私の記憶
人生は苦痛である。その通りだ、と思う。
なんで生きているんだろうか。わからない。
幾度と考えても死なないと抜け出せない。生が憎い。
今も生きている人間がすべて憎い。
この世界にとって、確かに私たちは確かに〈価値〉がある存在である。むしろそれだけを私のアイデンティティに生きてきたといっても構わない。だがその〈価値〉は人間としての評価ではなく、資源としての基準に他ならない。
戦争において最も安価で強力な資源。
だからこそ私たちは国民の盾となり矛となった。数々の人間を殺し、同じ力を持つ者も殺してきた。でも何も変わらなかった。むしろ危険物としてより俗世とのかかわりを絶たれた。
そう、私たちは〈人間〉ではないのだ。
人間ではない社会の異物。それが私たちなのだ。特別な力を持つ女たちなのだ。
こうなった原因は現代では解明されていない。だが現代社会において特別な力を持つことはとても不幸なことである。それは人権も国籍も家族も言葉すら奪われる。特別な力を持った者が暴行されてもレイプされても殺されても悉く無罪になった裁判。あの言葉を私は一生を忘れない。
「魔女は人類の敵である」
そう、変わらないのだ。
いくら声を枯らして叫んでも、何も。お前らの目はいつも変わらない。
「お前らは今まで戦争でたくさんの人間を殺してきただろ、人殺し」
ああ、そうだよ。
「お前らは俺らの税金で生かされてんだよ」
そうかもな。
「お前らは殺すことしかできない哀れだよな」
悪かったな、かわいそうで
「あなたたちは寿命が短いんでしょう? かわいそうね」
「ねえ、だれかかわいそうなあの子たちを助けてあげてよ」
「そうだ、かわいそうだよ、社会を変えようよ」
「大丈夫?」
「ねえ」
「ねえ」
「ねえ」
「大丈夫?」
うるさい。黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ。
ああ、黙れ。
もういい。気持ち悪い。
私も普通に生きたかったのに。私たちにもはや自由は存在しない。生きながら死ぬことなど不可能なのだ。
生への憎悪は今までの私を突き動かす原動力であり、意思である。
だからこそ、それ社会に体現する時が来たのだ。
そう、社会が悪い。
私を拒絶し、壊し、嬲り、犯し、憐れんだ。この社会が悪い。
だからそう、仕返ししてやる、この社会に。
仕返しをしてやるのだ。
仕返しをしてやるはずなのだ。
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