうエレメンティオにとって必要な人材になったんだよ。」
「お姉様!良かった……!!」
「……陛下、ありがとうございます。必ず、このご恩に報いるように精一杯お務めを果たします。」
「ああ、頼んだよ。あと、今までありがとな。」
「もったいないお言葉です。」
よし、これで一件落着……じゃなかった。
まだ最大の難関が残っていたな。
「俺はこれから久遠のところに行って話をしてくるよ。今日のところはこれで解散としよう。シリウス、ダンタリオン、後は頼んだ。」
「「はい。」」
さて、我らがラスボスはいったいどこにいるのだろう。