218.柳仙翁の話
「はい、これで大丈夫なはずです。」
「ありがとな、アヤナミ。」
「いいえ。ご結婚、おめでとうございます。」
アヤナミに二日酔いを治してもらい、軽めの朝食をとっていると、氷雨がやって来た。
どうやら久遠が俺を呼んでいるらしい。
氷雨に案内され久遠のもとに行くと「出かけるぞ。」と言ってきた。
ずいぶん急だな。どこへ行くんだ。
「出かけるって、どこへ?」
「婚姻の契りを結んだからには、柳仙翁様に挨拶をせねばなるまい。」
「りゅうせんおう???」
柳仙翁って誰だ?
そんな俺の気持ちを読んだのだろう、久遠は歩きながら説明を続けた。
「柳仙翁様は我が国の守り神、樹齢一万年を超える柳の樹だ。ご神木として奥の林に祀られている。」
「ご神木か。樹齢一万年ってすごいな。」
しばらく歩き続け、林の中を通り抜けた。
そこには、見事に枝葉を伸ばししだれさせた柳の大木があった。
一万年の時を感じさせる幹の質感と大きさ。しかしその葉は瑞々しい緑色に染まっている。
幹にはしめ縄が巻かれ、ご神木であるということが一目でわかる。
なんだか神聖な空気を纏った木だ。
「柳仙翁様、お久しぶりにございます。久遠が参りました。」
久遠が丁寧な口調で語り掛ける。
え、木に挨拶って、ほんとに話しかけての挨拶なのか?
てっきり祈って終わりかと思ってた。
しかしその理由はすぐに分かった。
今までただの幹のしわやへこみだと思っていた部分がぐにゃりと曲がり、人間の顔が浮かび上がったのだ。
そして当然のように久遠に話し始めた。
「おお、久遠の娘っ子、久しいのう。」
「この度、久遠はこちらの男、ケイと夫婦の契りを結びましたのでご挨拶に参りました。」
「ほう。お主が婿を取るとは珍しいこともあるもんじゃのう。どれ、顔を見せておくれ。」
久遠に促されて前に出る。
なんて話しかければいいんだ?
木に話しかけるなんて変な感じだけど、なんかめっちゃ偉い人っぽいし。
「初めまして。ケイと申します。ウォルード大陸の国、エレメンティオより参りました。」
「なるほど、お前さんがケイか。お前さんのことはよく聞いておる。」
「え?誰に?」
「わしら世界樹は意識の底で互いにつながっておる。東の森に新たに芽生えた世界樹の精霊がお前さんのことを高く評価しておった。」
世界樹の精霊ってことはライアか!
そして今の話からして、柳仙翁自身も世界樹なんだろう。いや、話してるのはドライアド?一体化してるのか?
よくわからん。
「は、はい。ライアのおかげで俺たちも上手くやれています。」
「うむ。なかなか良き心を持った男のようじゃ。娘っ子、なかなか見る目があるのう。」
「ふふふ、ありがとうございます。これからも夫婦ともども国の発展のために心を尽くしてまいります。柳仙翁様もどうか私たちを見守ってくださいませ。」
「あ、よろしくお願いします。」
「うむ。世界樹の加護と結界でお主たちをしっかりと守っていこう。まあ、そなたの結界があれば十分じゃろうて。」
「御謙遜を。……では、また近いうちに参ります。」
「あ、あの!聞いても良いですか?」
挨拶をして帰ろうとする久遠を止め、、俺は柳仙翁に呼び掛けた。
一万年の時を生きる世界樹。彼ならば俺の知りたいことを知っているかもしれない。
「なんじゃ。若いの。」
「もしよろしければ、『夜空の民』のことについて教えてもらえませんか?彼らはどこから来て、どうやってこんな文化を作り上げたのか……」
『夜空の民』。この世界では珍しい黒髪黒目の人種。そんな人がたくさん集まった国があり、その国は俺の故郷、地球の日本にそっくりな文化を持っている。
これはただの偶然ではないだろう。
「ふむ。それはちと長い話になるが良いのか?……よかろう。少し昔話をしよう。
およそ千五百年もの昔、ここは魔族や魔物が住まう土地であった。ある月のない夜のことじゃった。大きな星と共に船が下りてきた。船はこの地に着き、中から漆黒の髪と目を持った者たちが数十人出てきた。神が遣わしたのじゃ。
漆黒の髪の人間たちは自らを『夜空の民』と呼び、この地に村を作ろうとした。『夜空の民』は、見たこともない技術や誰も知らぬ知識を持っておった。村は瞬く間に発展し、街となり、国となった。しかし、魔物によってたびたび街は壊された。
非力な人間では太刀打ち出来ぬ。神は火と風の力をまじりあわせ、人間たちのよき友であり守護者となる妖狐を作り出した。そのうち成長した一匹が九尾狐となり、人間たちの国を守った。――誰のことかはもう明白じゃろう?」
俺は久遠を見た。千五百年前の出来事。久遠が生まれたのも確かそれくらいだ。
――久遠は、『夜空の民』の守護者として作られた妖狐族の始祖だったんだな。
「人間の命は短く、『夜空の民』達は年老いて皆死に絶えた。しかし、その子孫が残った。子孫達は技術や文化を受け継ぎ、託された書物を読み、国の発展を続けていった。魔物や魔族相手にも、妖狐達の力で互角と言えるまでになっていった。
そしておよそ五百年前、魔物の王である『悪羅王』が美しき妖狐に心を奪われた。それ以来悪羅王は人間相手の戦争に手がつかなくなり、やがて魔物の国は消滅した。悪羅王は民を守り切れなかった自責の念からこの地を離れ、三の島に移り住んだ。『夜空の民』の恐怖は消え去り、感謝と尊敬の念をもって守護者であった妖狐を王として祀るようになった。それから魔族と人間は少しずつ心を通わせ始め、今に至る。
――昔話は以上じゃ。」
なるほど、たぶんその『夜空の民』ってのは俺と同じ異世界転移者だな。
俺との違いは、なぜか大勢がいっぺんに同じ場所へ転移したってことだ。
俺は柳仙翁に尋ねた。
「俺もたぶんその『夜空の民』と同じ世界から来たんだと思う。でも俺は一人だったし、船なんかに乗っていなかった。どうして当時の『夜空の民』は大勢いたんでしょうか?」
「『夜空の民』以外にも、星と共に現れる人間は世界に何人もいた。彼の者たちは前の世で死に、新たに生まれ変わったのじゃ。『夜空の民』が大勢いたのは、同時に何人も死んだからじゃろうな。」
平安京っぽい街並みに服装、それでいてどこか中華っぽい雰囲気もある。
高度な知識を持った大勢の人々と船、そして大勢が一斉に亡くなる。
……遣唐使か?
当時の遣唐使船が転覆し、乗っていた知識人が大勢亡くなってこの世界に転移した。
転移したのがたまたまこの東の大陸だったから、他の文化や人間に侵略されずにここまで生き残れたんだな。
当時でも最高レベルの知識人や技術者を乗せていた遣唐使船、彼等がまるっと来たのならこんな立派な街を作るくらいわけないだろう。
俺の、同郷……大先輩にあたる人だ。
「……ありがとうございます。俺はこの世界の人間じゃない……でも、この世界にも仲間がいたんだって、ずっと昔の話だけど、俺と同じように一から頑張った日本人がいたんだって知れて良かったです。」
「左様。お主は孤独ではない。知恵を残してくれる先人もともに歩んでくれる仲間もいるのじゃ。そのことを忘れるでないぞ。」
「はい。ありがとうございます。」
「長い時の中で忘れてしまっていたようだが、わらわもなぜこんなにも『夜空の民』を愛しく、護りたいと思い、親しみを感じるのか不思議に思う時があった。背の君のおかげで今回思い出すことができた。わらわは『夜空の民』とその子孫を護るために生まれたのだ。感謝する、背の君、そして柳仙翁様。」
「お主が夫として欲したのも、同じ『夜空の民』の始祖に近しいものだからというのもあるじゃろうな。……もっとも、それだけではなさそうじゃが。さぁ、そろそろお行き。お若いの、知りたいことがあったら若きドライアドに尋ねるがよい。最初は若木故意識の共有が上手くいっておらんかったが、徐々になじんでおる。我らが見聞きしたものや積み重ねてきた知恵もうまく引き出せるじゃろう。」
「ありがとうございます。また来ます!」
柳仙翁に別れを告げ、俺と久遠は宮に戻った。