232.奥さんのことも忘れない
俺は今、蓬莱国に来ている。
名目上は両国の会談。だが実際は久遠に会いに来たようなものだ。
きっかけは久遠からの手紙だった。
結婚して以来、彼女は毎日のように手紙を送ってくる。
毎回違う時候の挨拶に始まり、蓬莱国の様子、久遠の近況、俺の体の心配まで、良くもまあそんなに書くことがあるなと言うくらいマメに送ってくる。
でも不思議と嫌な感じはしない。
久遠の手紙はなんと言うかこう……押し付けがましくないのだ。
あくまでさりげなく軽やかに、重い女感は見せない。
手紙の中の久遠は実に奥ゆかしく風流を重んじる女性だった。
蓬莱国で初対面の俺に夜這いをかけ、既成事実を作って無理やり結婚したあの狡猾な女傑と同一人物とは思えないな。
まあその話は置いといて、そんな絶妙な手紙が来れば俺も返事を書きたくなる。
さすがに毎日とは行かなかったが、できるだけ返事を書き文通を繰り返した。
そのおかげもあり、俺と久遠は最初に会った頃より随分うちとけたと思う。
そしてある時、「そろそろ逢いに来てはくれませぬか?」と言う誘いがあった。
確かに、あれ以来実に半年近く久遠には会っていない。
使節団は派遣しているとはいえ、そろそろ会いに行った方がいいのかもな。
婚姻を結んでおきながら妻を放ったらかしともなれば蓬莱国は勿論エレメンティオの民にもよからぬ噂や評判を呼ぶかもしれない。
ここは夫婦仲良しアピールをして両国の民を安心させ、国としての結束も固めるべきだ。
あ、勿論、純粋に久遠に会いたいのもある。
手紙とはいえかなり打ち解けてきた。もう以前のような取り込まれそうな恐怖感は無いと思う。
慣れてしまえば超絶美人な奥さんだしな。
というわけで、俺はミアガリアをお供に久遠に会いに蓬莱国へ旅立ったのだった。
「久しいな、背の君。壮健そうで何よりだ。」
「手紙ありがとうな。久遠も元気だったか?」
「おかげ様でつつがなく暮らしている。」
「そうか。まあ、数日間お世話になります。」
対面するとまだ若干ぎこちない。
相変わらず久遠は完成された美しさと妖艶さを放ち、オーラというか、妙な迫力がある。
さすがは千五百年以上生きた九尾狐。
これに緊張しない男は少数派だと思う。
それから数日間、俺と久遠は一緒に過ごした。
会談をして両国の友好関係を強調する宣言をしたり、二人そろって国民の前に現れるなど仲良しアピールも忘れない。
ついでに街や商店、工房などの視察も行った。
視察と言っても国家のトップが二人そろって街へ出向くと大騒ぎになるため、庶民の格好をしてお忍びで二人でいろいろ見て回る。あ、護衛として少し離れてミアガリアも一緒だけど。
都はどこもかしこも賑わっていた。
世界樹である柳仙翁がいるおかげでうちの国と同じように食料の生産も順調らしい。
特に砂糖と花の生産が盛んで、商店には貴重であるはずの砂糖が安く大量に並んでいる。
キクやラン、ユリなどの華やかな花たちも店先に並び街を彩っている。
久遠もそうだが、女性の髪飾りとして生花を使っている者も多い。
「砂糖も花も貴重なものだと思うんだけど、どうやって手に入れてるんだ?」
「これらは弐ノ島で採れるのだ。」
「『弐ノ島』?」
「この大陸の南側には三つの島が並んでいて、それぞれ『壱ノ島』『弐ノ島』『参ノ島』と呼ばれている。そのうちの『弐ノ島』には古よりサトウキビが群生していた。これを農地化して今の生産体制を確立させたのだ。花も同様だ。島の半分をサトウキビ、もう半分を花の生産に充てている。花は食用にはならぬが、香油や染料、人々の癒しとして重宝される。どちらもこの国だけでは消費できぬほどに生産できておるゆえ、もし必要ならば喜んで取引しよう。」
「マジ?是非頼む!」
「ふふふ、それでは宮に戻り次第輸出の手続きを取らせよう。」
「助かるよ。……ちなみに壱ノ島と参ノ島には何があるんだ?」
「壱ノ島は綿花や大麻など、主に布の材料になるものをまとめて栽培している。この国の衣服の原料のほとんどを壱ノ島で賄っておるのだ。参ノ島は手つかずの原生林と険しい岩場の島だ。あそこには魔物の元締めである悪羅王が住んでおる。近づいてはならぬぞ。」
なるほど、蓬莱国では大規模農業による大量生産がすでに確立されていたというわけか。
すごいな。うちも交通網が発達してきたし、各地でバラバラに食料を作らせるんじゃなくて適材適所に集中してやってみようかな。
あと、悪羅王か。確かこの大陸の魔王にあたる存在だ。
そんな人が住んでいる土地なんてわざわざ訪ねていくわけがないだろ。
向こうからこっちに来ない限り心配は無用だ。
その後、壱ノ島と弐ノ島を実際に見せてもらった。
本土から島へと渡る長い橋。それを渡ると船に乗らずとも島に上陸できる。
島全体がなだらかな平地となっており、見渡す限りどこまでも広がる畑が広がっていた。
ここに住むのは農業関係者ばかりで、島全体でひとつの職場のように協力し合いながら作物の生産をしている。
出来上がった作物は本土に運ばれ加工されるらしい。
「すごいな。これ、世界でも最先端じゃないか?いつ頃から始まったんだ?」
「もう百年近く前になる。人間はやれ利権だなんだと気にしてばかりで話が進まぬ傾向にあるが、魔族や妖狐はもっと単純だ。効率を重視し、強き者に従う。ここは人間と同じくらい魔族の影響力も強い。だからこそすんなりと民に受け入れられ、今の結果を出せているのであろう。」
「いつかは俺達も取り入れてみたいな。」
「ひとつの物を大量に生産するには楽であるぞ。ただ、流通の問題や島に従事する民の生活の改善が課題ではあるな。農業中心の島ゆえ、華やかな商店などはない。もっと簡単に行き来ができるようになれば彼の者達のやる気も上がろうて。」
改めて、この国の独自技術や制度には驚かされるばかりだ。
それも久遠の政治手腕によるものが大きいんだろう。
千五百年の歴史と知識を培った九尾狐の治める国。
王として、国家として、久遠には学ぶべきところが沢山ある。
「久遠の政治手腕とアイディアは本当にすごいよ。俺も見習わないとな。」
「背の君にこうも褒められると、長きに渡り働いてきた甲斐が有るというもの。」
「良かったら、俺にもその知識や技術を色々と教えてくれないか?頼れる大先輩として。」
「勿論。背の君の頼みであるなら特別だ。持てる知識や技術、欲しいものは包み隠さず話そう。」
「ありがとな、頼もしい奥さんだよ。」
「……勿論、わらわのこと、しっぽの触り心地から身体のホクロの数まで、背の君になら余すことなく教えても良いのだぞ……?」
急に耳元にフッと息をふきかけそう囁く久遠。
不意打ちの色気に崩れ落ちそうになる。
「い、いきなり何するんだよ。」
「いやなに、背の君は蓬莱国の様子ばかりに気を取られてこの久遠のことは見えておらぬ様だったのでな。少しばかりからかってみたのだ。」
相変わらず初々しい反応じゃな、とコロコロと笑う久遠。
からかわれるのは少し悔しいが、残念ながらこっちの面では久遠に勝てる気がしない。
そしてしばらくの間、俺と久遠は互いのことを話しじゃれあっていた。
はためにはイチャついているように見えたかもしれない。
「……さて、そろそろ宮に戻るとしようか。」
「ああ、それじゃあ――」
「くおぉぉおおおんんん!!!!」
突然、野太い怒号が響き渡った。