痛み~前世、悪役令嬢といわれたメイドと、幼馴染の讒言を信じ、彼女を婚約破棄した王太子の悔恨~
「……こんなところによくいられるな」
これはいつも出入りの商人に言われる台詞です。
私は薄く笑い、いつものように食材などを受け取ります。
気難しい旦那様の評判は良いものではありません。それは知っています。
でも私はここに来なければいけなかったのです。
ええ、ここでなければいけなかったのです。
「今日はこれで終わりだってさ」
「はいわかりました」
「相変わらず愛想のない子だね」
私はぺこりと同僚達に頭を下げて、自室へ下がる。いつものことだ。
「……あなたはどうしていつも……」
神様に祈るのはやめました。夢の中で私を罵るあの人を思い出すたびにどれほど祈ったか。
「……私の絶望と孤独と悲しみを少しでも思い知るがいい……」
私は寝台に横たわる。いつもいつも悪夢を見る。
いつものように朝が来て私はメイド服に着替えて、みなと一緒に家事を始める。
「……今日は旦那様のお帰りだよ、しっかり掃除しな」
「はい」
私は旦那様のお帰りだと思うと、少し気が重くなる。だが、掃除などはしっかりしておかないといけない。
「ほらこれ」
庭に出ると、庭師の少年がやさしく微笑み、ピンクのバラを一輪私にくれた。
「ありがとう」
「まあ、余りもんだし」
「嬉しいわ」
遠い昔の記憶の中に私に笑いかける少年の姿が見えた。
私のほんの少しのやさしい記憶の象徴だった。
「……ありがとう」
庭師の少年は、今度町にでも行かないか? と誘ってくる。また今度と言葉を返して、私はいつもの日課に戻る。
世界はどうしてこんなにも悲しいのだろう。
「……旦那様のお帰りだ」
私は久しぶりにみた旦那様に一礼する。70過ぎとはいえまだ壮健だ。
爵位を手に入れ、貴族になったのはほんの50年前、政略結婚で貧乏貴族の娘を嫁にもらってから、金持ちの成り上がり。
そんな噂をもろともせずに商売をしてきた人。
奥様を失ってからは独り身で、子供はいない。
「……久しぶりだな、三年前に入ったから、今は」
「16でございます」
「そうだったな」
私を見て旦那様は半年ぶりだなと笑う。私はそうですねと言葉を返した。
旦那様は、懐かしくなってな、あとで付き合って場所があるので、付き添いを頼むと私に言う。
どうして私か? それはわからない。
「はいかしこまりました」
私は一礼すると、付き合ってほしい場所はどこだろうと考える。
旦那様は一年に数度しか館に戻らない。自室からほぼ出られないのだが……。
「悪いな、少し足を悪くしてな」
「いいえ」
私は旦那様に手を貸す。旦那様の行きたいところとは礼拝堂。この館の片隅にある場所。
礼拝堂の後ろの扉を鍵を使って開ける。階段が高く伸びている。
「この上まで行きたい」
「はい」
階段は石でできているようだ。私は旦那様に手を貸す形で上がっていく。
旦那様は白い髪をふわりと揺らせて、ふうと少し息をした。
「お疲れですか? 少し……」
「いやいい」
どうして私を指名したのか? よくわからない。塔の上まで言くと、懐かしいなと旦那様は目を細めた。埃だらけだ。
机といす、そして寝台、この部屋の主は女性だったらしい。
なぜかというと、ぽつんと机の上に女性ものの鏡や、それにオルゴールといった女性らしいものが並べられていたからだ。
「懐かしい……」
「何か言ったか?」
「いえ」
私はオルゴールを手に取ってみる。開けてみて、ねじを巻いても音はしない。
「さすがにもう壊れたか」
少し寂しそうに旦那様が笑う。窓には鉄格子、うっすらと見える月。
手に持ったランタンを私は机に置いた。
「……懐かしいな、あれが死んでもう50年か」
「あれとは?」
「私が殺した妻だ」
「え?」
「私は、50年前……妻を殺した」
旦那様は疲れたように寝台に座り、語り始める。
50年前、親が爵位のために政略結婚で、ある貧乏男爵の娘を私の妻にした。
と旦那様は言う。それは知っている。
その妻はおとなしく優しい人で、いつも静かに微笑んでいた。
そして……その妻の愛を旦那様は疑ったそうだ。自分とは政略で結婚したから愛などはないと。
幼馴染であった女が、妻が浮気をしていると讒言をし、妻を問い詰め、妻はそんなことはしていないといっても信じられず……。
そして妻をこの部屋に閉じ込め、誰とも合わせず、自分だけを見ているようにと言い……。
自分を信じてくれない夫に絶望し、妻は自殺したと……。
「自殺でしたか、病死ではなく」
「自殺だ、ナイフで胸を突いて死によった。自殺は外聞が悪いからな病死とされた」
ふうとまた旦那様はため息をつく、ああ懐かしい……。
私は座って旦那様の手を静かにとる。
「どうして信じてあげなかったのですか?」
「幼馴染の讒言を信じ、妻を信じ切れなかった」
疲れ果てたといった顔で旦那様は言う。
私はこんな顔をどこかで見たことはあった。
「……そうですか」
「幼馴染は殺した。あいつのせいで妻が死んだ」
「それは……」
「許せなかった、裏切りが」
でもどうして幼馴染がそんなことを言ったのか? 彼はわからないという。
私にはわかります。だって彼女はあなたを愛していた。だから。
「あなたはどうしてそんなことを私に?」
「お前は妻に似ている。だから」
「懺悔のおつもりで?」
「そうかもな……」
「愚かですね……」
「え?」
私が手を放して、どうしていつもそうなのですかねと薄く笑う。
いつもいつもあなたはおろかだというと、旦那様は胸を押さえて苦しみだす。
「お、お前、お前の名前……」
「あなたはご存じのはずです。いつも同じですから」
「ア、アリ……」
私は旦那様が薬をと叫ぶのを聞いて、彼の懐から薬入れを出して、薬を飲ませる。
でも痛みがひかないらしくはあはあと息を何度もしている。
「アリシア……か?」
「クリス様、クリストファ様、あなたはいつもそうですわね。取返しのつかないときになってようやく知る」
「お前は!」
「……神様だって間違いを犯すことはあります。あなたと私はいつも同じ時代、同年代に生まれる。でも今回は……」
彼の耳元で小さくささやくと、どこか悲しそうな笑みをして、そして彼は目を静かにつむった。
「……死にましたか」
私は寝台に旦那様の体を横たわらせ、ふうとまた一つ息をついた。
「また思い出していただけなかった。いえ思い出されていたのですかね?」
私は彼の唇に手をあてる。息をしていない。
ああ冷たくなっていく。
これからどうしましょうかねと思う。彼と出会いはしたが、いつもと違った。
いつも私は彼に裏切られる。幼馴染の讒言によって。
『不貞を働いた罪により、お前と婚約破棄し、その罪により死罪とする!』
前世、遠い前世、あなたはこう言いましたわね。
冷たい刃に私の生命は絶たれました。
私の悲しみ、絶望、苦しみ、あなたに愛を信じてもらえなかった……。
あなたは私を疑い、不義を信じて、私を殺した。
「王太子殿下、クリストファー様……クリス様」
いつの時代だったのだろうかあれは、もう汽車が走るといわれる今、あの遠い昔は記憶の果て。
でも私は忘れられない。あの悲しみと、絶望を。
「でもあなたがいない世界に生きていてもしょうがないもの」
私は机の中から、ナイフを取り出す。よかったまだあった。
「また、会いましょう……」
私は前世と同じようにナイフを胸に突き刺した。
きっとまた私はあなたと会える。
前世、私を裏切り、悪役令嬢、不義の女と罵った愛しい人。
あなたは私をまた殺すのでしょうか?
お読みいただきありがとうございました
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