4話 東京特許許可局局長管理委員会!
ル「はい」
姫「……はい」
ついに前置きすらも省かれてしまい、「はい」の一言で済まされる瑞姫。ルリから貰った豆乳プリンを食みながら自嘲する。
姫「昨日の宿題ですけど、どう思いますか」
ル「うーん、日本語の述語は全て拘束……その通りではありますね。実際に切れば分かります。ただ――」
姫「拘束形態素ってことは、それ単体で使用できない。つまり単体で語になり得ないということです。動詞も形容詞も、全て。それっておかしくないですか?」
ル「そうですね。おかしいです。なんでだと思いますか」
宗「そもそも『いる』の『い』って拘束形態素なんですか? 拘束とか自由の区別がまだ分かってないです」
ル「それ単体で意味が通るかです。あなたは「い」って言われて意味が分かりますか? 『あ』でも良いです。通らない形態素は拘束です」
宗「でも『私はここにいる』『私はここにいない』とか言ったとき、意味を与えているのは『い』ですよね」
ル「それが面倒なんですよ。ねえ?」
姫「ですね」
二人して頷き合うが、宗谷はちんぷんかんぷんといった様子だ。
ル「自由形態素の動詞って何があるかと言えば、walkとか、sleepなんですよ」
姫「宗くんに『sleep』って言ったら『眠る』って意味が伝わるでしょ? でも『い』だと伝わらない。前後の文章なしに意味が通る形態素を、自由形態素って言うの」
ル「姫ちゃん物分かり良いですね。ルリと交代しますか」
姫「それは遠慮します」
ル「はい」
姫「はい」
仲の良い二人を、桜は羨ましそうに見ていた。
桜「ルリちゃん。前回の宿題はもう一つありましたよね」
ル「ああ、そういえば……」
さっき/お/庭/の/隅/っこ/に/野良/猫/が/い/た
自由形態素 さっき 庭 隅 野良 猫
拘束形態素 お の っこ に が い た
ル「異論は稀にありますが、これが一応の解答です。今日は議論の時間カットです。姫ちゃんが自由形態素の解説しましたし、宿題の話はこのくらいで良いでしょう」
パン、と手を叩いて、話の終わりを示す。ホワイトボードにきゅるきゅるとマッキーを滑らせる。
ル「形態素を組み合わせて語が作られることを、語形成と言います。そして複数の形態素の組み合わせによって成り立つ語は合成語と呼ばれます」
語形成(word formation)、合成語
桜「忘れましたとはまた、素直ですね」
ル「うー……そもそも英語表記を聞いた覚えがないのです……というか、英語表記が要るのか分からなくもなってきました」
宗「なくても問題ないんじゃないですかね」
姫「どこかで必要になったら調べられる時代ですし、ねえ?」
瑞姫はくすりと笑う。ルリは不満そうながらも、分かりました、と返して次に進む。
ル「この合成語を作る過程を合成と言うのですが、合成には主に二種類の方法があります。二つ以上の語基を組み合わせることを複合、語基と接辞を組み合わせることを派生と言います」
複合、派生
ル「複合で生まれた語が複合語、派生で生まれたのが派生語です。例としては以下のようになります」
複合語……「推理/小説」、「大震災/対策」、「東京特許許可局/局長」
派生語……「機械化/する」「大/震災」「もの/寂しい」「寂し/い」
ル「ちょっと示していますが、合成語は更に合成されることが多々あります。というか、合成語がどういう順番で合成されたかを考えるのはそれなりに大切です」
[[東京[特許/許可局]]局長]
ル「今日の宿題はこれの予定でしたけど、まだ時間があるので進みます」
宗「東京が最後にくっつく形でも良くないですか? [東京[特許許可局局長]]みたいに」
ル「それだと、東京の特許許可局局長さんが生まれます。彼は東京特許許可局の局長です。小さな違いですけど、大きいですよ」
宗「は、はあ……」
ル「複合語には二つの原則があります。二又枝分かれ制約と、右側主要部の原則です」
二又枝分かれ制約、右側主要部の原則
ル「二又は、複合語は必ず2要素がひとまとまりになり、さらに別の要素と結びつくというもの」
ル「右側は、複合語の中核的な意味や品詞を決定するのは、一番右に来る要素だというものです」
ル「前者は先の宗谷くんの話です。仮に[東京[略]]だと何が起きるか書きましょう。例えば東京特許許可局局長選挙管理委員会なるものがあったとします。するとこんな風にも書けます」
[東京[[[特許許可局局長/選挙]管理]委員会]]
ル「こうなると、数ある(略)選挙管理委員会の中の、東京バージョンだという意味になります。普通に考えたらそういう意味じゃないのは、分かりますよね」
宗「ですが、そういう意味でも成り立ちはしますよね」
ル「状況としてどちらがより妥当かというものです。自己紹介で『東京特許許可局の局長です』と言うのか、『東京の特許許可局局長をしております』と言うか、どちらですか」
桜「なるほど、確かに前者ですね」
ル「そうでしょう!」
余談だが、ルリ自慢げに腕を組むのは、例の先生の真似でもあった。
ル「右側主要部の原則は、あれです。「栗あんもなか」はもなかの一種で、「サッカー日本代表」は代表の一種です。複合語は、一番右側の要素に分類されるというわけです」
宗「あ、こっちは分かりやすいですね」
姫「……? じゃあカレーライスってライスの分類なんですか?」
ル「例外もありますです。例えば松竹梅とか東西南北とか、カレーライスもそうです。全ての要素が並列的に並ぶときは、主要部がありません。カレーもライスもどっちも大切なのです」
姫「へえ……」
ル「ちなみにそういうのを、並列複合語とか言います」
並列複合語(dvandva)
姫「なんでまた英語名書いたんですか」
ル「かっこいいからです。dvandva、一日一回は声に出したいです。で、冗談はさておき、この並列複合語はそれなりにあります。ちょっと列記しましょう」
親子、新郎新婦、生死、手足、春夏秋冬、行き帰り、送り迎え、好き嫌い
ル「他にもいくつか、右側主要部の原則に当てはまらないものがあります。その例がこれらです」
a、赤ずきん、相撲取り
b、偽勇者
ル「aは複合語が、あるものの特徴を指して作られている場合です。赤ずきんは頭巾の一種ではなく、赤い頭巾を被った少女の一種ですし、相撲取りは「取る」という行為の一種ではなく、相撲を取ってる人、つまり力士を指す言葉です」
ル「bは勇者ではなく、勇者の偽物です。勇者の一種ではなく、勇者に成りすましてる存在、の一種です。あくまで偽物ってことですね」
ル「こんな感じですね。そろそろ時間なので、今日はみんなでご飯でも食べに行きましょう。奢ります」
桜「え? ルリちゃんが?」
ル「いえ、私じゃなくてその――先生が」
その瞬間、部室のドアが開かれた。先生がドアの裏で聴講していたのを、ルリは気づいていたのだ。他の三人は突然の出来事に驚いていたが、徐々に落ち着きを取り戻す。
先「おう、良いぞ。珍しく苫屋が頑張ってるからな、褒美だ」
先生がルリの頭を撫でると、ルリは顔を赤らめて俯いた。その姿に、桜はこっそりと笑っていた。
宗「俺たちも良いんですか?」
先「勿論だ。頭使って疲れただろ? こんなときは肉だ肉!」
姫「わあ、先生ありがとうございます! お言葉に甘えますー!」
桜「申し訳ないです、せめて私の分は自分で……」
先「遠慮するな豊田」
ル「叙○苑」
先「流石にそれは遠慮してくれ」
どっと笑い声が上がって、夕方の鐘が鳴った。山の端の方から夕方が見え始めて、少しずつ空が赤らむ。ルリ先生の授業は、まだまだ終わらない。
宿題
複合語では右側主要部の原則が存在すると言ったが、派生語の場合はどうだろうか。以下の派生語を参考に考察せよ
「踊り子っぽい」「もの悲しさ」「都会派ぶる」