ヒールで気絶が治るはずない
「くっ、う!」
地面を転がり態勢を整えるイストファだが、ゴブリンがその隙を逃すはずもない。
一気に距離を詰めてきたゴブリンの振り下ろす剣。その手を小盾でカウンター気味に殴りつけようとして、しかし小盾はむなしく空を切る。
避けられた。そう気付いたのは一瞬後。
気付けば、ゴブリンはイストファから少し離れた場所にいる。
恐らくはイストファが動いた一瞬で後ろに跳ぶ事を選択したのだろう、恐るべき慎重さであった。
「こいつ……!」
強い。今まで会ったどのゴブリンよりも強い。
こいつ、ゴブリンソードマンじゃない。
そう直感して、イストファは背後の仲間達へ叫ぶ。
「違う! こいつ、ソードマンじゃない!」
叫びながらも、イストファは走り短剣を振るう。
こいつに攻撃の隙を与えてはいけない。そう感じたからこその先制攻撃。
けれど、それは焦りの招いた悪手。ゴブリンの突き出した盾に弾かれ、イストファの腕に痺れがはしる。
「この……!」
イストファの小盾がゴブリンの突き出した盾を弾いて。
けれど、それによって晒した無防備をゴブリンは逃さない。
そして、イストファは避けるにも防ぐにも時間が足りない。
そのまま攻撃に移ろうとしていたせいで、避ける態勢も防ぐ態勢も整ってはいない。
斬られる、と。そんな確信と共にイストファの背筋を冷たいものが走り抜ける。
けれど。響いたギイン、という音と共にイストファの肩アーマーを通して伝わったのは斬撃ではなく、何かに押されたかのような打撃。
「こ、ん……のぉ!」
「ギ……!」
再度の金属同士の衝突音。後ろに下がったゴブリンと対峙するようにイストファの前に立つのは、メイスを構えたドーマ。
ふう、ふうと荒い息を吐きながら、振り向かずドーマは叫ぶ。
「何やってるんですか、ヘタクソ! あんなのどう見てもカウンター狙いの誘いでしょう!」
「うっ……」
「ていうかアレもソードマンなんかじゃないです! なんであんなモノが此処に……!」
ドーマの台詞を待つことなく距離を詰めてくるゴブリンの剣をドーマはメイスで弾き……その隙に側面から斬り込んだイストファを、ゴブリンは回転しながら盾で殴り飛ばす。
残されたドーマをゴブリンは醜悪な笑みを浮かべながら見て。
「ギガボルト!」
「ギッ……」
だが、そこまでだった。
カイルの放った極太の電撃を頭に受けたゴブリンは頭から地面に倒れながら転がっていく。
その隙にドーマはカイルの近くまで逃げ戻ってくるが、それはゴブリンに傷らしい傷がほとんどないからだ。
「嘘だろ……ギガボルトっていえば」
「うーるせえ! 俺の魔法は通常の九割減だ! イストファァ!」
「うん!」
痛む身体を動かし、立ち上がったイストファは倒れたゴブリンへと駆け寄り倒れるような勢いで短剣を振り下ろす。
だが、ギロリと視線を動かしたゴブリンの盾が投擲され、激しい音を立ててイストファに命中し弾き飛ばす。
「ぐっ、この……!」
イストファが態勢を立て直す間にも、ゴブリンも立ち上がり剣を掃うように一振りする。
強い。だが盾は奪い、倒れた重戦士から距離も離した。
駆け寄った重戦士にモリスンがヒールをかける声が響き、イストファはゴブリンと向かい合う。
「ゴブリンヒーローです、イストファ!」
ゴブリンと睨み合うイストファに、ドーマが叫ぶ。
そう、カイル同様に冒険者ギルドで情報を買ったドーマは知っている。
ゴブリンヒーロー。
一階層で過去に一度だけ目撃されたという、未確定情報の一つ。
本来は別の階層で一匹だけウロついているはずの、ゴブリンの上位種。
ゴブリンキングのような最上位種を除けば、間違いなくゴブリン種の中で最強。
「外」では発生しえない、ダンジョンの中にのみ存在する超特殊個体。
「そいつの剣とマトモに打ち合ってはダメです! 押し負けます!」
「そんな事言ったって……!」
ゴブリンの……いや、ゴブリンヒーローの剣を注意深くイストファは観察する。
確かに豪華な装飾の剣だ。ただの剣でない事は見て取れる。
しかし、アレには赤い宝石どころか何の宝石もついてはいない。
ならば、特殊な能力は何もないということではないだろうか?
いや、ダメだと。イストファは自分の考えを振り払う。
そうやって油断すれば殺される。あのゴブリンヒーローが強い事はもう充分すぎる程に分かっているのだ。
「おい、知ってんのかドーマ!」
カイルは知らない。確定していない情報を頭に入れるのが嫌で未確定情報に関しては買っていないからだ。
ドーマも知ってはいたが予想できなかった。まさか、このタイミングでそんなものが出るなど予想できるはずもない。
二人とイストファの間ではモリスンが必死に重戦士にヒールをかけ続けているが、起き上がる様子はまだ無い。
「くそ……!」
イストファと対峙するゴブリンヒーローは、カイルの射線に入らないように巧みにイストファを壁にし位置を調整している。
その瞳がイストファと同時に自分を警戒している事を、カイルはその突き刺さるような視線から感じていた。
「おいモリスン! まだなのか!」
「ダメだ! 傷は治ってるはずなのに……起きないんだ!」
「ああ、もう! どいつもこいつも!」
ドーマが駆け寄り、倒れたままの重戦士を蹴っ飛ばす。
「な、何す……」
「ふはっ! う、うう……!?」
抗議の声をあげようとしたモリスンは、目覚めた重戦士の声に驚き目を見開く。
「ヒールで気絶が治るはずないでしょう! さっさと動きなさい!」
ドーマの前方では、ゴブリンヒーローをイストファが小盾を向けて牽制しながら距離を詰めている。
戦法としては正しい。
表面に鋼鉄を貼り付けた程度の小盾とはいえ、鉄製の武器で突破できる道理はない。
けれど、あれは……情報通りであるならば。
危惧するドーマの前方で、ゴブリンヒーローが後ろへと跳び下がっていく。
逃げるのか、と。戸惑うイストファの前で、ゴブリンヒーローは剣の刃に手を這わせる。
「いけない! イストファ、そいつを止めて!」
「え、うん!」
何故、とイストファは問わない。
戸惑いも行動も一瞬。地面を蹴り距離を詰めるイストファの眼前で、ゴブリンヒーローは刃を静かに撫でていく。
そして……その動きに連動するかのように、ゴブリンヒーローの剣に古代文字が輝き始める。
その一切を切断せよ。
そう記された古代文字が剣身を輝かせる。
もう間に合わない。
避けて、と。避けろ、と。
二人が叫ぶのと、イストファがゴブリンヒーローに短剣を振るったのはどちらが先だっただろうか。
だが、二人の目に映った結果は……宙を舞う短剣と。それを握っていたはずの、イストファの腕だった。





