そんなもの、関係ない
イストファの宣言に、剣士の男は一瞬その動きを固まらせる。
当然だ。男からしてみれば、これは余興程度のもの。
格下でありザコとしか思っていないイストファがまるで自分に勝利できるかのような事を言ったのが理解できなかったのだ。
だからこそ、その理解できないものを理解するために剣士の男の動きは静止してしまう。
それもまた、イストファがどう動こうが対処できるという余裕だが……。
「ケイさん、離れてて」
「う、うん」
ケイが壁際に寄ったのを確認すると、イストファは剣士の男に向き直る。
そして、その時……剣士の男は、すでに自分の心の再起動を済ませていた。
髪をかき上げ、その口の端には笑みすら浮かんでいる。
「ハ、ハハ……驚きで固まるなんざ、いつぶりだ? お前、ギャグのセンスあるぜ」
「……僕は本気だ」
「おう、そうかい。だがお前はチャンスを逃した。今の隙に攻撃すりゃあマジに勝てたかもしれねえのにな」
嘘だ。流石にそこまで気が抜けていたわけではない。
もし今のをチャンスだとイストファが襲ってきていても対処できる自信が男にはあった。
ゆっくりと剣を構えて、イストファを迎撃しようとした……その瞬間、その目は驚愕に見開かれていた。
「……!?」
ギイン、と。男の剣がイストファの短剣を弾いた音が響く。
短い距離とはいえ、一瞬で距離を詰めての斬撃。
それも的確に剣を狙ってきた一撃からの、蹴り。
先程男がイストファにやったような、「無力化の為」の蹴り。
身長差の為か僅かなアレンジは入っていたし、金属鎧に守られた剣士の男の腹ではなく、足へとイストファの蹴りは放たれる。
「ぐっ!?」
勿論足鎧は着けている。だが要所を守る足鎧はその全てを守るものではなく、予想以上の痛みに一瞬膝をつきそうになりながらも男は剣を横薙ぎに振るい……しかし、イストファはそれを態勢を低くして回避する。
「がっ! ク、クソがっ……!」
放たれたのは、再びの蹴り。確実に足を狙ってくるイストファに……しかし、男は気づきニヤリと笑いながら距離をとる。
「……そうか、そういうことか」
黙ったまま短剣を構えるイストファに、男は嘲笑うような笑みを向ける。
「てめえ、こっちを殺す度胸はないみてえだな?」
「……」
イストファは答えず短剣を握り直す。だが男はすでにそれをあまり警戒する必要はないと感じていた。
「今のは、俺を斬ろうと思えば斬れたはずだ。全身鎧着てるわけじゃねえんだからな。それをしねえってことは……殺す度胸がねえってことだろ?」
考えてみれば当然の事だった。人間相手とモンスター相手は違う。
その境界線が曖昧になるのもある種の才能であり、普通は人間相手というだけでためらうものだ。
そしてそれは……剣士の男にとっては、イストファの明確な弱点だ。
「そんなもん抜いたから、こっち側の才能があんのかと思ったけどな……ハッ、拍子抜けだぜ」
殺す度胸もない相手など、男にとってみればカモも同然。
もっとも、殺す度胸があったとしても格下の武器相手に鎧を突破されるとも思えなかったが……。
「それじゃ死ねよ!」
男は言うと同時に踏み込み、剣を振るう。
こんな狭い場所での剣の振り方も相手の殺し方も慣れたもの、上段から振り下ろす剣をイストファが横に回避すると同時、手の向きを変えて切り上げるように剣を振り抜く。
回避した瞬間を狙う二度目の剣閃。調子にのったザコを殺せる程度の一撃はしかし、冷静に短剣でさばいたイストファによって回避される。
それどころか更に踏み込んできて足へと蹴りの一撃を加えてくるイストファから再度距離をとり、剣士の男は短く唸る。
「……この野郎……っ」
イストファの短剣の素材は男から見てみれば一目瞭然、黒鉄だ。
そんな格下の使う格下の短剣で自分の剣を弾く。
それは言ってみれば、イストファの技量の方が上だという証明になりかねない。
そうでなければイストファの短剣はとっくに折れるか切れるかしているはずで……その事実を、男は認め難い。
すでに腐れ消え果てたはずの剣士のプライドが刺激され、それが男の心を掻き乱す。
「抵抗してんじゃねえぞザコがっ! いい加減死にやがれ!」
荒れる心のままに繰り出す斬撃を、イストファの短剣が弾く。
響く剣戟の音は激しく、しかし男の剣身に自分の刃を添わせるようにして受け流したイストファによって男の剣が壁を激しく打ち突き刺さる。
その動揺の瞬間を逃さず、イストファは再び男の足へと蹴りを繰り出す。
ガヅン、と。今までで一番激しく重い音を立てた蹴りに男は短く悲鳴をあげ、壁から剣を引き抜いた勢いのままにイストファに斬りかかり……それをイストファは転がって避ける。
互いに空いた距離。けれど、どちらが優位かは誰の目にも明らかだった。
「こいつが狙いか……っ!」
足を襲う軋むような痛みを感じながら、剣士の男は唸る。
しつこいまでの足への攻撃は、これが狙いだったのだ。
「……僕にだって分かる事がある」
「ああ!?」
「前衛に重要なのは、動く事。立てる事。たとえ腕が取れても真正面から斬られても、足が無事なら動ける」
そう、イストファが「そう」だった。
ゴブリンヒーローに腕を斬り飛ばされても、密林の追跡者に真正面から深く斬られても。
イストファは、まだ動けた。まだ戦えた。そして勝てた。
だから。そう、だから。
「僕の狙いは……最初っから足だ」
「クソガキがあああああああ!」
走る男の振るう剣がイストファを叩き切ろうとして……防いだ短剣に深く食い込む。
「ハッ……! ぐあっ!」
勝った。男がそう感じたその瞬間、イストファは短剣を放棄している。
懐へと潜り込み、男の足へと蹴りの一撃。
耐え切れず姿勢を崩した男の顎を、イストファの拳が真上へと打ち上げて。
「う、そだろ。こんな……」
男の意識が消えかかる。まさか、こんな格下がこれ程の力を。
才能、そんな言葉が男の頭の中に浮かんで。
「才能、持ってる奴なんかに! 負けられ、るかよおおお!」
剣はいつの間にか手放していた。
踏みとどまって、けれど膝をついて。それでも拳は握っている。
イストファの拳が、その顔面を撃ち抜いて……仰向けに倒れた男は、白目をむいて動かなくなる。
「才能……」
そんなものがあるなんて、イストファは思ったことはない。
イストファには魔力がない。だからこそ身体能力に成長が割り振られる……らしいが、それを「才能」と呼ぶのであればそうなのかもしれない。
けれど、それだって結局はモンスター相手に仲間と共に命懸けでようやく勝利を掴める程度で。
やっぱり、それが才能かどうかなんて事はイストファには分からない。
ただ1つ分かるのは。
「……そんなもの、関係ない」
「イストファ君!」
駆け寄ってくるケイを声を聞きながら、イストファは倒れた剣士の男を見つめる。
「僕はただ……お前みたいな奴に、負けたくなかった。それだけなんだ」





