207.セイレーン
船は順調に航海していた。
リンドは操舵室で真剣な顔で様々な計器と睨めっこをしている。
俺が行ったところで邪魔をするだけなので、船長を信じて任せることにした。
ゼノは甲板でコンパスを元に地図にメモをしている。
どうやら陸地の探索に加えて海上の探索までをもしようとしているようだ。
サンゴ礁や突き出た岩礁など、危険スポットを方角とエレメンティオとの距離からなんとなく予測しているらしい。
とはいえ、素人が何も目印がない海上で正確な場所を掴むのは難しいだろう。
「なんかよくわからないけど、今の位置関係が知りたいなら上に連れて行ってあげようか?」
イリューシャが上、つまり空を指さしながらゼノに言う。
ゼノは一瞬ぽかんとしていたが、「お願いします!」と弾んだ声で言った。
一気に上空に駆け上がるゼノとイリューシャ。
上空からならさぞ見やすいだろう。
「いい天気だなぁ……」
天気もいいし、風も丁度良い強さ。
大航海日和だ。
「お食事が出来ました。」
アヤナミがそう呼びかける。
多くの船では保存食を食べるらしいが、この船には簡単なキッチンがある。
まあ料理と言ってもレトルトパウチを魔法で温めて出すだけなのだが、それでも固いパンと干し肉だけの食事に比べたら気の持ちようが全然違う。
本日は精霊豚(イベリコ豚と黒豚、金華豚を掛け合わせたうちのオリジナル豚だ)の生姜焼きに千切りのキャベツ。全粒粉パン、缶詰のリンゴのコンポートだ。
大冒険を覚悟して出たはずが、こんなに優雅で良いのだろうか。
ま、平和に越したことはないけどね。
その後はでかいウミヘビが出たり、鮫サイズのカジキのような魔物が出たりしたが、イリューシャやジェイクがササッと仕留めて終わった。
ウミヘビもカジキも毒は無いらしいのでめでたく俺たちの食材の仲間入りだ。
夕飯はカジキの刺身とウミヘビのソテー。
カジキは普通に地球で食べるカジキマグロそのもの。
ウミヘビは鱈のようなさっぱりと淡白な味わいだった。
船倉に冷凍庫を付けといて正解だな。
これでしばらくは美味いカジキが食べられるぞ。
ウミヘビは可食部が少ない分二十人以上が食べるとあっという間になくなってしまった。
いつかまた出くわしたら仕留めて食べたいな。
二日目。
メローナの港町からも随分遠ざかってしまった。
この辺りは風がなく、波も穏やかだ。
帆船は風が吹かないと動けないが、俺たちの船は魔石式の魔導エンジンが着いているから凪いでいようと関係ない。
エンジン全開、快調に飛ばして行く。
穏やかな海を東に向かって真っ直ぐ進む。
ふわぁ〜あ。平和だなぁ。
♪♪♪
どこからか誰かの歌が聞こえる。
歌を歌って踊りを踊って、気分は海賊ってところか?
♪♪♪
「ケイ様!この歌……!」
サラの鋭い声が飛ぶ。
「ん?歌がどうかしたか?」
「ケイ様は平気なのですか!?これはセイレーンです!この歌を聴いてはいけません!」
「なんだと!?」
慌てて辺りを見渡す。
すると船乗りたちは皆ぼぅっとした顔で海を眺めている。
♪♪♪
リザードマンの船員がフラフラと船のヘリに近づき、なんと自らヘリを乗り越えて海に飛び込もうとする。
慌てて腕を引っ掴んで止める。
しかし飛び込もうとしているのは彼だけではなかった。
あっちもこっちも、リザードマンも人間も、ゼノまで苦しそうにマストにしがみついている。
「アヤナミ!イリューシャ!!」
船内にいる龍族二人を呼ぶ。
二人は直ぐに出てきて、瞬時に状況を把握したらしい。
イリューシャは『支配』の力で全員の注目を自分に集める。
すると海に飛び込もうとするものは居なくなり、フラフラとイリューシャの元に近づいて行った。
全員が集まったのを確認して魔法を解除する。
我に返ったようにぱちくりと瞬きをしてお互い顔を見合わせた。
「全員、船内に入っといて。あとは僕がやるから。アヤナミは一応彼らのこと診てやってね。」
「はい。皆さん、こちらへ。」
テキパキと船員を誘導するアヤナミ。
イリューシャは楽しそうに甲板に立った。
♪♪♪
「『支配』を司る僕に精神支配で喧嘩を売ろうなんて、そんな身の程知らずはこうしてやるよ!」
邪悪な笑みを浮かべると、片手を上げるイリューシャ。
すると船を丸ごと取り囲むように巨大な竜巻が出現した。
竜巻は周りの海水を巻き上げ巨大化する。
よく見ると魚や魔物まで竜巻に巻き込まれている。
「かかったね。」
パチンッ
ドサドサドサッ
イリューシャが術を解くと、俺達を取り囲んでいた竜巻は消え、ドサドサと大量の魚が甲板に落ちてきた。
あーあ、可哀想に。
ありがたく頂戴して美味しくいただくとしよう。
そして、落ちて来た魚に混じって人間が二人降って来た。
白魚のような真っ白い肌と淡い水色の髪。
下半身はキラキラと光る鱗に覆われた魚の尾だ。
……まさか、人魚?
「さぁーて、お騒がせの狙いについてじっくり聞こうか。歌っても無駄だよ。君達程度の魔法が通用するわけないんだから。」
結界魔法で人魚たちの身体をガッチガチに拘束するイリューシャ。
これならもう何も出来ないだろう。
「けほっけほっ……どうか、命ばかりはお助けを……」
「それは僕が決めることじゃない。ケイ様が判断することだよ。」
「えーっと、話が見えないんだけど……今の歌と船員たちがおかしくなったのはこの人魚たちの仕業ってことで良いのか?あと、サラ、さっきセイレーンって言ってたけど、セイレーンって何?」
「セイレーンとは海に棲む魔族の一種で、魔法を得意とします。特に彼らの種特有の歌は聞くものの心を惑わし、海中に引きずり込んで食べてしまうのです。」
出た。お前達も人間食う系の魔族かい!
めっちゃ綺麗な顔してるくせに怖ぇな!
「なるほど、わかった。それであんな一斉におかしな真似をしたのか……って、サラはどうして平気なんだ?」
「元々セイレーンの歌は女性よりも男性に効きやすいんです。あとは私はすぐにセイレーンとわかって耳を塞いでおりましたので。」
「そういう事か、サラのおかげで助かったよ。」
「もったいないお言葉です。」
色々合点がいった。
この世界の船乗りはどうしたって男ばっかり。
男に効きやすい魔法に特化したのも頷けるな。
さて、こいつをどうしたものか。
「なんのためにこんな真似を……って、やっぱ食うためだよな。」
「違う!我々は領域を犯した人間に罰を与えて排除しようとしただけだ!勝手に我らの領域に足を踏み入れたのはそっちだろう!」
「我々はこの辺りの海域を支配しております。その海上に大きな影が見えたので、危険な侵入者と思い攻撃しました。つきましてはあなたがたの目的を教えて下さいませんか?」
口調が激しめのセイレーンと、冷静な口調のセイレーン、両者が交互に説明する。
どうやら俺たちが知らずに彼らの領域に入り込んだっぽいな。
セイレーン達は侵入者排除のために歌で応戦したってところか。
「勝手に入ってたんなら悪かったな。この辺がセイレーンの海域とは知らなかったんだ。今回の件、互いに攻撃したことも踏まえて全て水に流さないか?俺としてはこれ以上戦うつもりは無いんだが。」
「戦いの意思がないことはわかりました。ですが、あなたがたの目的をまだお聞きしておりません。目的いかんによってはたとえ敵わずとも排除を続けなければなりません。」
「どうせお前達も海を好き勝手荒らしに来たんだろう!?南西の国みたいに!」
海を荒らす?少なくともそんなつもりは無い。
南西の国ってのは知らん。聞いた方が良いのか?
「俺たちは海を荒らすつもりは無いよ。ただ、東の大陸を目指しているんだ。ここを通り抜けるのがいちばん早そうなんだが、通行を許可してくれないか?」
「……。……あなたの額に触れても宜しいですか?危害は加えません。」
額?何するんだ?
身体に触れるということで、警戒するサラとイリューシャが間に割って入る。
でも、このままじゃ膠着するだけだしな。
ここはしたがって友好アピールだ。
「サラ、イリューシャ、大丈夫だ。下がってくれ。」
セイレーンの濡れた指先が俺の額に触れる。
「ふむ。あなたの言葉に嘘はないようですね。しかし、通行許可は私の一存では出せません。」
「許可を出せるのは王だけだ。諦めて帰るんだな!」
額に触れるのは嘘かどうかを調べていたのか。
便利な魔法だな。魔法が得意というのは本当らしい。
顔も整っているし、『海のエルフ』ってところだろうか。
「王に取り次いでもらうことは?」
「……見返りに何を差し出せますか?」
見返りねぇ……どうしようかな。
海にはない珍しいもの。あ、あれは?
人間を食べるとか言ってたし。
「セイレーンは人間を食べるのか?人間の味に近くて人間より美味い肉があるんだけど。」
「なにっ!?……いや、ただの都合の良い嘘だな。」
「人間を特別好む訳ではありませんが、流れてきた死体を食べることはあります。ですが、人間に近くて人間より美味しい?そのようなことが――」
「ちなみに魔王のお墨付きだ。これが食べられるなら人肉はいらんとまで言わせた代物だぞ?」
「魔王……あなたはまさか、精霊王国エレメンティオの……?」
「あ、知ってんの?だったら――」
「すぐに王に取り次ぎます!少々お待ちを!」
精霊王国エレメンティオと聞いて、いきなり態度が変わった。
会ったことないのに知っているのは『世界の声』のおかげだろう。
意外と精霊王国エレメンティオの名は世界に知れ渡っているんだな。
そんなことを考えながら、王に取り次いで貰えるのを待った。