212.ケートス
今日の夕食は勿論アスピドケロンだ。
解体した白身をアヤナミが調理する。
まずはそのまま刺身で。そしてシンプルに塩焼きで。
暴れまわる恐ろしい姿を目にした船員たちはちょっとビビっている。
ここは代表して俺から行こう。
ぱくり。
アスピドケロンの刺身は弾力がものすごかった。
プリプリどころかコリコリと言ってもいいくらいの歯ごたえ。
そして見た目は白身なのに味が濃厚で、脂と旨味が強い。
それでいてしつこさは感じられない。魚として完璧な味のバランスである。
「コレ、すごく美味いぞ。みんなも食べてみなよ!」
俺が目を輝かせて進めるのを見てみんなも一口。
その途端、胡乱げな目をしていたみんなの顔がパッと明るくなった。
「これは美味しい。」
「あの怪物がこんなに美味とは……」
「一生に一度の経験ですよね!」
「これもアヤナミ様のおかげですな!」
塩焼きも抜群の美味さだった。
あれだけ弾力があったのに、火を入れるとホロリと崩れる。
ふっくらとした歯触りと優しい香り。
しかしその旨味と脂は抜けることがない。
ちなみにアスピドケロンの皮の周りにはゼラチン質のものが詰まっていた。
地球のクエもコラーゲンがたっぷりって言ってたし、そういうもんなのだろうか。
身も美味いし皮もいける。
ということは、これは骨を煮込んだら良い出汁が出るんじゃないか?
マーレに提案したら信じられないという顔をされた。
「アスピドケロンの骨は優秀な武器となる貴重な骨です!それを食べてしまうなんてもったいなくてできません!」
そうか。残念だ。良い味が出ると思うんだけどなぁ。
まあ骨はあちらに譲ると決めたんだし、今回は縁がなかったということであきらめよう。
またいつかアスピドケロンを倒すことがあったら試してみよう。
……ないことを全力で祈るけどな。
極上の味のアスピドケロンを腹いっぱい食べて、俺達は眠りに着いた。
「どうやらケートスがこっちに向かって来てるみたいですよ。」
航海三日目。イリューシャがそんな報告をしてきた。
「ケートス?」
「何ですって!?本当なのですか?」
「ホントだよ。」
マーレが血相を変えてイリューシャに詰めよる。この顔を見るに、よっぽど恐ろしい相手のような気がするけど。
「マーレ、ケートスって何だ?」
「ケートスというのは、非常に巨大は海の化け物です。体長は……そうですね、この船よりも少し小さいくらい、と言えばおわかりでしょうか。鋭い牙を無数に持ち、我々セイレーンを含む海の生き物を片っ端から食らう、まさに災厄です。しかもケートスは群れで行動します。ケートスの群れがセイレーンの海域に入れば、我々は一族存亡の危機です。今までこんなところに来たことはなかったのに……!」
マーレが狼狽える。
とりあえず、めっちゃヤバい怪物だってことはわかった。
だってこの船よりちょっと小さいって、この船四十メートルあるんだぞ。
そんな化け物が近寄ってきたら、きっと船は大きく揺れて船員が海に投げ出されかねない。
そしてもしぶつかってきたら……最悪の事態を想像してぶるりと震えた。
「イリューシャ殿、ケートスの群れの規模はどれくらいかわかりますか!?」
「一匹だよ。近くに群れもなし。どうやらはぐれ者みたいだね。」
「一匹……それならまだ何とかなります。総員戦闘準備!城から応援を呼ぶのです!急いで!」
マーレの指示でセイレーンたちが船の周りに展開する。
城からの応援がやって来たのだろう、続々とセイレーン達が集まってくる。
「見えてきたね。」
「あれが……」
大きな塊が凄い勢いでこちらに向かってくるのがわかる。
かなりの距離でこれほどはっきりと見えるんだ。どれだけ大きいかは想像がつく。
作ったばかりの望遠鏡で見てみる。
ケートスは真っ黒い巨大なクジラ?アザラシ?のような姿をしていた。
それがざざざっと水飛沫を上げながら近づいてくる。
「こっちに気付いたみたいだよ。」
「総員、攻撃準備!」
「イリューシャ、結界で船とセイレーン達を囲んで!」
「りょーかいです。」
ものすごい勢いで突進してくる巨体の魔物。
迎撃態勢をとるセイレーン達にも緊張が走る。
そして――
ビシイィィイッ
ケートスがイリューシャの結界に激突した。
衝撃で大きな揺れが起こる。
「うわっ、結界にぶつかっただけでこれか。」
船本体にぶつかったわけでもないのに船が大きく揺れる。
まるで高波だな。
セイレーン達も波にのまれてしまったが、そこは流石海の一族、すぐに態勢を立て直した。
セイレーン達の魔法が一気にケートスに襲い掛かる。
高圧魔力弾や水魔法など、何種類も魔法が使えるところを見ると相当魔法が得意な種族なんだろう。
しかし、ケートスは強靭な厚い皮膚を持っているのかかすり傷程度にしか効かなかった。
「クッ、もっと撃て!攻撃の手を止めるな!!」
ギャオオォォオ!!
ケートスがうっとおしそうに暴れだす。
結界で俺たちに直接届くことがないとはいえ、海は揺れる。
このままでは船が沈みかねない。
「アヤナミ、イリューシャ、何とかできるか?」
「簡単ですよ。切り刻めばよいですか?」
「だめです!こんな化け物を切り刻んだら血の匂いが広がります。もし他の群れが潮の流れに乗った血の匂いに気付いたら、今度こそ大挙して押し寄せてくるかもしれません。」
「じゃああんまり傷がつかないように……」
「そもそも我々の目的はケートスを追い返すことです。死体がここに沈むというリスクはできるだけ避けなければ。」
「じゃあどうするんだよ。船が沈むぞ?そうだ、イリューシャの支配で……」
「やってもいいですけど、もうすでにこれだけ攻撃してるし、支配が解けたらたぶん戻ってきますよ。」
「えええ……」
頼みのイリューシャもダメか。
こんな化け物相手に傷は少なめで追い返すって。
そう思ったときアヤナミが言った。
「眠らせて封印してしまうのはどうでしょう?」
「封印?」
「殺すのではなく永遠に眠らせるのです。そうすれば血は流れませんしおそらくこの周辺以外にケートスの気配が漏れることはありません。ケートスは元々北の方に住む種族ですので、仲間が押し寄せてくることもないかと。」
「よし、じゃあそれで頼む!マーレもいいな?」
「はい!どうかお願いします!!」
アヤナミが龍の姿になり、上空へと飛び立った。そしてケートスに向かって白い霧のようなブレスを放つ。
みんなにブレスがかかると大変なので、急ぎ船の影に退避させた。
ブワワッ
するとケートスの動きがどんどん鈍っていき、その目は眠そうに微睡んで静かに海に沈んでいった。
「私が生きている限り、あのケートスが眠りから覚めることはないでしょう。」
甲板に戻ったアヤナミがそう告げる。
船の周りに浮いていたセイレーン達からは歓声が上がった。
「ありがとうございました。一度ならず二度までも部族の危機を救っていただきました。」
「あのケートスはどうするんだ?」
「あのまま安置しておこうと思います。ケートスの気配を恐れて他の魔物も近寄らなくなるでしょう。この海域も平和になるはずです。」
誰かが眠りを覚まさないように、廟を立てねばなりませんねと嬉しそうなマーレ。
戦士たちも帰還し、王に報告するそうだ。
一時はどうなることかと思ったけど、結果的に海に平和が訪れて良かったな。
俺達の航海もこれでやりやすくなるだろう。
その日の昼食は船の周りにいたセイレーン達も集めてケートスの戦勝会を行った。
メニューは勿論アスピドケロンだ。
刺身にカルパッチョ、ソテーに鍋、アヤナミが腕を振るってくれた。
今日一日、大活躍のアヤナミである。
酒も開け、互いの活躍を讃え合う。冒険中とは思えないほど平和で楽しい時間は続いた。
……食べすぎと船酔いで吐く寸前だったのはここだけの話である。