168.地獄の番犬
ベヒモスも倒したし、さあ、そろそろ帰ろう。
そう言おうとした矢先、イリューシャがこんな提案をしてきた。
「この先が下層の最奥っぽいしさ、せっかくなら下層のボス倒してから帰ったら?」
「そうなのか?シリウス」
「はい、この先の部屋が下層の最奥ですね。」
「できれば、下層のボスの姿を見てみたいです。(そしてあわよくば持ち帰りたい)」
サラの心の声が聞こえた気がするが、ここはスルーしておこう。
大人になるにつれ、スルースキルが大事だってことは何となくわかって来たからな。
「あんまり長居はしたくないけど、ここから近い場所なら良いんじゃないか?」
どうせ戦うのは龍族三人組だろうしね。
俺たちはベヒモスが来た方向へ進んだ。大河を渡り、狭い岩場を通り抜け、歩くこと数十分。
「ここか。」
「はい。この先の部屋が最後の部屋です。」
「よし、行こう。」
「「「「はい!」」」」
最奥の部屋というにはやや狭いそこには、三頭の犬が寄り添っていた。
でかいな。犬というより象かと思うほど体が大きい。
炎を纏った真っ黒い躰に赤く光る眼は獄炎狼を彷彿とさせる。
しかし、何か違和感があるような……。
犬たちがこっちに気付き、躰を起こす。そこでやっと違和感の正体に気が付いた。
三頭の犬が寄り添っているのではない。
一頭分の躰に三頭の犬の頭がついているのだ。
小説や映画で見たことがある。これは――
「ケルベロスだ……」
「せいかーい。別名『地獄の番犬』。番犬らしく、最奥を守っているみたいだね。」
ケルベロスの纏う炎が大きくなった。臨戦態勢に入ったんだろう。
炎の魔物なら、アヤナミの出番だ。
アヤナミが一歩前に出る。
「ギャヮウッガウッ」
アヤナミが四匹の水蛟を生み出す。
水蛟はアヤナミの合図で一斉にケルベロスに飛びかかった。
ケルベロスは三頭の頭で水蛟の動きを読み、次々に避けていく。
ビシッ
水蛟とは別に、今度は水刃がケルベロスの躰をかすめる。
炎を纏った躰は相当熱くなっているらしく、水刃は蒸発してしまった。
しかし、ケルベロスの方も無傷ではない。何度も放たれる水刃、そして四方から襲い掛かる水蛟。
よけきれなくなった躰に冷気と水が襲い掛かり、ケルベロスの纏う炎は消えてしまった。
「ウォオオーーーーーーン!」
真ん中の頭が突然遠吠えを始める。
するとケルベロスの躰を炎が包み込み、その躰はみるみる巨大化していく。
頭が天井に着きそうなほど巨大化したケルベロス。赤黒い炎が躰を包む。
「熱っ!」
今までの炎はイリューシャの結界で熱をあんまり感じなかったが、この黒い炎は違う。
離れていても、結界越しでもはっきりとわかる熱さ。
近くにいるアヤナミはなおさらだろう。
ケルベロスが口を開ける。
炎を吐くつもりだ。あの黒い炎のブレスを三方向に吐かれたらさすがの俺もヤバいんじゃないか?
「さすが『地獄の番犬』だねぇ。――ちょっとお助けするよ。」
「ギャオオオォォォン!」
ケルベロスが突然苦痛にもだえるように暴れだす。
壁や天井に頭を打ち付け、地面をのたうち回り、自らの躰を掻きむしる。
「イリューシャ、一体……」
「これは『幻痛』といって、まあ幻惑の一種ですよ。実際に傷を負ったわけじゃないから防ぎようもないし、このワンちゃん普段痛い目とか見たことなさそうだし、かなり効くんじゃない?」
……まーたえぐい技を。
やることなすこと怖いんだよな。
アヤナミはその隙を見逃さなかった。
四匹の水蛟は一匹の大蛇になり、ケルベロスに巻き付いて締め上げる。
ケルベロスは幻痛による苦痛と水蛟の締め付けによる苦痛とで壁に天井にドタンバタンとのたうち回る。
巨大化したケルベロスが暴れるもんだから、地揺れがすごいし天井からもパラパラと石が落ちてくる。
ケルベロスの尾が飛んできて、イリューシャの結界がなければ吹っ飛ばされていたところだった。
そして苦しみぬくこと数分、ついにケルベロスの体力が尽きた。
身体にまとった黒い炎は消え、サイズも元の大きさに戻る。
ぐらりと体がゆれたかと思うと、そのまま倒れこみ動かなくなった。
「お疲れ、アヤナミ。」
「イリューシャさんのサポートで助かりました。」
「アヤナミはまだ若いからねぇ。これから勉強するといいよ。」
……イリューシャって一体何歳なんだ?
『子龍』って言われるくらいだから、まだ若いはずなんだけど。
龍族の寿命やら成人年齢やらがわからん。
まあいいや。
――ミシッ、バキッ。
サラが早速ケルベロスに駆け寄り、右から左から観察を始める。
「こんな魔物初めて見ました……炎を纏い、途中で変化するとは……あの黒炎は一体……」
――ビシビシビシィッ
突然、天井に大きな亀裂が入った。
岩がパラパラと降り、地鳴りがする。
「ワンちゃんが暴れたせいで崩壊が始まってるのかもね。ケイ様、こっち。」
イリューシャが俺を引き寄せる。
亀裂は天井だけでなく壁にも複数入っている。
ドドドドドォォッ
「うわっ」
「ケイ様、こっちに!」
「サラ!」
「サラさんは私が守ります!」
「私が止めます!皆様はそちらへ!」
天井が崩れ落ちる。
シリウスが龍の姿になり屋根のように覆いかぶさってくれた。
俺はイリューシャと洞窟のさらに奥――暗い穴の方に走った。
サラはアヤナミが何とかしてくれるはずだ。とにかく今は無我夢中で走る。
「ケイ様、ちょっと失礼!」
イリューシャは俺をひょいと抱きかかえると、そのまま真っ暗な垂直の穴の中へ飛び込んだ。
風魔法で勢いは抑えられているとはいえ、相当なスピードだ。なにせ真っ逆さまに落ちて言っているんだから。
「うわあぁああ!!」
俺の叫びが穴の中に木霊した。
「……ここは?」
「ケイ様、大丈夫でした?」
「ああ、イリューシャは平気か?」
「これでも龍ですから、あの程度でケガをするなんてありえないですよ。」
「そうか。サラとアヤナミ、シリウスは?」
「ここです。」
「村長、無事ですか?」
「ああ、俺は大丈夫。サラは平気か?」
「アヤナミ殿の魔法で何とか。――しかしケルベロスを置いてきてしまいました。」
「皆様、ご無事のようですね。」
何とか全員無事だったようだ。
シリウスが身体を張って崩落を止めてくれたおかげで全員避難することができた。
それにしてもサラ、こんな目にあってもまず気にするのがケルベロスかよ。
命あっての物種だぞ。
しゅんとしている姿も絵になるが。
「それにしても、ここは――?」
「下層のさらに下があるなんてな。」
「あまり好ましくない事態となりましたね。」
「ええ……」
「さっさと脱出しよ。」
下層のさらに下。たどり着いたそこはとてつもなく巨大なマグマの湖だった。
広大な空間のほとんどが灼熱のマグマに覆われ、波打ち、火花を散らしている。
これって、火山のマグマだまりか?
――この地に踏み入る不届き者よ。
どこからか声が聞こえた。大地の底から響くような声。
「なんだ?」
「ケイ様、下がってください!」
「僕の後ろに。」
「全員気を抜かないように。」
アヤナミ、イリューシャ、シリウス、龍族三人が明らかに焦っている。普段は突っ込みたくなるくらい冷静沈着なのに。
いったいどうなっているんだ?
――不届き者よ、ここを神聖なる場と知っての狼藉か。
その時、マグマだまりの中央にあった山が動いた。
ゆらりと体を起こし、巨大な四肢を踏ん張ってそびえたつ姿。
山ではない――それはシリウスたちの数倍はあるであろう、超巨大な深紅の龍だった。