222.刹那
使節団一行は無事に蓬莱国へ辿り着いた。
宮中に招かれ、帝に挨拶を行う。
エレメンティオとはまるで違う街並みに驚きを隠せず、キョロキョロと当たりを見回してしまう。
「こちらからは、靴を脱いでお進み下さい。」
靴を脱ぎ、建物内へ入る。
平屋造りの長い長い廊下を歩く時も、彼らの目は忙しなく動いていた。
勿論、商人としてやってきたセシルもそれは例外ではなかった。
少々みっともないとは承知の上で、朱塗りの細かな細工が掘られた柱やずらりと並ぶ襖や御簾を口を半開きにしたまま眺めていた。
(すげぇ……なんか今まで行った国と全然違う……別世界みたいだ……!)
ふと、目線の先にある御簾が少し歪んでいるのに気づいた。
不思議に思って首を傾げ、じっと見つめる。
すると慌てたようにぱっと元に戻り、何事も無かったかのようにストンと静かに中を隠していた。
(歪みの高さからして、子どもか?一瞬見えた赤い目、綺麗だったな。)
この国の子どもはどのような顔をしているのだろう?
おれ達と違うんだろうか?
市井に出たら、子ども達にも会うだろう。勿論、子ども以外にも沢山の人がいるに違いない。
秘密兵器も持ってきているし、楽しみだな。
――国外からの使節と商人が来る。
宮中に務める貴族の若い娘達の間はその話題で持ち切りだった。
いつもは宮中で働く以外の人前に出ることも厳しく制限されるが、今回は特別に商人からものを買うことを許されている。
外国産の珍しい品々。しかも出処はあの久遠様の夫となった男の国、精霊王国エレメンティオ。
久遠様の御心を奪う程の男だ。きっと良き品々を持ってきているに違いない。
娘達は期待に胸を膨らませ、御簾の向こうで話題に花を咲かせていた。
「ねえねえ、エレメンティオの方々って皆玉のように美しいって本当?」
「あら、ピンキリだと言う噂よ?あまり期待しない方が良いんではなくて?」
「久遠様に敵う美しさなど有り得ませぬ。」
「私は人はどうでもいいわ。綺麗な髪飾りは売っているかしら?」
「姉様方、噂ばかり鵜呑みにするとガッカリしますよ。」
「あら、だって噂でしか情報は入ってこないんだもの。」
「氷雨はいつも来てくれるわけではないから……」
「そういう刹那は気にならないの?」
「気になりますが……気になるなら普通に見ればいいのです!」
「まあ、大胆!」
「はしたなくてよ、刹那。」
刹那と呼ばれた少女は御簾をほんの少し歪めて外を伺う。
外は良い天気で明るかった。
丁度集団が向こうから廊下を渡ってこちらに向かってくるところだった。
人の気配がしたのは間違いではなかったらしい。
(これが、異国の者達……)
先頭を行く女は金糸のような見事な髪をなびかせて颯爽と前を向いて歩いていた。
彼の国では女も普通に外を歩き回るのだな。
蓬莱国では高貴な女性、特に未婚の若い女性はむやみに外に出ないのが慣習だ。
刹那自身、話すのは宮中に務める者達ばかりで市井に出ることは年に一度あるかないかだった。
外の様子や噂話などは『忍』の女首領、氷雨が時折話してくれる。
しかし、彼女にも仕事がある。噂ばかり広めている時間は無い。
刹那は退屈していた。
後ろから数人の男達も歩いてくる。
ふと、向こうからやってくる男の一人と目が合ってしまった。
ほんの少ししか隙間を作っていなかったはずなのに、バッチリ目が合い、じーっとこっちを見てくる。
(――――っ!)
刹那は急いで御簾から離れた。
息を整え、俯きながら姉様方の方へ戻る。
「なぁに?刹那ったらそんな顔して。」
「まさか、見てるのバレちゃったんじゃないでしょうね?」
「私達まで侍従長に怒られるでは無いか、全く……」
姉様達の声はもはや刹那には聞こえていなかった。
(なんという、真っ直ぐな目……)
外の人の気配は無くなっていたが、刹那の心臓はまだドキドキしていた。
「では、お先に。」
娘達は広場に広げられた行商市に行くことを許された。
一斉に詰めかけることは出来ないので、順番にだ。
大体は身分の高い姫たちから、次に年齢の高い者から。下位の歳若い娘たちは良いものが残っていることを切に願いながら待った。
刹那は妖狐族。身分としては最上位だ。
同じ上級姫達と共に行商市へ向かった。
「素敵……!こんなに綺麗な飾りがあるなんて……!」
「それよりもこのシルクの『りぼん』というものが可愛らしいわ。」
姫達が騒ぐ中、刹那はそれどころではなかった。
(あの人だ……)
恭しく商品説明をしてくれるエルフの男の隣で、やり取りを食い入るように見ている歳若い男。
それはまさに先程目が合った男だった。
思わず凝視してしまう。
ぱちっ。
顔を上げた男と刹那の視線が交わった。
あっ、と思うのと同時に、男が話しかけてきた。
「また会いましたね。」
「え?」
「さっき、御簾の向こうに居たでしょう?目の色と気配が同じだ。」
「あ、それは、内緒で……っ!」
周りに聞かれていたらまずい。特に、侍従長達に見つかれば大目玉は必死だ。
そんな刹那の焦りを察したのか、男は自然と話を変えた。
「本日はどんな物をお探しですか?」
「特に目的は無い。異国にはどんなものがあるのか見てみたいだけだ。」
「では、こちらはいかがですか?」
手に広げたのは刹那の瞳と同じ深紅のサテンリボンだった。
向こうが透けるほど薄く、繊細な美しさを放っている。
「お客様の瞳の色にも合いますし、すごく綺麗だと思いますよ。」
(綺麗……そんなことを言われたのは初めてだ……)
途端にそのリボンがどんな宝飾品よりも輝いて見える。
吸い寄せられるように手に取る。
「では、これをもらおう。」
「はい!ありがとうございます!」
満面の笑みでお礼を述べ、丁寧に品物を渡してくる顔から眼がそらせなくなる。
「オマエの名は何というのだ?」
初対面の男に自分から名前を尋ねるなどはしたないことだ。しかし自分でも気が付かないほど自然に口から出ていた。
「おれですか?セシルって言います。お客さんは?」
「刹那だ。良い買い物だった。」
「それは良かったです。おれ達明日は都町に行くので、欲しいものは今のうちに手に入れた方が良いですよ。」
買い物の時間が終わるまでがあっという間に感じた。
「今日は市井に行くと言っていたな……」
昨日から刹那はセシルのことばかり考えていた。
自分でも何となくわかっている。
自分は、セシルに懸想をしているのだと。
大人の姉様たちは「好きかどうかは一目見た瞬間にわかる」と言っていたが、まさにこういうことか。
刹那の良いところ、それは立場に囚われず恐れ知らずなところだ。
好きな男なら姿を見たい。ここにいないのなら男のもとに行けばよい。
幸い、妖狐族は魔法に長けた一族。刹那はその中でも指折りの才能を持っている。
「『分身の術』」
刹那は精巧な分身を作り出し、こっそりと街へ出ていった。
「あれ?あんたは……」
思いがけない場所で刹那の姿を見かけたセシルは、ついいつもの口調に戻ってしまった。
「その、昨日の市が興味深くて来てしまった。」
「それは、ありがとうございます。刹那様。」
「今は人に黙ってきているのだから名前は呼ぶな。敬語も不要だ。」
「……わかった。それで、今日は何を見る?あんまり昨日みたいな煌びやかなものは出してないんだけど。」
今日のターゲットは市井に住む庶民たちがメイン。
作物やレトルト食品など、比較的安価で生活に根付いたものを多く出している。
「あ、そうだ。これは試食のサンプルなんだけど、食べてみるか?」
さし出された小箱には硬貨の形をしたものがたくさん入っていた。ほんのりと甘いにおいがする。
「これは?」
「クッキーって言う菓子だよ。サクサクしてて甘くて美味いぞ。」
促されるままに口に入れる。
その瞬間、サクサクとした食感と共にホロホロと口の中で崩れていく。
ミルクの香りとほんのりとした甘さ。
「これは新食感だな!」
「これはまだ試作品として持って来ただけなんだけど、ぶっちゃけコレ、売れると思う?」
「貴族階級には飛ぶように売れるだろうな。特に娘たちは好みそうだ。庶民相手には……値段次第だな。」
「なるほど、ありがとう。ちなみにここではどういうお菓子が人気なんだ?というか、お菓子って普通に食べられてるもん?」
「砂糖が良く取れるから、甘味は庶民にも広まっているぞ。……そうだ、これを食べてみるか?」
刹那が着物の袂から巾着袋を出す。中に入っていたのが赤や黄色、白、緑など、色とりどりの小さな星のようなものだった。
「すげぇ!これなんだ?宝石みたいだな!」
「『金平糖』というものだ。砂糖を煮詰めて着色している。」
「着色!?そんなことして大丈夫なのか?」
「食用の着色料だ。クチナシやベニバナなど食べられる素材を用いて色を出していると聞いたことがある。さすがに店までは知らんが、大通りの店の中に取り扱っている店があるだろう。」
「マジか……食用の着色料があれば料理やお菓子にもっと幅が広がるな!ちょっと今から探してみるわ!」
商人仲間に一言告げ、すぐさま出かける準備を始めるセシル。
どうやら今日話せるのはここまでらしい。
「ワタシはセシルが気に入っている。……またここへ来ても良いか?」
「おお!俺も刹那のことすげえって思ってるよ!まだ小さいのにいろいろ知っててえらいな!じゃあ気を付けて帰れよ!」
そう言うとセシルは風のように走っていった。
「ちい、さい……?え……?」
そう。この二人の間にある高い壁。
それは刹那の見た目からくる問題だった。
妖狐と人間の成長の形はまるで違う。妖狐は成人となる十八歳になったときに急成長し、大人の身体つきになるのだ。
逆に言えば、十八になるまでは人間からしたら五・六歳くらいの子どもでしかない。
刹那は今現在十四歳。見た目は子狐のそれだった。
セシルにとっては小さな子どもにしか見えない刹那。
彼女の淡い思いはセシルに届くどころか、そんな目で見ているなどセシルは思いもしていないのであった。