【第一話】転生
不思議な感覚だった。自分の体が自分のものでないようだった。
そして気が付くと目の前は知らない土地だった。
普通の人間ならこの事態に驚くだろう。だが浩介には問題なかった。
何故なら毎日薬をやって幻覚をみていたからだ。
変な虫が体を走り回ったりわけのわからない魔物に追いかけられていたからこれくらい何のこともなかった。
「薬の幻覚のほうがハードだな。異世界もどうにかなりそうだ。とりあえず腹が減ったし店でも探すかな」
浩介は今日も薬と酒ばっかりでまともな物を食べていなかった。彼にとっての今の関心は異世界に転生されたことよりも異世界の飯はどんなものだろうかといったものだった。
やはり変な虫とか食べるんだろうかと考えるが、薬さえあればなんでも美味く感じる浩介であるからそれは些細な問題であった。
「よし、とりあえず現状を把握するか。俺は川に突っ込んだ、そこまでは覚えている。そして今は…よくわからん森の中だが幻覚じゃなさそうだな。」
全く知らない土地に初めて来たときに最初にすることは周りをよく確認し情報収集を分析することだ。冷静な分析が後のリスクの低減になると浩介は盗みの経験から知っていた。
危険な場所・逃走経路となる場所・セキュリティーの甘い場所、その全てを見極める能力に浩介は長けていた。
「あぁ、危険な場所じゃなさそうだな。何かあっても隠れながら逃げることが出来そうだ」
ウォッカを飲みながら薬をやった時のほうが命の危機を感じたものだと懐かしい記憶を思い浮かべながら、浩介はここにあっても自分が冷静であることが少し怖くなった。
「とりあえず歩くか。歩いてりゃ飯にありつけるかもしれないし、もしかしたら女もいるかもしれねぇ。異世界の女ならやりたい放題だしエルフでもいたら一発世話になりたいもんだな」
暇な時分に見た異世界ファンタジーではエルフを含めた人ではない種族の女が出てくるのがお約束だったがやはり期待をしてしまう。慣れてきたらすぐに欲が湧いてくるのだから現金なものである。
これほどの早さで浩介が異世界に順応していくのには理由があった。
出身や経歴等に何も特別なものはない浩介であったが、幼い時から何事もそつなくこなすことが出来た。過去には神童とも呼ばれており将来を渇望される人材であった。
努力をすることはなかったが、それでも勉強や運動に周囲を見る能力は誰よりも高かった。
そんな浩介をよく思わない人間達が現れるのは人が無邪気さを忘れ最も残酷になる年頃になったときであった。
彼らにとってみれば浩介は努力もせずに誰からも認められる卑怯な人間に見えたのだ。
もともと努力をしてこなかった浩介にとってそれは当たり前のことであったのだが、それを理由に周りから責められることでついに浩介は活力さえも失い考えることを止めていくようになった。
そんな生活が長く続いていく中で浩介は一つの考えをもっていくようになる。それは自分を認めない社会や周りの人間が悪いというものであった。
おりしも浩介の世代は就職氷河期であった。それは浩介にとってさらなる追いうちであり、誰からも助けられず金持ちだけが肥え太っていく世界を見せつけられる地獄でしかなかった。
それからの浩介は法を破り社会への挑戦を続ける毎日を送った。腹が減ったら無銭飲食、女が抱きたければ夜の街でかどわかし、快楽に興じたければドラッグを使用した。
浩介は現実世界に失望しており、何も期待しない世界で生きていた。だからこそ浩介はこの新しい異世界に対してある種の希望を抱いていたのだった。
「俺の才能がこの世界では認められたのかもしれないな。やっぱり現実世界はクソだぜ」
浩介にはこの世界でもやっていけるだけの才能がたしかにあった。現実世界の縛られた空間では底辺かもしれないが、自由になれば誰にも止めることはできない最強の人間になりうるだけの才能が。
それは浩介が社会へ反発し身に着けていった違法な技術の数々である。発達した現代の人間社会の中で培養された人間の闇を全て知っていた浩介はこの世界では稀有な人間であったのだ。
そんな浩介にとってこの転生は最高の出来事だった。頑張って生きてきた自分への神からのご褒美かもしれないなと彼が思うのも当然のことだった。
「楽しくなってきたな。俺を認め、俺が自由に生きることが出来る世界だといいんだがな」
そう思いながら浩介は久しぶりに軽い足取りでこの森を抜けるべく目的もなく歩き出すのだった。