それも修行よ
そして、その夜。イストファは宿の部屋でステラに今日あった事を報告していた。
罠を仕掛けてくるグレイアームの事、ファントムツリーの事、密林の追跡者の事。
その全てを話し終わった後、ステラは小さく頷くと「それで、どう思った?」と問いかけてくる。
「強かったな……って思います」
「あら、それだけ?」
「えっと……油断したつもりはないんですが、それでも相手のいいようにされちゃう場面が多かったかなって」
「ふむふむ。たとえば、どんな場面で?」
「えーっと……グレイアームの罠もそうですけど、密林の追跡者のナイフが一番危なかったと思います」
そう、イストファはあの黒いナイフを1階層のゴブリンヒーローの剣と同じようなものだと思っていた。
特定の力を引き出す動作さえなければ大丈夫だと思っていたナイフは、即座にその能力を発動させる事の出来る……全くの別物であり、それ故にイストファは革鎧を裂かれ死ぬところだった。
「ステラさんの言う通り『知っていた』から間違えたんだと思います」
「そうね。自分の知識と経験に縛られ失敗する。身をもって経験できたみたいね?」
「……ごめんなさい」
イストファが謝り項垂れると、ステラは軽く首を傾げてみせる。
「あら、何に対して謝ってるの?」
「ステラさんの教えてくれた事……僕、分かってませんでした」
分かっているつもりで分かっていなかった。
だから実践できなかったのだと反省するイストファを、ステラは軽く抱き寄せて頭をなでる。
「何かと思えば、そんなことかあ……」
「そ、そんなことって」
「そんなこと、よ。いい? イストファ。私は頭を空っぽにして戦えと言った覚えはないのよ?」
むしろ、経験を元に戦うのは良いことだ。
武器の間合い、相手の動き。あらゆる全てを今までの経験から先読みする事により上級者の戦闘というものは成り立つ。
それは戦闘の方程式とでも呼ぶべきもので、およそ世界に存在する限りはこれから逃れうるものは無く、方程式を狂わせるものは数値の代入ミスのみである。
簡単に言えば「予想を超えられた」時が上級者の敗北するときであり、何も考えずに勝った負けたを論じることが出来るのは初心者の内だけとも言える。
「イストファの今回のミスは、相手の武装について予想を間違った事。けど『結果的に間違った』だけであって、踏み込んだ判断がミスとは言い切れないわ」
「どういうこと、ですか?」
「簡単な話よ。そのナイフが切れ味アップじゃなくて『刃を飛ばす』ものだった場合……切れ味アップを警戒して離れていたら、どうなってたかしらね?」
刃を飛ばす……つまりあの黒いナイフの能力が遠距離攻撃だった場合。
それを想像して、イストファはゾッとする。
もしそうだったなら……イストファは近づけずに殺されていたかもしれない。
何しろ、速度で勝てていたわけではないのだ。
遠距離攻撃を躱して再度接近できたかといえば、答えは否となる。
「そんな能力が、あるんですか」
「そいつが持ってるかどうかは知らないわよ? でも、そうであってもおかしくはないのがダンジョンってものよ。つまり今回、イストファは自分に出来る最善を尽くせたのだと私は判断してる」
言いながら、ステラはイストファの頭を撫で微笑む。
「むしろ私は踏み込めた事を評価したいわね。未知を前にした時、それが出来る人は多くはないわ」
「でも、それは」
「そうね、無知故かもしれない。けれど、自身を賢人であると驕るよりはマシだと思うわ」
そういう人間は自分の知識に殺されるものよ、とステラは語る。
しかしその態度に、イストファは逆に困惑してしまう。
「でも、僕の今回の事は……失敗だったんですよね?」
「ええ、失敗よ。言ったでしょ? 自分の知識と経験に縛られ失敗したって」
「なら、僕は何をどうすれば今回成功できたんでしょうか?」
「ふーむ」
イストファの疑問に、ステラは少し悩むように天井を見上げる。
「そうね。言ってみれば、その黒いナイフを使わせなければ成功だったわね」
「え……」
「簡単に言うと、イストファはその黒いナイフをナメたのよ。その程度の武器なら御せると驕った。だから負けかかったの。未知の武器を目にしたなら、まずそれを叩き落とす事に挑戦すべきだったわね」
ステラから見たイストファの今回の失敗は、それだけだ。
未知を既知だと判断したこと。その一点に尽きる。
何故なら、その一点のみがイストファを死に追いやりかけた致命的なミスであるからだ。
人間は完璧ではない。ステラとて失敗からは逃れられず、100%というわけにはいかない。
生きている以上ミスは存在するもので、その中で「致命的なミス」を躱していくことが強者となるには必須の条件だ。
だからこそ今回のイストファに反省すべき点があるとするなら、そこだけなのだ。
「でも、私は今回の冒険を評価するわイストファ。君は無事に勝って、生き残った。なら、明日の君は今日より強い。それは誇るべき事よ」
「……ありがとう、ございます」
「うん。それじゃ、もう寝ましょ? 明日は……ああ、お休みなんだっけ?」
「はい」
「私もその意見には賛成よ。ったく、あのクソドワーフ……イストファは私の弟子なのに」
私の言うべきことを取られたわ、と憤りながらイストファの頭を撫でるステラに、イストファは曖昧な笑みを浮かべる。
「えっと、それで……枝の売値が5000イエンだったかしら?」
「はい。まずはこれを3つに」
「はい、ダメ。そういう事を考えずに明日はやってきなさい」
「えっ」
「それも修行よ。頑張りなさい」
オロオロとするイストファを尻目に、ステラはベッドに潜り込む。
あのケイとかいう子がイストファをどう思っているのかは想像でしかないが……一般的な感覚からズレているイストファを日常側に連れて行くのは、ひょっとするとああいう子にしか無理かもしれない。
カイルと名乗っていた子も同じ事を考えていたのだろうな、と。そんな事もステラは思う。
まあ、お休みの一日を経てイストファがどう変わるかは見物といったところだろう。
より魅力的な男の子にイストファが育つ事については、ステラは何の異存もないのだから。





