23.鬼人
「…………テレサ。」
テレサたちの住む家に入る。手にはお盆に載せたスープが三つ。
ロベルトさんとマリアが、食堂には来辛いだろうと持たせてくれたのだ。
「ああ、わざわざありがとう。それとさっきは騒いでしまってごめんなさいね。」
「いや、俺は全然。……セシルとフランカは?」
「疲れたのか、もう寝ちゃっててね。もし起きたら三人で食べるわ。」
そういうテレサも、随分と疲れた顔をしていた。
「あのさ……」
「ちょっと外で話さない?」
テレサの誘いに、俺は黙って頷く。
外は薄暗く、空はきれいな紫色だ。『逢魔が時』というやつだろうか。
家の外の階段に二人並んで座った。
「…………私の夫はね。鬼に殺されたんだ。」
ぽつりとテレサが話し出す。おれは黙って聞いた。
「私たちの故郷、ルミエール村が最近まで戦争をしてたってのは言ったでしょう?それは人間の国、隣国との戦争だったんだ。けど、戦争で疲弊したタイミングを狙って、魔族が侵入してくるようになったの。」
ノーラッド王国は、確か山を挟んで魔族領と隣合わせなんだっけ。
「あの日もそうだった。鬼の集団が突然村にやってきて、人を喰っては暴れてた。私達は村の外れの方に住んでいてね、夫は近所の人達と一緒に、自分が盾となって鬼を食い止めた。私達に村の中心に知らせに行けってね。私達は走って村長に知らせに行ったの。ルミエール村は魔族領に一番近い村。魔族が侵入した際、砦となって国を守る役目も課せられていた。だから女子どもは村の中心部で壁を抑え込んで、男たちは兵として鬼たちと戦った。満足な装備も持たせずにね。当然殆どが喰われちゃったよ。」
自嘲気味に笑いながら、テレサは語る。目には涙が滲んでいた。
俺はなんて言っていいかわからず、ただ黙って聞いていた。
「結局残ったのは女子どもと老人くらい。後から夫を探しに行ったけど、頭から喰われたみたいでね。服や持ち物からなんとか判別したけど、結局死に顔も見てないのよ。村は砦として補強するって領主様は言ってたけど、みんな感じてたわ。ここにいても殺される。私たちは何かあったとき、王国のために生贄にされるんだって。だから私たちは村を出たの。同じ頃、村を出ようとしてた知り合いがロベルトさんたち。それで一緒に行くことになったのよ。」
「…………つらかったな。その、ごめん。何も知らずにあの人達を連れてきて……。」
「何言ってるの。ケイたちの行動は正しい。私だってわかってるつもりだった。悪いのは村を襲った鬼たちで、あの家族じゃない。人間にもいい人悪い人がいるように、鬼にも……っ、……でもっ………………」
こらえきれなかったのか、涙が一粒落ちる。また一粒。
歯を食いしばってこらえようとする。
テレサは乱暴に涙を拭うと、まっすぐ前を見て語った。
「あの鬼人の母親、家族を守るために必死だった。私も一緒。子どもたちのためだったら、きっと鬼でもなんでも殺してみせる。でもそれじゃ解決しないのよ。セシルやフランカも一生鬼に怯えて生きていくだけになってしまう。子どもたちのためにも、私は先に進むの。そうしなきゃ夫に胸張って会えないじゃない。」
テレサはふふっと笑う。
その横顔はきれいだった。強くて、真っ直ぐで、どこか脆い。
子どもの未来のために、母はこんなにも強くなれるのか。
「今のテレサはすごいよ。強くて優しくてかっこいい。最高の母親だし、セシルもフランカもそれはわかってると思う。じゃなきゃあんな素直な子たちに育たないよ。」
セシルはとても家族思いだし、機転もきいて色々とこなす。
さっきだって、誰に言われずとも俺たちのために包帯と服を持ってきてくれた。
フランカだってまだ八歳なのに、弱音も吐かず頑張ってる。
フランカが純粋な子に育ったのも、異種族と話せる『祝福』を得たのも、きっとテレサが頑張ったからだ。
「ふふっ。そう思ってくれてるといいんだけどね。まあ、私も子どもたちもまだまだね。もっと成長していかないと。」
そういって、テレサは立ち上がった。
「さぁ、そろそろあの子たちを起こしてくるよ。せっかくの夕食が冷めちゃうしね。セシルとフランカにもちゃんと話す。さっきは頭ごなしに部屋に閉じ込めて、ちょっと悪かったなって思ったの。」
「あの二人なら、きっとわかってくれるよ、テレサの思い。」
「……ありがとう。あんたなかなかいい男ね。ま、見た目細っこいし、私の夫には負けるけど。後十歳若かったら、フランカのお婿さんにでもしたかったわ。」
「冗談だけど。」と笑って部屋に戻るテレサ。
もう大丈夫だろう。
あと、俺は婿ではなく息子です。どうでもいいけど。
翌朝、俺とロベルトさん、マリアさんが顔を洗って食堂に行くと、テレサがキッチンで朝食を作っていた。
イノシシ肉をふんだんに使ったシチューだ。
ちなみに昨晩はセシルが女性用の部屋で寝たため、マリアさんがこっちに来たのだ。
「おはよう、みんな。」
「おはよう、テレサ。子どもたちは?」
「まだ寝てるよ。もう少ししたら起こしに行くわ。」
「テレサ、あなたはもう大丈夫?」
「ええ、もう大丈夫。ありがとうマリアさん。子どもたちにも話したわ。わかってくれたかどうかはわからないけど…………。」
困ったように笑うテレサ。
「二人とも優しく賢い子たちじゃ。ちゃあんとわかっとるよ。」
ロベルトさんが微笑んだ。
食堂では、鬼人の母親と女の子が目を覚ましていた。
俺たちが入ると深々と頭を下げる。父親と男の子はまだ目を覚まさない。
「昨日はごめんなさいね。イノシシ肉のシチュー作ったんだけど、食べられそう?」
テレサが優しく問いかける。
鬼人の母親は少し迷っていたが、「お言葉に甘えて、いただきます。」と答えた。
二人はよほど空腹だったらしく、ものも言わずにシチューを飲み込む。
いつもの俺たちの二倍ほどの量を平らげた後、「すみません、美味しくってつい…………。」と申し訳無さそうだ。
「気にしなさんな。食事は元気の源じゃ。」
「ふふっ。なんだか私も食べたくなっちゃったわねぇ。」
「じゃあ、子どもたちを起こしてご飯にしようか。」
席を立とうとするテレサを制し、ロベルトさんが口を開く。
「その前に、お前さんたちの事情を聞かせてくれんか?きっと大変な事情があったんじゃろう?」
「…………皆さんは、『鬼人』についてどの程度御存知ですか?」
「『鬼人』って、鬼と人が交わってできるのよねえ。鬼と人間が愛し合うなんて考えられないから、本当にいるなんてびっくりよ。」
マリアの言葉に首を振る鬼人の母。
そしてぽつりぽつりと語り始めた。
____『鬼人』とは、マリアの言うように人と鬼が交わって生まれた種で、いわゆるハーフだ。
鬼と鬼人は似ているように見えて全く違う。
体の大きさも違い、鬼はギョロリとした金色の目、真っ黒で毛深い体は二~三メートルもあり、口は裂け、大きな牙が見える。
それに比べて鬼人は背は二メートルもなく、顔つきもきつくはあるが人の顔だちだ。
体毛も薄くパッと見ただけでは人間だと判断されるだろう。
鬼特有の怪しく光る金色の目と、異常に長く伸びる強靭な爪、人よりも発達した犬歯、筋肉質な体が特徴だ。
人と鬼が交わると言っても、純粋な鬼が人間を愛することはほぼないため、多くは鬼に捕まった人間の女性が気まぐれに弄ばれ生き延びた場合だという。
しかし母というものは不思議なもので、たとえ憎い相手の子どもでも、長く宿しているうちに情が映ることが少なくない。子どもに罪はないと考えるのだ。
しかし、周りはそうはいかない。
当然、人間の村で鬼の子を産もうものなら母子ともに殺される。
かと言って鬼が人間の血が混じった子を仲間と認めるはずもない。
鬼の子を宿した女性は誰にも見つからぬ場所で人知れず子を産むしかないのだ。
そんな悲しい歴史の裏で、鬼の子を宿した女を匿い、お産の手助けをする教会があると噂になった。
鬼の子を宿した女たちは縋る思いでその教会を探し、やがて、小さなコミュニティができた。
鬼の子を産むことはもれなく難産で、半数以上の確率で母は死ぬ。
赤子の状態で身寄りの亡くなった鬼人を育てるのは次に産む予定の女か、運良く育った鬼人の子だった。
そんなコミュニティが続く中で、鬼人同士で結ばれ、子を宿す者たちもいた。
鬼人の子は鬼人にしかならないのだが、人間に近くなったり、鬼の姿に近くなったりと個体差によるらしい。
「__私と夫は共に人間の母から生まれました。同じコミュニティで生活し、結婚して二人の子を授かりました。上の子は通常の鬼人になり、下の子は人間に近くなりました。コミュニティは赤子を含め三十人ほどの鬼人がおり、人里離れた山奥で獣を狩って生活しておりました。
ところが、ある朝、突然人間の兵士たちが乗り込んできたのです。理由は密告によるものでした。人間に近い姿で生まれた鬼人が、自分の命と生活を保証する代わりに私たちの里の場所を教えたのです。里は焼き払われ、多くの仲間は死に、生き残った者も散り散りになりました。私たちはこの森に逃げ込み、仲間を探して歩き回りました。ただ、突然の襲撃に私も夫もすでに怪我を負い、獲物も満足に取れません。そして皆さんにお会いする前夜、運悪く狼の群れと遭遇してしまったのです。普段であれば狼に遅れを取ることはありませんが、怪我と空腹で満足に動けず、夫が盾となって噛まれることでなんとか逃げ切りました。ですが息子が……。一夜明けて群れが去った後、夫と息子のもとに戻り、なんとか二人を抱えて森を移動している途中であなた方に出会いました。」
なるほどな。俺たちが思っている以上に壮絶な人生を送ったようだ。
夫が盾となり、か。つい最近そういう話を聞いたな。
そうだ、まさにテレサたち家族にそっくりじゃないか。
テレサも思うところがあったのだろう。鼻をすすり、涙をこらえながら聞いていた。
「そんな大変な状況で、あなた、よく頑張ったわねぇ。好きなだけここにいて、ゆっくり休むといいわ。」
「そうね。私達にできることがあれば協力するわ。遠慮せずに言っていいのよ。」
「ここは精霊様の御加護がある。安心して怪我を治しなさい。」
「昨日の薬も世界樹の精霊から貰ったんだ。だから絶対良くなる。」
口々にそう語りかける俺たちに鬼人の母はしばしぽかんとしていたが、その目からみるみる涙が溢れてきた。
嗚咽を漏らしながら「ありがとうございます。ありがとうございます。」と繰り返す。
……きっと今まで人に受け入れられた経験なんてなかったんだろう。
マリアさんが優しく背中をなで、「大丈夫。大丈夫よ……。」と繰り返す。
しばらくすると少し落ち着いてきた。
「さっ、泣いてばかりもいられないわよ。お替わり食べる?私たちも朝ごはんにするの。」
そう言って立ち上がるテレサに、鬼人の母は涙を流しながら笑顔で「……いただきます。」と言った。