それでも、あの金貨1枚から
「な、んだ……!?」
―従え。我に従え―
響く声。従えと、囁く声。頭の中で反響するように広がっていき、何か気持ちの悪い感覚がイストファの中に広がっていこうとしている。
―従え……従え……-
「う、うう……!」
「ちょっと、アンタ! 何して……」
ローゼがイストファの元へとたどり着き肩を揺らすが、イストファには届かない。
短剣を持つ手がガクガクと震え、全身を嫌な汗が流れていく。
そのあまりにも異常な様子に、ローゼは先程のドーマの言葉を思い出しローブのオークを見る。
イストファへと指を向けるローブのオーク……そして、こちらを見てニヤニヤと笑っているオークマジシャンとオークナイト。
「オークテイマー……マジネタだっての? それなら……ファイアランス!」
「ガアアア!」
ローゼの放った火の槍はオークマジシャンの放った火球と相殺され、周囲に火の粉をまき散らす。
「なっ……あぐあっ!」
その一瞬塞がれた視界を隙だとでもいうかのように突進してきた最後のオークナイトに吹き飛ばされ、ローゼは無様に地面に転がる。
「ガヒッ」
「ひっ……」
「ガヒヒッ、ガヒャヒャヒャヒャ!」
笑うオークナイトの視線に、ローゼはゾッとするような感覚を覚える。
それは、時折下品な男たちが自分に向ける視線と同じで。このままだとどうなるか、その未来をローゼは明確に想像してしまう。
「やだ……やだ……」
グラートが救援に向かったはずの場所では、いまだに戦闘音が響いている。
そう、そうだ。理解してしまう。この森のモンスターの恐らくかなりの数を、オークテイマーはすでに配下に従えている。
新しいオークエンパイアを作るための準備を、抜け目なく整えようとしていたのだ。
「ファイア……あぐっ!」
オークナイトに掴み上げられ、ローゼの詠唱は止まってしまう。
自分を見るオークナイトの瞳が恐ろしくて、ローゼは必死で暴れて。
そんな状況すら目にも耳にも入らず、イストファは頭の中で暴れる「声」に抗っていた。
―従え、従え……テイム、テイム……!―
「嫌だ……」
―従え……シタガエシタガエシタガエシタガエシタガエシタガエ! テイムテイムテイムテイムテイムテイムテイムテイムテイムテイムテイムテイムテイムテイムテイムテイムテイムテイムテイムテイムテイムテイムテイムテイムテイムテイムテイムテイム!!―
「うわああああああああああああああああああああ!」
叫ぶ。従えと、テイム、と。響く声と身体の隅々に染みこんでいこうとする魔力。
抗う。抗えない。魔力のないイストファには、それに対する抵抗力が無い。
急速に自分を蝕んでいく「声」と、塗り潰されていく思考。
叫ぶ中で……イストファは、このままではどうなるかを誰に言われずとも悟る。
誰が自分に従えと言っているのか。従えば何が起きるのか。
その光景を想像して。嫌だ、と。明確な意思を腕に込める。
足は動かない。従うべきだと、言っているかのようだ。
それでも、まだ腕は動く。だから……イストファは最後の抵抗とばかりに、短剣を自分に深々と突き刺した。
鎖帷子に守られた腹部を貫き、短剣はイストファの奥深くへと沈み込む。
「ぐ、ふっ……」
熱い感覚。塗り潰される思考の中に、熱い痛みが広がっていく。
だが、それだけ。塗り潰されていく思考が変わっていくわけではない。
従うべきだ、と。そう感じていく。そして……短剣の柄の宝石が、鈍く輝いた。
―テイムテイムテイムテイ……トゥウェィ……テェェ……―
声が急速に遠くなっていく。まるで、何かに吸い込まれていくかのように。
身体の自由が戻ってくる。視界が、戻ってくる。
そして、イストファはそれが「何故か」を理解する。
鈍く輝く短剣の宝石。マジックイーターの能力。それが、自分の中に染みこもうとする「テイム」の魔力を吸い取ったのだと。
「……」
短剣を、腹から引き抜く。痛みが消えたわけではない。気持ち悪さは、まだ残っている。
だが……動ける。自分をテイムしたつもりのオーク達は、手を叩いて笑っている。
だから、イストファは思考を巡らせる。
まずは、自分の近くで捕まっている少女を……ローゼを助ける。
けれど、自分の手にあるのはこの短剣だけ。
必殺剣を使おうと、一撃で致命には至らない。
……せめてあの剣が、ファルシオンがあれば。
この短剣では、攻撃力が足りない。打撃力が、斬撃力が足りない。
それでも。それでも、やるしかない。
足りないのはいつものこと。
いいや、足りないのは最初から。何もなくて、何も手に入らなくて。
それでも、あの金貨1枚から始まった。この短剣を手に入れて、進み続けた。
だから、今回もそうするだけだ。
「うあああああああああ!」
「!?」
自分に向けて短剣を振るうイストファに、笑っていたオークナイトの顔が驚愕に歪む。
ローゼを投げ捨て迎撃しようとしたその時、オークナイトは見た。
輝きを急速に強める、短剣の宝石を。そこを中心に広がっていく、輝きを。
輝きを纏う大剣へと変化した、その「短剣だったはず」の剣を。
「ギアアアアアアアアア!?」
斬り裂かれる。強烈な魔力を纏った大剣が、残光を残しながら軌跡を描く。
「嘘、あれって……」
ローゼは、それを絵で見たことがあった。
伝説に謡われる傭兵王ヴォ―ダン。一代で傭兵王国サラディアを築いた彼が持っていて……今は永遠に失われたはずの剣。
「傭兵王の魔剣……ルーンレイカー……?」
傭兵王の魔剣ルーンレイカー。彼の数々の伝説の中に幾度も登場するその剣に似たソレを振るうイストファがオークテイマーとオークマジシャンを纏めて斬り払ったのは……その、すぐ後の事だった。





